ケンのブログ

日々の雑感や日記

13番目の月 視野を広く

2021年04月26日 | 日記
僕が読んでいる全国紙の今日の編集手帳にこんなことが書いてある。

“”
(マラリアは)2019年の感染者はアフリカを中心に2億人をこえ、40万人以上が命を落としている。今、感染症といえば新型コロナウイルス感染症を連想する人が多いかも知れない。ただ、長年人類を苦しめてきたマラリア撲滅に向け、より効果的なワクチン開発や衛生環境改善の努力が続いていることも忘れないでおきたい。今日は、世界保健機関が定めた「世界マラリアデー」“”と。

きっと編集手帳を書いた人はコロナだけが感染症ではない、そして、コロナだけが病気ではない、もっと視野を広く持とうという気持ちで、編集手帳にこのようなことを書いているように思えてならない。

本当に、人間が思い詰めるときって視野が狭くなっていることが多いから、、、。

福島原発の事故のときも、徹底的に甲状腺などの検査をして、そして、検査の結果、手術をしたりしたけれど、10年後の今から考えれば過剰検査だったかも知れない。検査をせずに気づかずにいれば、一生何事もなく過ぎたという事例もかなりの比率にのぼるはずだという専門家の声もあるという主旨の新聞記事を読んだ記憶がある。

コロナもできればそうあってくれれば(検査の数が多いから感染者の数も多く出ているという意味)と祈りたいけれど、そういう方向のことばかり考えていると、油断につながるので良くないかも知れない。

まあ、今は、できる範囲で気をつけていきたいと思う。

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普段の日曜日だと、マンションの回りで子供が遊ぶ声が聞こえてくるけれど、今日はその声が聞こえてこない。やはり、緊急事態で、子供の遊ぶ声が聞こえるのはまずいと考える保護者の方が多いのだろうかと想像したりする。

ところが、マンションの駐車場を見ると、いつもの日曜日よりも出払っている自動車が多い。

どういうことなのだろう。マンションは静かだけれど、みんな必ずしも家に閉じこもっているわけではないということなのか、、、。

そこまでは、わからないけれど、マンションの駐車場、それにマンション近くの駐車場ともに今日はいつもの日曜日よりも出払っている自動車が多かった。

どういうことなのかはわからない。

ただ、コンビニに行って駐車場の自動車から出てくる人を見ていると、家族などごく親しい人と一緒に自動車から降りてくる人が多かった。

きっと家族連れがおおいのだろうなと思った。

僕の故郷、岐阜県は、なぜか、家族で行動するという傾向が強い土地柄で、そういう意味では、家族連れをおおく見るというのは、ちょっと故郷を思い出したりして、僕にとってはむしろ心によい作用を及ぼしてくれた。

すれ違う人の顔を見ると、そんなに深刻そうな顔にも見えず、淡々としているようにも思える。

もう、ここは時がすぎるのを待つしかないという心境になっている人も多いのかもしれないと思った。

電車に乗る。

乗車率は低い。

ただ、僕が乗った駅のホームの先端に、カメラを構えている人がいっぱいいてそこはいわゆる密の状態になっていた。

僕が住んでいる地域は、ちょっとした、鉄道撮影のメッカのような場所で、緊急事態の日の鉄道というのが一つの写真のテーマになるのかもと思った。

もちろん、僕はそちらのほうのマニアではないのでようわからんけど、、、。

電車は静か。

途中で乗り込んできて、いきなり話し始めたのは若い男の人で学生とおぼしき二人連れだった。

僕は、若い人、特に、学生がこういう場面で話をするのは、まだ、会社で上司に注意されたりとか、そういう社会的プレッシャーを受けた経験が希薄だというのも一つあるのだろうなと思った。

そして、不思議なもので、「車内での会話はお控えください」というアナウンスが流れている昨今は、話をしている人を見ると、急にイライラを感じるようになった。

いままで、車内で話している人にいらっときたことなどそれほどないのに。

携帯での通話は、会話の一方の声だけが聞こえてきてとても不自然に思えて以前からイライラしていたけれど、、、。

そして、クラシックのコンサートホールでも、コロナでないときも、咳エチケットとか、いろいろ注意事項をアナウンスしているけれど、あの、ややもすると過剰なアナウンスが、クラシックのコンサートに来る人を余計を神経質にしている側面もあるかもしれないと思った。

たぶん欧米のコンサートホールでは、日本のような執拗な、エチケットに関するアナウンスはないのだろうと思う。

もちろん、クラシック音楽は日本では、ある意味、異文化なので、アナウンスをしないととんでもないことをする人が出てくる可能性も高いだろうから、欧米と比べて一概にどうと言うことは慎むべきだとは思うけれど、、、。

