パンプは、昨日熱が37.8度ありましたが、今日は36.9度まで下がっていた。この前から、精神安定剤を半分に減らしているので見ていると、あくびをしたり半眼になったり命の息吹を感じさせてくれる。この時、ふと思った。自分の手のひらの上にパンプの命があるのだと。そして、それがたまらなく愛しく思えた。八木重吉の「母」というちょっと上品な詩が、頭の中で重なった。
お母さま
わたしは ときとすると
お母さまが たいへん小さいひとのように
おもえてきて
この手のひらのうへへいただいて
あなたを拝んでゐるようなきがしてくることが
あります
こんな あかるい日なぞ
わたしの心は美しくなってしまい
お母さまをこの胸にかざり
ゐばってやりたいようなきがします
重吉は、この母より先に逝ってしまうのですが、もし母を看取ることだったとすれば、自分達にどのような詩を残してくれたのでしょう。残念です。
さて、パンプのほうは、ここまでは、奇跡的に回復し、安定剤の投与も午後5時になくなりました。いよいよ、覚醒の時が近づいてきました。本当は、これからが、大変なのです。うれしさも 中ぐらいなり おらが春
といったところでしょうか。
でも、ゐばってやりたい気分です。
お母さま
わたしは ときとすると
お母さまが たいへん小さいひとのように
おもえてきて
この手のひらのうへへいただいて
あなたを拝んでゐるようなきがしてくることが
あります
こんな あかるい日なぞ
わたしの心は美しくなってしまい
お母さまをこの胸にかざり
ゐばってやりたいようなきがします
重吉は、この母より先に逝ってしまうのですが、もし母を看取ることだったとすれば、自分達にどのような詩を残してくれたのでしょう。残念です。
さて、パンプのほうは、ここまでは、奇跡的に回復し、安定剤の投与も午後5時になくなりました。いよいよ、覚醒の時が近づいてきました。本当は、これからが、大変なのです。うれしさも 中ぐらいなり おらが春
といったところでしょうか。
でも、ゐばってやりたい気分です。