ケンのブログ

日々の雑感や日記

11月15日

2019年11月15日 | 日記
相撲放送をちょっと聴いていた。大関高安が負けたVIRを見て北富士さんが「はっきり言わせてもらえば、このまま出てもよくなるとは思えない。ここは休んで次の場所にかけたほうがいいと思う」という趣旨の発言をされた。

素人目に見ていても高安は立ち会いのあたりも本来の迫力がなく、動きもどことはなく身体のどこかをかばっているような感じで確かにちょっとこれは勝ち越しは難しいかなとも思う。


たまにこういう本音を解説の方が言うのもいいのだろうと思う。それでいて。北の富士さん調子に乗りすぎて口は災のもととならないように気をつけてと思っている僕がいる。

北の富士さんはその言葉に続けて一緒に解説していた二人の親方に「二人は現役の親方だし他の部屋の力士のことを言いにくい面もあると思うけど、はっきり言ってどうなのここは高安休んで来場所にかけたほうがいいんじゃないの」と話をふった。

現役の親方は二人とも高安は本来の力が出ていないと言いつつも休んだほうがいいとは一言も言わなかった。それはそうだとおもう。他の部屋の力士ましてや大関のことをとやかく言えるものではない。

しかし「現役の親方だから言いにくい面もあると思うけど」という言葉をはさむことで現役の親方はしゃべるときにずいぶん気が楽になる。だから思いっきり高安が本来の力が出ていないことを強調しつつも進退については言及しないということになるという側面も大いにあると感じる。こういう言葉遣いはいかにも北の富士さんらしいなと思う。

横綱貴乃花が現役のとき足を怪我したにもかかわらず横綱武蔵丸を優勝決定戦で破って奇跡の優勝と言われたことがある。ときの小泉総理大臣は内閣総理大臣杯の授与のとき土俵の上で「痛みに耐えてよくがんばった。感動した」と語った。そのこともけっこう話題になった。

後に武蔵丸がテレビに出て「あのときはみんなに弱いと言われた」と言って泣きべそをかいてしまったことがある。そのとき一緒にテレビに出ていた北の富士さんは「相手も怪我していたし、やりにくかった面もあるんじゃないの」と言っていた。そのときのことをしみじみと思い出す。

言いにくい面もあると思うけれど、というのとやりにくかったんじゃないのというのは同じ発想で北の富士さんの中ではそういう発想がひとつの考え方として身についてしまっているのだと思う。


玉鷲が貴景勝を破ってインタビュールームに呼ばれたとき何を話したかは忘れてしまったけれどアナウンサーの話をまともに聞いてけっこうまともににこやかに答えていた。

最近インタビュールームに呼ばれてもアナウンサーに詳しく突っ込まれる前に「はい、はい、思い切っていくだけです」と話を切り上げてしまう力士がおおいけれど、まともに話を聞くところがまた玉鷲らしいなと思う。

思えば昔の力士はインタビュールームにくると嬉しそうに「はい、おかげさまで。」と答えていた。


最近の力士のインタビューが単調になるのもメール、ラインなどの時代で口で話す言葉の力が衰えてしまった若者のご多分にもれないという面もあるのかもしれないと思う。

昔、おじと一緒に相撲のテレビを見ていて大関か横綱を破った力士があまり何度もおかげさまで、を繰り返すので僕が「あの力士、おかげまばっかり言ってるね」と言ったら「そうや、インタビューのアナウンサーが後ろから押してやったわけでもないのにな」とおじが言っていたことをしみじみと思い出す。今から思えば昭和っていい時代だったな。令和もいい時代でありますよに。