お酒を出さないちょっとおしゃれな感じのお店で夕食をしている人の姿も、お店の外から見た。

なんか、落ち着いた感じでいいものだなあと僕は思ってしまう。

夜空にはかなり明るい月が出ていた。新聞に明日の月齢が14となっているので、今日の月齢は13前後なのだと思う。13番目の月。

いいものだなと思う。

無事に毎日がすぎますように。








緊急事態 無事乗り切れますように

2021年04月24日 | 日記
僕が住む大阪府、そしてお隣の京都府は明日から緊急事態宣言ということで、不安というか、わびしいというか、孤独というか、何とも言えない気持ちで、夜を過ごしている。

新聞を見ると大阪府知事の言葉が出ている。

それをみて、こういう緊急事態のときでも、結局、人って、普段の言葉遣いの特色が現れるものだなと思う。

例えば「今、大阪でコロナに罹患した場合、適切な治療が受けられるかわからない状況だ」と知事は言っておられる。

なんか、罹患したら、治療受けられへんかもしれへんで、おとなしく外出はせんようにしときや。と挑発的におどかされているように思えなくもない。

普段、割と知事は挑発的な言葉を使うことが多いからこういうときにもなんとなく挑発的に言葉が響いてしまうように思えてならない。


僕と同じようにこの言葉に不安を感じて、ちょっとした症状でも治療が受けられるうちにと医者へ行ったりして余計に医療が逼迫することのないように祈りたい。

本当に、ヨードのうがい薬のときも、たまたま、下町のドラッグストアに行ったら、信じられないような勢いで、人がうがい薬のコーナーに押し寄せてきて、ドラッグストアの店員さんはもう、たまりかねて、「ヨードのうがい薬はもうありません、こちらのアズレンのうがい薬もよく効きますよ」と言って、もう殺到する人をアズレンのうがい薬の方に誘導していた。

ヨードとアズレンは違うだろうと思いながらも、あれだけ人が殺到したらドラッグストアのお兄さんをわるく思う気にはなれなかった。そうでもしないと、押し寄せる人をさばききれない状況だったから。

それで、僕はテレビを見ないので、家に帰ってきて、ネットを見て、知事がヨードが効果があると言ったとか言わなかったとか、そんなゴシップネタのようなニュースが出ていることを知った。

それに、医師でもない知事が、コロナに罹患したら適切な治療が受けられないかも知れないと言うのも、なんか、医師の先生に失礼なようにも思える。

僕も、本当に、この先生はひどい先生だという医師にあたったこともあるけれど、そのとき、その時で、できる範囲で、最善を尽くしてくださったと思える医師にもこれまで出会ってきたというのも事実だし。

たとえ、一般に言われるガイドラインに沿った治療ができなくても、その状況、状況で最善を尽くしてくださる医師は多いはずだと信じたい。

医師や、医療関係者からかけられる言葉で気持ちがおちついて、病気が回復に向かうということもあるし、、、。

「府民の命を守るため、協力をお願いしますと言うしかない」という知事の言葉も、なんだか政治的プロパガンダの言葉遣いに思えなくもない。

知事が属している政党の候補者の、選挙要項に、よく、議員報酬をちょっとカットするという政策に「身を切る改革」というキャッチフレーズが踊っていることがあるけれど、府民の命を守るためって、そういうキャッチフレーズをちょっと思い起こしてしまう。

もちろん、コロナで命を落とす人も、最低限であるように、コロナ以外の要因で命を落とす人も最低限であるように、願い、祈っている。

知事も、そして、菅総理大臣も、新聞に出ている顔を見ているとなんか、ぽわ-んとした顔にみえるけれど、菅総理の場合はふだんもちょっとぽわ-んとした系の顔なので、あまり気にならないという側面もある。

そういう点は、ふだん、ぽわ-んとしているくらいのほうがこういうときは得だなと、どうでもいいようなことを考えたりしてしまう。

知事が、強気の発言とは裏腹に、不安そうなお顔をしておられるのがちょっと気になる。

それは、こんな状況で、毎日、マスコミ対応やいろんな政治判断をしていたら、不安になるのがむしろ普通だと思う。

政治判断も、マスコミ対応もない僕でもやはり、いろいろとそれなりに気になることはあるのだから、、、。

でも、そんな状況でも、知事の判断が少しでも冷静なものでありますようにと祈っている。



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それでも、街に出ると若い子は、初夏の装いで歩いている。

それに意外とカップルが多い。

晩春から初夏はカップルが多いのだろうか、よく知らないけれど、、、。

まあ、これだけ暖かくなると、カップルで街に出たくなるのもわかる気はするけれど、うらやましくもある、、、。

一日いちにち 無事でありますように、それを第一に願っていきたい。









夏も近づき

2021年04月24日 | 日記
今日の新聞に「温室ガス46%削減」という大見出しがあって、菅総理大臣が気候変動問題に関するサミットで温室効果ガスを2013年との比較で2030年までに46%削減するという目標を打ち出したと出ている。

