ケンのブログ

日々の雑感や日記

サインはV

2019年11月14日 | 音楽
朝、ラジオを聴いていたら大嘗宮の話題になった。「でも大嘗宮って終わったらつぶすんでしょ」とアシスタントの女性が言った。「つぶすってあんた、そんな荒っぽい言い方しかできんのか」とパーソナリティが言った。「取り壊すとか」と続けてしばらくパーソナリティは考えて黙ってしまった。

取り壊すもつぶすと同様あらっぽい言い方だとパーソナリティは気づいてもっと丁寧な言い回しを考えたけれど考え及ばなかったという感じがよく出ていた。こういう感じが表に出てしまうところがこのパーソナリティの面白いところだと思う。

11月10日の天皇皇后両陛下のパレードの映像をずっと見ていなかったけれど今日ネットで動画を再生してみた。雅子皇后涙を手で拭っておられる。こういうときに泣いてしまわれるところが雅子皇后に親しみをもてるところだと思った。

岩谷時子さんが書いた歌詞に “そばにいてくれるだけでいい 泣きたいときは ここで泣け” というのがあったけれど雅子皇后の映像を見てその歌詞をふっと思い出した。


何日か前にサインはVの鬼コーチ役中山仁さんが亡くなられたと出ていた。サインはVの主題歌の作詞も岩谷時子さんであることを思い出した。
こんな歌詞だ。

VICTORY サインはV
開け放した空へジャンプ
うちよせる雲にアタック
風に向かい砂を走り
若い夢をトスパス
光追いかけてジャンプ
幸せの旗胸に抱くまで
VICTORY サインはV

VICTORY サインはV
ひとみ汗に濡れてジャンプ
あこがれに今日もアタック
昼の虹に胸をそらせ
白い夢をトスパス
光る面影にジャンプ
ほほえみの歌 歌うときまで
VICTORY サインはV

開け放した空にジャンプって本当に壮大な歌詞だなと思う。夢をトスパスという言い方が好き。夢をトスパスって本当に夢のある言い方だと思う。光追いかけてジャンプというのも好き。私達が求めるのは結局は光と思うから。光る面影にジャンプも好き。好きな人の面影は光っているはずと思うから。そして、VICTORYつまり勝利の歌なのに最後は勝利をつかむまでとはなっていない。一番は幸せの旗胸に抱くまで、二番はほほえみの歌 歌うときまでで結ばれている。

考えてみれば、幸せってそれを得たとき大きな声で高笑いするものではなくほほえみや涙につながるものだと思う。スポーツ根性ドラマの歌詞でもそこにちゃんと自分の思いや願いそして理想を込めるところが本当に岩谷時子さんってすごいなと思う。

小学校一年か二年のとき担任の先生が黒板に大きくVICTORYと書いてサインはVってVICTORY、勝利のVなんやと教えてくださったことも懐かしく思い出す。



11月13日

2019年11月13日 | 日記
昨日、今日と昼間は温かい日が続いている。
初冬の温かい日なので小春日和かなと思う。
最近は秋でも温かい日が多いのかなと思う。
ある方と話をしていたら昔は11月はもうストーブを炊いていたと思うのにとおっしゃっていた。
僕も最近は温かい時期が長く続くように思う。
たきびという童謡は
かきねのかきねの曲がり角
たきびだたきびだ落ち葉たき
となっている
ということはちょうと今くらいの季節の歌なのだろうか。
今は落ち葉の季節だから。
阪急電鉄の駅にもみじだよりのポスターが貼ってある。
見るとそのポスターに記載されている沿線のすべての場所が
すでに色づき始めになっていてうち2ヶ所はみごろとでている。
その見頃の一つは京都 大原である。
あのあたりは京都でも寒いんだろうなと思う。
学生の頃友達と一緒のとき
京都大原三千院と流行歌の歌詞にメロディをつけて
歌ったら友達が
「ちゃんと三千院と歌ってるじゃないか
たまに三千里って歌うやついるんだぜ。
母を訪ねて三千里じゃないんだからな」と言った。
まあ、そのとおりだなと思った。
当時は三千院を三千里と間違える人がけっこう多かったなと思う。

女ひとり。懐かしい歌。最近は知らない人が多いだろうなと思う

ウィーンフィルハーモニー管弦楽団演奏会 フェスティバルホール 大阪 2019年11月10日

2019年11月12日 | 音楽
昨日はフェスティバルホールにウィーンフィルハーモニー管弦楽団演奏会を聴きに行った。指揮はクリスティアン ティーレマン 
前半は
リヒャルト・シュトラウスの交響詩ドンファンとティルオイレンシュピーゲルの愉快ないたずらが演奏された。

