北国の無線局 JA8CMC

北海道から趣味のアマチュア無線等の色々を思いつくままに綴ります。
since 2007 

43年前(その1)

2008-06-19 | ノンジャンル
 今から43年前の6月、初めて電波を出したことを昨日のように

憶えている。友達から借りた試験問題集を勉強し、昭和40年4月期

の電話級試験を受け、合格後、即開局申請をした。

 当時の試験は記述式なので、現在のように選択式でないため、

適当な回答は出来なかったが、勉強し憶えてことを沢山書きまくり

点数を得て合格した。

 当時は真空管の全盛期で、部品は沢山販売されていたが、学生の

身でこずかいはスズメの涙ほどしかもらえないため、新品の部品

は水晶発振子(7050kc)と150mAの直流電流計だけ。後はガラクタ

な5球スーパー、壊れたTVから外したトランス、ソケット、CR、

ローカルの局からQSYしてもらった変調トランスなどで受信機と送信機

を作り7MCーAMで第一声を出した。

最初のQSOは同じ北海道のJA8CL▲局。嬉しくて、嬉しくて

夜も眠れないくらい興奮したものだ。当時のアマチュア無線は

10代後半、20代のヤングが主で大変賑やかであった。

 開局時の設備はオール自作で受信機は高1中1、送信機は終段807

シングル 変調器は42pp。既製品はその当時、トリオから9R59 

TX88Aがキットで販売されていたが私にとっては夢のキットだった。

 受信機はST管の5球スーパーを改造して高周波増幅回路をつけ、微

同調のためにミゼットVCを局発回路につけた簡単なもの。

 送信機は807-6AQ5の2ステージ、終段はリンク同調。変調器

は42PPと云う構成。水晶はFT243 7050kc 1個しかないためバン

ドが空くのを待っての交信だった。当時の宝ものの7050kcの水晶は今

でも持っている。

 空中線はテレビ用の300Ωのリボンフイダーを使いフォールデット

ダイポール。今のようにSWR計はないのでマッチングがとれていた

のかどうかは定かではない。

 それでも毎日学校から帰るなりCQ CQ CQと叫んでいたが、

結構全国と交信できたものである。当時の会話は自作した、受信機、

送信機の紹介等もっぱら技術的なことだった。自作が当たり前で、

メーカー製で出ている人は少数だったと思う。毎日、学校に行って

も回路図が頭の中を駆け巡っていた・・・・・・。



当時の憧れの受信機 トリオ9R59。高1中2の代表機器。
今見ても良いデザインと感じる!!

コメント (2)
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