新聞の中まで読んでいくとこの46%という数字も実行可能かどうかの根拠はそれほどなく、国際的に温室効果ガスの削減目標を打ち出す流れというか競争になっているから、そういう圧力の中で、政治的に判断された数字であるという声も出ている、というようなことが書かれている。

そう言われてみるとなんだかきっとそうなんだなと思えてしまう。
温室効果ガスの量を、2013年と2030年でどのくらい違うのかを正確に測定できるのかさえもよくわからないのに、46%削減と言われても、本当にどこまで実現可能性があるのかとおもってしまう。

しかし、それよりも不安なのは、根拠があるかどうかにかかわらず46%なら46%という数字が総理大臣から出ると、やはり、それが一つの圧力となって、民間の会社にもとにかく温室効果ガスを減らさなければというあせりというかそういうものが生まれてくるだろうということだ。

さほど、確たる根拠があるとは思えない数字に、みんなが踊らされ、中には苦しむ人が出てきたり、経済や環境問題をはじめとする世の中のひずみが出てきたり、、、なんとなくそういうことを考えてしまう。

かつては、戦争ということに対する不安をかかえて生きた世代があるように、今の私達は、あらたな産業構造の変化の中で、どう対処したらいいのか、どう生き残ればいいのか、そして、よく生きるためにはどうするべきなのか、そういうことが見えにくくなっている世代であるように思う。

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コロナの新型ウイルスに関しても新聞に書いてある大学の先生など専門家の発言を読んでいると
「ウイルスのスピードが圧倒的に早く、重症化させている可能性もある」「これまでとは違うという危機感がある」というように、可能性もあるとか危機感があるとか、そういう側面を指摘しているだけで、科学的にこういうことが言えると断言している人はいない状況になっている。(紙面を見る限りではそうなっている)

そして「マスクをつけないで話しただけで感染する」と断言的な言い方をしているのが鳥取県の知事という、ウイルスの専門家ではない人になっている。

専門家は可能性や危機感を指摘するだけで、危ないと断定的に言うのは素人だったりして、もうほんとうにある意味ここでもわけのわからない状況になっている。

だからといって何も信じないというわけにはいかないので、やはり、僕の場合は、一番しつこく言われているマスクと手洗いは気をつけていきたいと思う。

一昨日、頻繁に行く駅近のコンビニがコロナの感染が出たということで休みになったと僕のブログに書いた。

保健所の許可も出て昨日から営業再開したけれど、今日行くと、いつもは本当に5,6人はお客さんがいると思われる時間に、お客は僕と、もう一人、女性の二人だけだった。

やはり、こういうのを目の当たりにすると不安を覚えるけれど、人のうわさも75日。あんな便利な場所にあるコンビニ、みんな行かないと、不便を感じるだろうから、何日か後にはきっと客足は戻ると僕は思っている。また、それを願っている。

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今日の新聞の編集手帳にこんな記述がある。

「藤は春と夏を分ける植物と言われる。平等院の藤の急ぎ足を思えば、暦の立夏5月5日を待たずに季節は移りゆくらしい」と。

数年前に僕はある方と、ちょっとした小さいお宮を参拝したことがある。そのときそのお宮に、ぶどうのふさが垂れ下がったような花がいっぱい咲いていた。

「あの、ぶどうの房みたいな花、何やろう」と僕が言ったら
その方は「たぶん藤とおもいます」とおっしゃった。

そのときの日付を僕はなぜか覚えていて、たしかそれは4月27日ころだったと思う。

ちょうど今頃の季節だなとしみじみと思い出す。

確かに植物は、季節を思い出させてくれることがあるなと思う。




協調して困難を乗り越えられるように

2021年04月23日 | 日記
コロナに伴う緊急宣言事態の発令に関して、大阪府などの自治体は、イベントや飲食店などに対する休業、中止要請を積極的に考えているのに対して、政府はそういう規制は市民生活や経済に影響を与えるから限定的なものにすべきだという対立があると新聞に紹介されている。