演奏が始まる前、舞台のそでからホルンがヘンデルのもろびとこぞりてのテーマの音を出していた。今日の演奏曲目の中にこのテーマが出てくるのがあるのかと思ったけれど結果的にはそれはなかった。なのでクリスマスも近いしちょっとホルンの奏者が思いつきで遊んだのだと思う。まあ、いい思い出になったけれど。演奏前の練習でホルンがもろびとこぞりてのメロディを吹いていたぜ、というこどで、、。

ドンファンの冒頭の音がなったときに明るくて独特のつやがあり柔らかい音色と思った。楽器はステージの後ろの方に管楽器が横に広くズラーッと並んでいて壮観だった。ただ、ホールが広いということもあると思うけれどフォルテのところでも耳をつんざくような大音響というわけではなく、オーケストラの音量のマックスに至るにはまだ幾分かのゆとりがあるという感じだった。そういう意味では全体にマイルド感のある音であったと思う。

演奏がある程度のところまで進んだときに音楽の場面に応じた表情のつけかたか自然に変化してかつ場面にとても順応したものであることに思いがいたった。ふだんCDで聴くときにはあまり意識しないけれどこの交響詩が物語のある音楽であることに思いがいたる。

こういう音楽の表情に応じた演奏の表情の変化というのはうまいというよりも楽員の一人ひとりのメンバーが身につけているものをそのまま表現すればおのずとそうなるという感じでそういうところがいかにもウィーンフィルらしいなと思った。うまいというよりナチュラル。それがウィーンフィルかなと思った。指揮者がゆったりとした動作でことさらオーケストラをドライフしようという意図がその指揮の姿からあまり感じられず、オーケストラの自発性を活かすという方向性を持っていたことも良かったのだと思う。

僕はティーレマンさんの経歴をとくに調べたことはないのだけれどその音楽の進め方を見ているとなんだかオペラの指揮に精通しておられるような印象を受ける。

個々のプレーヤーももちろんうまいけれど楽器もちょっと独特の音色だなと思った。

ときどき金管楽器の音がが舞台のそでから聴こえてくるような耳の錯覚におそわれたけれど目をこらすと音はステージの上から出ているようだった。なんかそういうところも独特の魔法のような感じだなと思った。これもきっと楽器の音色に独特のマイルドさがあるからそうなるのだろうと思う。

コンサートの後半はヨハン・シュトラウス二世のジプシー男爵序曲、ヨーゼフシュトラウスの神秘な魅力作品173とワルツの要素を含む二曲が演奏される。メロディーの歌い方が情感たっぷりで、三拍子のリズムの刻みかたにもちょっと真似のできないような独特の揺らぎがある。聴いていてうっとりとした。

続いて演奏されたリヒャルト・シュトラウスのバラの騎士でもワルツは出てくる。やはり他のオーケストラでは聴けないような拍子のとり方と歌い方がすごいなと思った。あと言葉でなかなか表現できないけれど、音が小さいところでもなんか積極的な感情が込められているように感じる。小さい音に積極性が感じられるという思いを抱いたのはちょっと僕にとっては珍しいことだなと思った。

悲しい感情、緊張した感情、楽しい感情、いろんな感情が自然に表出されてくる感じで、音楽って本当に人間のあらゆる感情を込めることができる芸術なんだなということに今さらのように気づかされる思いだった。

意図して感情を込めて演奏しているというよりも、自分達が持っているものを自然に出しているという感じで、なんかそういう演奏ってそんなに頻繁に聴けるものではないなと思った。バラの騎士で音が小さいところがとても情感豊かに演奏される様に接して、音楽の都ウィーンで最高のオーケストラが演奏しているんだもんなという思いが込み上げてきた。本当に夢見心地でいいコンサートだった。

楽器が横に広くズラーッと並んでいて見ていて壮観だった。けれど弦楽器は指揮者の左からファーストバイオリン チェロ ビオラ セカンドバイオリンの古典配置(対向配置)だった。コントラバスも左奥だった。最近は楽器の並び方も色々だなと思った。

近年はウィーンフィルの演奏でも指揮者によってはピリオド奏法の影響が感じられる演奏が入っているようなCDもあるように思う。しかし。ティーレマンさんの場合、そういうのとは距離をおいているようで、むしろ20世紀中頃の感覚を思い出させてくれるような演奏でなんかそういうところもなんとも言えない懐かしさの込み上げてくるような一日だった。

具体的にはなんかカールベームさんが頻繁に指揮していた頃のウィーフィルを思い出すような感じでなんだかそういう意味でのノスタルジーにひたることもできた。いい思い出になった。







トイカプセルの自動販売機

2019年11月09日 | 日記
隣の町の百貨店のCDショップの入り口の傍らにトイカプセルつまりカプセルに入ったおもちゃの自動販売機がおいてある。大人が買い物をしている間にその販売機のところでじっとカプセルにはいったおもちゃを見ている子供はけっこう多い。

今日、ハイドンの交響曲の聴きたくなってちょっとCDショップにいったらトイカプセルの自動販売機のところに3才くらいの女の子が張り付いていた。

お父さんがエスカレーターの方に進んでいくとその子は泣き出した。おもちゃがほしいのだと思う。しばらくお父さんはエスカレーターに乗らずに女の子の様子を見ていた。それからもう一度お父さんがエスカレーターに乗ろうとすると女の子はまた泣き出した。

お父さんは仕方なく半ば無理矢理女の子の手を引いてエスカレーターの方に進んでいった。女の子は泣きがらお父さんに手を引かれていった。それはやむを得ない。子供がむずがるのにあわせておもちゃを買っていたらきりがない。子供になめられて泣けば買ってもらえると思われたらもうおしまかもしれない。お父さんも辛いところだと思う。

お父さんは子供に理由も説明せずに黙って手をを引いていったけれど、あの状態では子供も今日はおもちゃはだめと言っても聞き入れてくれる状態ではなかったと思う。本当につらいところだけれど仕方がない。

僕が通っていた幼稚園の近くに駄菓子屋があった。そこにトイカプセルの自動販売機がおいてあった。僕と同い年のN君は僕と違う幼稚園に通っていたけれどその幼稚園のそばにすんでいた。

ある日そのトイカプセルの自動販売機のところでN君は友達に「これはカプセルの中におもちゃが入っている。ここに10円を入れてここのレバーを回すとカプセルが出てくる」と言って自動販売機のしくみを説明して、自分も10円玉を入れてガチャンとカプセルを取り出して大切そうにそれを持ち帰っていった。

幼稚園からの帰り道、僕はそれを眺めて説明のうまい子やなあと思った。カプセルという言葉を知っていることがすごいと思った。そして買ったものを大切に持ち帰る子やなあと思った。

そのN君という子は僕と同じ年に僕と同じ高校を受験してトップで合格した。大学も旧帝国大学と言われるところに進学した。顔に特徴のある子だったのでその幼いときのトイカプセルのことを僕は妙に覚えていた。しかし賢い子というのはもう幼稚園の年齢から賢いのだなとしみじみと思う。

立冬

2019年11月08日 | 日記
今日は立冬。暦の上では今日から冬。昨日入った喫茶店ではクリスマスソングが一曲流れた。これからクリスマスソングが流れる頻度がどんどん高くなったいくのだと思う。

数日前に行ったホームセンターにはもうクリスマスの飾りつけをする材料も入り口の前の広いスペースで売られていた。今年も気づけばあと二ヶ月だなあと思う。本当に早いこと、、、。

新聞をみると近畿大学アメリカンフットボール部の学生が学内で着替えをする女子学生を盗撮したとして3月に退学処分になったと出ている。近畿大学のアメフト部って名門のひとつなのに本当に情けないことと思う。

僕が高校生の頃、男子更衣室と女子更衣室を仕切る板張りの壁に節穴があいていた。スズキ君という子がその節穴からむこうをのぞいていた。それを見た僕はわざと女子更衣室に届くような思いきりでかい声で「スズキ、のぞくな」と言った。回りにいた友達は僕の意図を察したようでみんな笑った。スズキ君は仕返しにでかい声で「ケンボウ、裸で更衣室の中走るな」と言った。むろん僕は更衣室の中を裸で走っていたわけではないけれど。

スマホなどない時代ならその場かぎりの友達同士の笑い話ですんだことが今は深刻な事件になってしまうようにも思う。ひょっとしたらスマホで盗撮した学生は節穴から向こうをのぞく高校生とそんなにかわらないノリでやったのかもしれない。しかし、スマホにそれを収めたらもう軽い気持ちではすまされない。

アナログの時代なら盗撮などしようと思ったら、専門的な機材を備えなければならなかったのだと思う。仮にそれで盗撮に成功したとしてもフィルムを現像に出したときに写真館のおじさんにばれてしまう。それを避けようとしたらフィルムの現像も自分でしなければならない。もうセミプロ級の努力をそういうことには要するような気がする。

ひるがえって今はちょっと魔が差したらポケットからスマホを出せばワンタッチで動画でもとれてしまう。そしてそれをいともたやすくネットで世間に拡散できてしまう。本当にそう考えると怖い時代だなと思う。であるからこそ、お互いの権利や人格を尊重するように日頃から努めることが何よりも大切なのだと思う。

そういう世の中でありますように。