五月の終わりに長田弘さんの「懐かしい死者の木」という詩をまた読んだ。もう何度も読んでいるんだけど時たま思い出したように読みたくなる詩だ。
懐かしい死者の木 長田 弘
いつも心のどこかしらにあって ふとした時に思い出すと 焚火を一緒に囲んでいるような近しい感覚を覚える そんな懐かしい人達がいる たとえば五十年間一度も会うことのなかった幼い日の友人 あるいは話をしようもないほど四角四面でブルックナー好きだった青年。 かれらは老いて いまどうしているのだろうか いつのころからか 風信に つねに心のどこかしらにあった人たちの訃を思いがけず聞くことが多くなった 死の知らせは不思議な働きをする それらは悲しみではなく むしろその人たちについての忘れていたわずかな些細な印象を鮮やかに生き返らせる 懐かしい誰彼の死を知ったら街のそここにある好きな大きな木の一本を選んで木に死者の名前を付ける ときどき その木の前で立ち止まる そして考える。 あくせく一生をかけて人は一本の木におよばない時間しか生きられないんだと
5月の終わりに読むにはちょうどいい詩かな。考えなければと忘れていた考えるという力を思い起こさせてくれるようで繰り返し読むんだよね。時間をどう大切に生きるかをまた思い直す。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます