原題:『江戸城大乱』
監督:舛田利雄
脚本:高田宏治
撮影:北坂清
出演:松方弘樹/十朱幸代/三浦友和/西岡徳馬/金田賢一/神田正輝/坂上忍/池上季実子
1991年/日本
「夢」の一文字の「重み」について
ラストで自死した酒井雅楽頭忠清の上半身を抱えながら桂昌院は次のようにひとり言を言う。「でも、どうしてなのです。あなたともあろうお方が、ほんのちょっとした嘘ぐらい、夢に、夢の一文字にさえしておけば、こんなことには。どうしてなのです。どうして、どうして。」この桂昌院の疑問に答えることが本作を理解する上でもっとも有効な方法であろう。
酒井忠清は第4代将軍徳川家綱の治世期に大老の職にあり、病気で臥せっている家綱に代わって政を為し、第5代将軍を巡って暗躍する様子が本作で描かれるのである。本作の中盤でも描かれているが酒井忠清は何もなかった場所から江戸の町を築き上げたという自負があり、この繁栄を維持するために志母沢織部正からだまし取った小判を全て溶かし金と銀を半分ずつ混ぜて「嵩上げ」して小判の量を増やそうと画策する。
徳川家綱が跡継ぎに関する直筆の遺言書を残していたことを知り、自分が立てていた計画が完全に崩壊すると、酒井忠清は第5代将軍として入城してきた徳川綱吉は自分の子供であり、徳川の血を受け継いでいない綱吉を将軍にさせる訳にはいかないと刺殺を目論見るも、出来ないことを悟ると綱吉の目の前で切腹を試み絶命するのである。
もちろん綱吉は忠清の子供ではなく、だから桂昌院はそのような嘘をつく忠清を理解できないのである。これは忠清に限ったことではないだろうが、とかく男は大きな夢を見がちで、特に大老になり何でも思い通りになるような立場に立つと無理にでも自分の「理想」に現実を近づけようとするだろう。そしてその逆もまたしかりで、自分の夢が叶わないことを悟った時、人がどのようにあがいても変えられない「宿命」で夢が破れたように思いながら「恍惚」の中で死にたいのであり、それが綱吉が自分の実の子供だったという忠清の作り話なのである。