(祭りの日@浜大津~三井寺間)
京津線の探索を終え、電車で浜大津の駅に戻って来ました。お次は浜大津から湖岸を走る石山坂本線へ。石山坂本線も浜大津駅から三井寺駅までの約500mが併用軌道となっておりますが、国道上を走る京津線の併用軌道と比べると車通りも少なく静かな雰囲気。今日は三井寺の近くにある三尾神社の祭礼らしく、お神輿が併用軌道区間に出て来ました。三尾神社はウサギを勧進する珍しい神社で、卯年生まれの守護神だそうな。よく見ると神輿の後ろにはウサギを担ぐ若い衆の姿があったり…残念ながら自分の干支とは一つズレてるんだよなあ。惜しい(笑)。
三井寺からの併用軌道を、浜大津の交差点へ出て行く600形607編成。以前は地上時代の京津線の主力車両として、浜大津までの準急(京阪三条~御陵間通過)に充当されていた形式です。準急専用だったのは、単純に併用軌道の低いホームだった通過区間の電停に降りられる装備(ステップ)を付けていなかったからだそうですが。浜大津側では信号待ちの615編成、同じ600形でも1次~4次までの製造時期があって、微妙にスタイルが異なっていたりします。一番の違いは前面が1次車だけは平面2枚窓だっつー事かな(2次車以降はパノラミックウインド採用)。
浜大津の交差点から、Sカーブを抜けて三井寺の併用軌道へ進入する700形701編成。きかんしゃトーマスラッピング。各線でトーマスラッピングの車両を走らせている京阪電車、本線は8000系、交野線では10000系が走っている。トーマス関係では他に富士急のトーマスランド号と大井川鉄道のリアルきかんしゃトーマスが有名ですが、京阪は3編成も走らせていると結構それなりに版権が高いんじゃないかと余計な心配をしてみる(笑)。
浜大津から三井寺に向かう併用軌道区間は、浜大津の裏路地に飲み屋さんだったり長屋だったりが連なる生活感あふれるシチュエーション。藤の花咲くビジネス旅館「松竹」の前を、ゴロゴロと車輪の音を響かせて613編成が通り過ぎて行きます。それにしても浜大津の中心街とも言えるこの辺りですが、GWにも関わらず人出もなく閑散としているのが気掛かり。朝来たときは時間も早いからこんなもんかなあと思っていたのだけど。
三尾神社の祭礼の列は電車の来ない時間を見計らって行ってしまいましたが、小さな神輿がリヤカーに乗せられて氏子衆に引かれて行きます。本当なら担がれてこその神輿と言うものなんだろうけど、担ぎ手がいないのかもしれません。そんな風景も浜大津近辺の空洞化を物語っているような…並走するは大津市社会福祉協議会ラッピングの700形705編成。途中の近江神宮前まで参ります。
氏子の休憩所になっている公民館に、ささやかなしめ飾り。三井寺駅を出て併用軌道区間に入る703編成。京津線の車両同様横幅の狭い車体ですが、地下鉄に入る事はないので車体高だけは通常の電車のそれ。よって非常に面長に見えます。前パンががっちり上がっているそのフォルムも余計に面長に見せてしまうのかもしれませんが…現在石山坂本線を走る600・700形は、以前京津線で走っていた旧型車両(300・350形)の車体を叩き直し新造部品を付け足してリメイクしたもので、純然たる新造車ではありません。
併用軌道区間の終端部にある三井寺駅。駅名にある三井寺は、ここから南に歩いて10分ほどの場所にある天台宗の総本山で、7世紀に開山された古刹ですが、そんな駅にやって来たのは609編成@中二病でも恋がしたい・戀ラッピング。まあ、色々と石山坂本線のラッピングが萌え系で痛いのは知ってましたけど、間近で見るとなあ(笑)。こんなのに乗ってる乗客の大半が地元のオバチャンやじーさんばーさんな訳で、いったいどこを目指そうとしているのか良く分からないw
三井寺駅の横に流れる琵琶湖疏水に車体を映して、石山寺行きの電車が行く。京都市街へ琵琶湖の水を引き込むため、逢坂山、東山を水路トンネルで貫く大工事の末明治23年に完成した水路ですが、疏水の傾斜がきつく船が運行できない場所にはインクライン(船のケーブルカーみたいなもんです)を作るなど、水利だけでなく舟運を利用した物資の搬送にも期待が込められた一大事業でもありました。世界遺産ブームに乗っかってもおかしくない貴重な明治の産業遺産ですが、一度完全に撤去されてしまったのが惜しい(現在は復元されたものが保存されているそうです)。
石山坂本線が琵琶湖疏水を渡る北側に、浜大津駅へ通じる遊歩道の橋があります。これが大正10年(京津線開業と同年ですね)から昭和44年まで走っていた江若鉄道の線路跡で、遊歩道の橋台にその痕跡が見て取れます。江若鉄道は、浜大津を起点として琵琶湖北岸を近江今津までの約50kmを結んでいた非電化私鉄でしたが、ほぼ同じルートを国鉄の湖西線が通る事となり、「今後の鉄道の存続が見込めない」と言う事で廃止になってしまいました。現在は滋賀県内でバス会社を運営していて(江若交通)、浜大津のバスターミナルでも頻繁にその姿を見る事が出来ますが、江若鉄道は「東の関鉄・西の江若」と言われたほどの私鉄には珍しい規模のディーゼル王国でした。
なんか最後はあんまり京阪と関係ない話になってしまいましたが、江若交通は鉄道事業から撤退する少し前に京阪グループの傘下に入っております。鉄道撤退後を見越しての先見の明と言う事なんでしょうか。江若鉄道自体も、湖西線の建設計画が持ち上がった当時から実質は営業補償と言っても差支えない鉄建公団への路盤の買取り請求や、社員の国鉄への再就職を求めるなど、なかなかしたたかな企業だったようです。
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