めぐり逢えたら
1993年/アメリカ
‘予習’が必要な作品について
総合 70点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
ここでは一見するならば不必要と思われるシーンについて書いておきたい。ボルチモアの新聞記者のアニー・リードは、リスナーの悩みをパーソナリティーに打ち明けるラジオの生番組で聴いた、シアトル在住の8歳の少年ジョナー・ボールドウィンと彼の父親サム・ボールドウィンの話に心を打たれて、シアトルまで会いに行った時のことである。たまたま空港でサムはアニーを見かけ、一目惚れし、アニーはその日にサムとジョナーが海岸で遊んでいる様子を見かけ、翌日再び海岸でサムとジョナーと彼の妹のスージーが一緒にいるところを目撃する。スージーをサムの恋人と勘違いしたアニーはサムに声をかけることができずにいた時に、サムがアニーに気がつき車道を挟んでアニーに声をかけようとしたが、アニーは逃げようとする。その時、タクシーがアニーを轢きそうになるのであるが、その後の2人のことは描かれないまま場面転換してしまうのである。何故このシーンを挿入したのか誰もが疑問に思うであろう。その疑問を解くものとしてやはり、お互いに「ハロー」と言葉を交わしたシーンを踏襲したケーリー・グラントとデボラ・カー主演の『めぐり逢い』(レオ・マッケリー監督 1957年)を忘れてはならないであろう。画家のニッキー・フェランテに会いにテリー・マッケイが婚約者と別れてエンパイア・ステート・ビルディングに向かう途中で、交通事故に遭ったことが悲劇をもたらしたのであるならば、本作においてもアニーが交通事故に遭ったように見せかけたのであろうが、もしそのような演出意図があるならば残念ながら上手くいっているようには見えない。
石坂さん密葬、妻の清子さん「甘えん坊で繊細」(サンケイスポーツ) - goo ニュース
時々、良い歌だと認めるけれども聴かなければよかったと後悔させるような曲に出会う。
例えば、美樹克彦の「花はおそかった」(作詞:星野哲郎 作曲:米山正夫)という曲は、
相手の女性が病気で死んだことを歌ったもので、気持ちは分かるけれどももう少し
オブラートに包めばいいのにと思ったが、何と後に当時アイドルだった堤大二郎がカバー
しているから、このような悲惨な曲を好きな人がいるのかと感心した。そしてもう一曲挙げる
とするならば西城秀樹が歌った「漂流者たち」(作詞・作曲:石坂まさを)である。これほど
青春に絶望した歌が存在していいのかと思うほど聴いたことを後悔させる出来である。
余りはっきりとは言いたくないのだが、こんな事を当の女性が言われて嬉しいのだろうか
気持ちが重過ぎるのである。