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『マリリン 7日間の恋』 80点

2012-03-26 23:47:42 | goo映画レビュー

マリリン 7日間の恋

2011年/イギリス=アメリカ

ネタバレ

虚実皮膜と助監督

総合★★★★☆ 80

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 それまでの古典的な演技は発声や仕草などのテクニックを使用することで感情や役柄の表現を行う形式的で表現主義的なもので、『王子と踊子』の監督で主演も務めたローレンス・オリヴィエはその道を極めた‘プロ’の俳優である。対するマリリン・モンローはアクターズ・スタジオのリー・ストラスバーグの指導による‘メソッド’の演技を試みていた。それは役作りの際に演技者の実生活での体験や、役の人物の内面心理を重視し、より現実に近い、自然な演技を追求するものであるが、‘古典派’のオリヴィエからして見れば、‘メソッド’はその役になりきるだけであり、客観的な‘演技’とは言えない。
 ‘メソッド’による役作りが上手くいかず、遅刻や台詞が飛んだりすることから、マリリン・モンローは完全に演技の‘素人’と化してしまう。夫で‘プロ’の小説家であるアーサー・ミラーからも見放されたモンローが出会う人物が当時、‘第3助監督’という立場に置かれていたコリン・クラークである。
 ところで助監督とは微妙な職業である。‘プロ’の映画監督とは見倣されていないにも関わらず、‘素人’では務まらない。その上、コリン・クラークは‘3番目’の助監督なのである。重要な点は‘プロ’のローレンス・オリヴィエと‘素人’のマリリン・モンローの‘緩衝材’の役割を果たした人物が‘プロ’とも‘素人’とも言えず、結局、何者なのかよく分らない‘助監督’だったという事実であり、更にはコリン・クラークの回顧録そのものもどこまでが事実なのかよく分らないところであるのだが、この虚実相半ばにこそ感動は宿るのであろう。
 ナット・キング・コールの『枯葉』の絶妙なタイミングの挿入には泣かせられるが、残念ながら本作はマリリン・モンローに関してある程度の知識がなければ、全く同情出来ない、ただの我儘な女優の物語にしか見えない。


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