新聞には、その対立の構図が一覧表にして整理してある。

また、大阪府は、休業に伴う協力金は国が考えること、との立場であることも新聞に書いてある。

僕が読んでいる新聞は一般に、政府与党よりと言われている新聞だけれど、その新聞を読む限りでは、僕には政府の考えていることのほうが現実路線的なものに思える。

また、国と地方自治体では財源の規模が桁違いなので、休業保証金などは国が考えることという自治体の立場はもちろん理解はできる。

しかし、もし、自治体が、強い規制を打ち出すことで、コロナを封じ込めようとしているのに、政府の現実路線が阻害要因となってコロナが抑えられないという、政治的演出を考えているとしたら、それは自治体にとっては虫のいい話のように僕には思える。

もちろん、僕の、そのような仮定的な想像が間違いであることを望んでいるけれど。

自治体と、政府が対立するのでなく、協調するという姿勢をなるべく作っていったほうが、国民の気持ちは落ち着くと僕は考える。

もう、科学的にどの方法が正しいかは、誰も自信をもっては言えない段階にきているように思う。

であるならば、対立を強調して、不安やいらだちを煽るよりも、国民一人ひとりが少しでも落ち着いた気持ちで、このコロナという事態を乗り越えられるように、なるべく協調ということを考えていっていただきたいと、僕はごく個人的にそのように望んでいる。

とにかく、毎日、無事にとそれを一番に考えていきたいと思う。

毎日無事に

2021年04月21日 | 日記
僕の自宅の最寄駅の近くにコンビニがある。本当に駅の近くにあるので、頻繁にそのコンビニに行っている。

今日、そのコンビニに行ったら、店内の明かりはついているのにドアはしまっていて、コロナの感染者が出たのでしばらくお休みというような張り紙がしてある。

僕の他にも年配の方が2人ほどその張り紙を読んでいた。

そして、僕も含め、みんな多かれ少なかれ呆然とした顔つきだった。

本当に僕も呆然となってしまった。

何日か前に、自分の身内とか親しい人でコロナに感染したという話はおかげさまで聞いたことがないと自分のブログに書いたけれど、このコンビニは本当にかなり頻繁に行っているので、僕にとっては自分の行動テリトリーで初めて接した感染例だった。

やはり、何名コロナに感染したとかいう抽象的な数字を見ているのと、自分の行動テリトリーで感染が出たという具体例に接するのでは心のショックが全然違う。

うーん、困ったことになったなあと思ってしまった。

夕方になってそのコンビニに来て、また張り紙を見た。おかげさまで消毒も住んで、保健所から営業再開の許可も出て、明日から営業再開と張り紙が出ていた。

高校生くらいの若い子は、コンビニに明かりはついているので、当然コンビニは営業していると決めてかかっていて、コンビニに入っていこうとして、ドアにロックがしてあるので、そこで初めてコンビニが休みと気づいた。

しかし、明日から、営業再開と張り紙がしてある。高校生の子は友達とその張り紙を読んで、「明日から営業か。よかった」と言っていた。

年寄りは、コンビニが休みの張り紙を見ると呆然としていたけれど、若い人は、年寄よりもコンビニが休みというショックは少ないのだろうか。

なんだか、そんな気がした。

もちろん、若い人は若い人で、学校がオンライン授業になるとか、年寄りにはわからない苦労はしているはずだけれど。

昨日の僕のブログで引用した王貞治さんの言葉の中で
「策略や楽な勝ち方はない。勇気をふるう、恐怖心に打ち勝つ、根気よく自分の体を鍛えて粘り強く戦うしかない」という下りが、妙に心に残っている。

僕は、今、コロナの中一人で生活しているので、勇気をふるう、恐怖心に打ち勝つ、根気よく自分の体を鍛えて粘り強く戦うしかない という言葉が、よりいっそう心に残るのだと思う。

王さんの言葉は、相撲の関係者に向けられた言葉として新聞には出ているけれど、本当に、コロナの中で一人で生活している者にとってもぐっと心にくるものがあるなと思う。

僕の場合、野球や、相撲に取り組んでいるわけではないので「体を鍛えて粘り強く戦うしかない」というところは当てはまらないかも知れないけれど、体を鍛えるを、心を修養するにおきかえたら本当に今の僕にもはげみになる言葉だなと思う。

金光さんは、おかげをうけようと思ったら、ままよ という気持ちをもたなければならない。
ままよ とは死んでもままよのことである という意味のことを言っておられる。

本当に、天に、おすがりして、おまかせして、死んでもままよという気持ちで生きられたらそれは心強いことだなと思う。

それに少しでも近づけるような気持ちを持っていきたいと願う。

引き続き、一日いちにちを無事に過ごせることを第一に祈りつつ生活していきたいと思う。