ケンのブログ

日々の雑感や日記

名古屋フィルハーモニー定期演奏会に行く

2022年10月10日 | 音楽
10月8日は名古屋フィルハーモニー交響楽団の第505回定期演奏会を聴きに行った。

もう 2日たったので 記憶が少しボケてしまったけれど ボケたなりに書こうと思う。

まあ 2日たたなくても 記憶はなにかとボケるものではあるけれど、、、。

指揮はヴァシリー シナイスキーさん

最初に演奏されたのは
リムスキーコルサコフの 歌劇 金鶏より 序奏と婚礼の行進。

初めて聴く曲で 途中で ちょっと 映画音楽のような感じ と思っているうちに演奏が終わってしまった。

初めて聴く曲は そんな 感じで終わってしまうことが多い。

リムスキーコルサコフの この曲は 歌劇の音楽だから まあ 映画音楽のように聴こえるのかもしれない と思うけれど 時代の順序的には 映画音楽よりもこちらの方が先か 、、、。

次に演奏されたのがヴァイオリン独奏 金川真弓さんで
プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番

これも たぶん どこかで聴いたことはあると思うけれど 覚えていないので 実質的には初めて聴く曲。

第一楽章は いかにもプロコフィエフという感じただなあと思ったり、 どことなく 陰鬱な雰囲気が ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第一番の第一楽章に似ているぞ でも ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第一番は ヴァイオリン独奏付き交響曲という感じだけれど プロコフィエフの方はそれに比べるとちょっと おしとやかか? などと思っているうちに演奏がどんどん 進んで行ってしまった。

第二楽章は クラリネットが ずっと 三連符を ほんとうに ずっと という感じで奏でていて この三連符が 第二楽章をずっと 支配していて いやあ これは 美しいなあと思っているうちに終わってしまった。

本当に その 三連符を聴いていて どこか 向こう側(彼岸)の世界に通じるものがあるのかもしれないと思ったりした。

同じ 音型が ずっと 続くというのは バッハの平均律ピアノ曲集第一巻第一番の最初のプレリュードもそうだけれど 本当に 独特の美しさがあると思う。

第三楽章は舞曲風の音楽だった。

ロシアの舞曲風の曲って 例えば チャイコフスキーの ヴァイオリン協奏曲の第三楽章もそうだけれど もう 情熱的に ガーっと盛り上がっていく。

でも プロコフィエフのこの曲の場合 ガーっという感じで 盛り上がるのではなく ある程度 冷静さを保ちながら 盛り上がっていくという感じで これは ちょっと不思議な世界だなと思った。

曲の作りもそうなのだろうけれど 演奏が そういうタイプの演奏だったのかもしれない。

20分の休憩をはさんで 次に演奏されたのが 
ショスタコーヴィチの交響曲第5番

いつもは CDラジオで聴いているこの曲だけれど 生演奏で ステージの楽器を見ながら聴くと 本当に 音楽の作りが 精巧なんだなと改めて驚いてしまう。

ショスタコーヴィチの交響曲の中では もっとも古典的に コンパクトに まとまっている曲の一つだと思う。

なので 精巧にまとまっている ということを より 如実に感じることができるのだと思う。

例えば 第二楽章で チェロなどが力強いリズムを刻んだ後で 金管 それに続いて木管が出てくる。

その木管を聴いていて 美しく まとまっているけれど ショスタコーヴィチの交響曲の中で様々な形で出てくる 木管の悲痛な叫び というのは この 第二楽章の木管の響きに凝縮されているのではないだろか とそんなことを聴きながら思った。

また この 楽章の後半に 弦楽器がほぼ全体でピチカートをするところが あったけれど オーケストラの方が 一生懸命 そこを 奏でておられる姿を見て いやあ このピチカートの箇所も あらゆる 交響曲の ピチカートの中でも 最も美しく かつ 壮観な ものなのではないか と思った。

こういうことは 生演奏を聴かないと なかなか 気づかないので やはり コンサートというのは 本当にありがたいものだな としみじみと思う。

第三楽章はオーボエをはじめ 木管楽器が いろいろ 長いメロディーを 印象深く奏でるけれど ステージで奏者が演奏している姿を見ながら聴くと やはり 感動が全然違うな と思う。

オーケストラの奏者ばかりに目が行っていたけれど 指揮のシナイスキーさんも 指揮棒を持たずに 動きもそれほど 大きくないけれど 少しの動きで 多くのことを 無駄なくオーケストラの方に 伝えておられるのだな ということに 途中で気づいた。

第四楽章もよかった 

演奏の最後で ティンパニーの奏者の方が 楽器の残響を止めるためだと思うのだけれど スッと 太鼓の 表面を 手で 抑えられたことが 印象的だった。

音楽の演奏というのは 音を出すことも大切だけれど 音を いかに 消すか、 それも とても大切なのだ ということを教えられる思いだった。

帰りは 40分くらいかけて 名古屋駅まで歩いた。

名古屋駅まで歩く道にもだいぶん 慣れてきた気がする。