青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

小糠雨 空に祈りて 水間寺。

2022年06月07日 17時00分00秒 | 水間鉄道

(濡れて輝く新緑哉@水間の街並み)

水間観音に向けての参道。参道って言うと、道の右や左に商店や土産物屋が並んで・・・みたいな賑やかな雰囲気を想像してしまうのだけど、ここ水間観音の参道はそういったものは極めて少なく、雨に濡れた路地の脇に板塀の古い家並みとか、個人で小さく営んでいるような喫茶店とか、そういったものが慎ましやかに続いている。路地を流れる水は、近木(こぎ)川から引かれた農業用水だろうか。青紅葉に包まれた大きな商家が美しく、暫し歩みを止めて鑑賞。

近木川を渡る石橋の向こうに水間観音。本堂と三重塔が聳えます。聖武天皇の詔勅により、僧行基によって開山された水間寺。建立が天平年間の744年と言うから相当に歴史のある寺院である。行基は日本の歴史上では東大寺の大仏の建立を手掛けた、というコトで山川の教科書なんかに出て来ますけども、大仏建立の詔勅と水間寺の建立は同じ年に行われているんですね。近畿一円に仏教による宗教的な支配が進んでいた時期、と見る事も出来ます。

行基は畿内七道広く仏教を説いて、多くの寺社仏閣の開山の祖となった僧ですが、元はと言えば現在の大阪府堺市の出身で、水間寺の開山は地元中の地元案件だったようです。仏教の他にも橋を架けたり温泉を見付けたりと八面六臂の活躍をした行基。余談ですが、温泉と寺とに関しては行基と弘法大師が見付けたり開山したりというところが凄く多いように思う。お大師様が錫杖で地面をつついたらお湯が湧き出した、みたいな。ひとまず本殿にて私もささやかながらの浄財と共にお祈りを。まずは何はなくとも世界平和。

参拝を終え、歩いて水間観音の駅へ戻る。駅の南側は車庫になっていて、この日は運用に入っていないいくつかの編成が留置されていました。水間鉄道は同じ東急の7000系を使用している弘南鉄道とコラボした鉄道企画を行っているのですが、弘南鉄道カラーの青帯を締めた1003Fが見えます。三年前の真冬、雪にまみれた弘南鉄道を訪問したのはいい思い出ですが、青帯ってーと弘南でも大鰐線の車両のデザインになりますか。それにしてもロゴまで同じにするとは(笑)。一応水間鉄道なんですけどね、ここ。

原型顔の弘南鉄道カラーの横を、原型顔の1001F。後ろに見えるのは、北陸鉄道カラーかな。この1001Fは海老茶の帯の落ち着いたスタイル。水間の東急7000も、弘南と同様に特徴である外付けディスクブレーキのパイオニアサード(P-Ⅲ)台車を残しており、前面スカートとLED化された行先表示板以外は東急時代の姿をよく保っています。水間の電車はなんかやたらとヘッドマークが掲示されていますが、この会社では自作のヘッドマークの掲示を10日で10,000円という格安お値段で受けてくれるらしい。競艇場とか地方競馬でやってる協賛レース(レース名の命名権が購入出来る)と似たようなもんか。


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