ケンのブログ

日々の雑感や日記

白鵬の優勝 解説北の富士さん

2019年11月25日 | 日記
大相撲九州場所は白鵬が優勝した。43回目ってすごいなと思う。大鵬の優勝回数が32回でこれはもう破られない記録かと思ったこともあったけれどもうそこから11回差をつけてしまった。

ぶっちぎりの記録。優勝11回するだけでも歴史に残る強い部類の横綱と言えるのに大鵬と優勝回数で11回のさをつけたってちょっと考えられないことと思う。ちなみに大相撲解説北の富士さんの優勝回数は10回。

白鵬と大鵬の優勝回数の差にも及ばない。それを考えると白鵬の記録って人間業じゃないなと思う。もちろん北の富士さんは優勝10回で十分一時代を築いた横綱と言われている。

まあ、その北の富士さん、弟子の千代の富士に優勝回数超えられたとき「もう、オレあいつに何も言うことないよ」とよく言っていたけれど。

白鵬もこれだけ優勝すれば大鵬のように昭和の高度成長期だったら間違いなく国民的大ヒーローだったろうに令和の時代だとヒールだかヒーローだかわからない。まあそれはそれでいいんだけれど。

九州場所千秋楽最後の取り組み白鵬と貴景勝の対戦、白鵬は立ち合い手を出してうまく左の上手をつかんで一気に正面黒房下により立てた。白鵬は左上手十分、貴景勝は上手が遠く腕がだらーんと伸びている。

一気に白鵬がよって勝負が決まるかと思ったら黒房下の土俵際でじっとして動かなくなってしまった。白鵬何をやっているのだろうと思った。寄り切りで勝つか、貴景勝が動いたタイミングで転がそうとしているのか。

もうこの体勢だったら勝つことは間違いないのだからどの決まり手で勝つかにこだわっているのかなと思った。

アナウンサーは「白鵬慎重です」と繰り返している。結局長い間黒房下でじっとしていて白鵬は左上手をひきつけて寄り切って勝った。この勝ち方ならこんなに時間かけなくてもいいのにと思った。貴景勝は正面のテレビカメラに白鵬の前になすすべもない姿をお尻の側から長い間映されていい迷惑だったかもしれない。

勝負が決まったときアナウンサーが「いやあ、白鵬慎重でしたねえ」と言った。すると北の富士さん「いやあ、慎重と言うよりも、ながいこと時間かけて楽しんでたんじゃないの。すぐに決めてやりゃあいいのに。本当に人が悪い、白鵬は」と言った。本当に北の富士さんてここというときにどうしてこんなに粋でいなせでぐっと心に来るセリフが言えるんだろう。実にに千両役者だと思う。

アナウンサーも北の富士さんの発言に期待してわざと「慎重でしたねえ」と話を振っているフシがある。もう北の富士さんの解説だと相撲中継もエンタテイメントのプロレス中継になってしまう。
 
白鵬が御嶽海と対戦する前の日アナウンサーが北の富士さんに話を振った「明日は御嶽海との対戦ですが御嶽海期待できますかね」と。「いやあ、御嶽海の今日の相撲見てると期待できないね」と北の富士さんは言った。「しかし御嶽海は朝乃山にはいい相撲とりましたよ」とアナウンサーが言った。すると北の富士さんは「ああ、あの相撲なら期待できるね」と言った。本当に期待できるのかできないのかわからなくなってしまう。

「今日の貴景勝とか阿炎には立ち合い手を出していくのが白鵬の常套手段でしょう」と北の富士は言った。たぶん白鵬、張り手のことでいろいろ言われているから、張るという言葉を避けて手を出すと言ったなと思った。「白鵬も晩年、いや年取ってくるとね」と北の富士さんは言った。晩年はまだ白鵬が引退してないのに失礼と思って年取ると言い換えたなと思った。本当に北の富士さんの解説は大胆にして細やかだなと思う。辛口なのか甘口なのかわからなくなってしまう。




もろ邪魔になってるやん

2019年11月24日 | 日記
昨日スーパーマーケットに行った。狭い通路で僕はお菓子を見ようとしていた。狭い通路なのでお菓子の場所を背にして女性は僕が通り過ぎるのを待っていた。僕は女性が場所を移動しなければお菓子を見ることができない。女性は僕がお菓子の前を通り過ぎるのを待っていた。僕は女性がお菓子の前から立ち去るのを待っていた。

数秒が経過して女性は僕が待っていることに気づいた。その瞬間その女性は
「あっ、私もろ邪魔になってるやん」と少し大きい声で言った。「そんなの、別にいいですよ」と僕は言った。すると女性はお菓子の前を開けて通路の向こうの端の方へいなくなった。

ああ、あの人ちょっと変わってるけどいい人だなあと僕は思った。僕も「邪魔してましたね、ごめんなさい」という言い方することある。僕と同じような種類の人間かもしれないと思った。同じ種類の人間だからお互いが立ち去るのを待ってしばらく時間が経ってしまったように思う。お互いに待っているから。

またヨーグルトの売り場の前でその人と鉢合わせた。僕が会釈するとその人も会釈した。お勘定のときまだいるかなあと思ったらそのときはもういなかった。



朝晩寒く

2019年11月20日 | 日記
朝晩ずいぶん寒くなりだんだん本格的に冬だなと思う。
世の中いろんな事件があるけど沢尻エリカさんの薬物のニュース
10年くらい前から薬物使っていたとタブレット紙に出ている。
本当だとしたら立ち直るのにずいぶん努力が必要だろうなと思う。
70代の女性が夫と親3人も一人で介護していて
こらえきれなくなって3人殺してしまった疑いがあるという
ニュースも出ている。本当につらい世の中ではあるなと思う。
すこしでもいろいろ良い方向に向いていきますように。

京都市交響楽団第640回定期演奏会

2019年11月17日 | 音楽
昨日は京都コンサートホールに京都市交響楽団第640回定期演奏会を聴きに行った。指揮はシルヴァン・カンブルラン

最初に武満徹の夢のとき〜オーケストラのための が演奏された。
僕にとってはもわーっとした感じの音楽でいろいろ表情が変化していることは感じたけれど退屈だった。

次にハイドンの交響曲第104番ニ長調「ロンドン」が演奏された。

第一楽章
冒頭の金管に乗ったティンパニーの連打がきれいに決まって気持ちよかった。イントロが終わって音楽が主部に入るとハイドンの交響曲って聴いていて楽しいなという思いがこみ上げてきた。聴いていて楽しいという音楽の本質を具現した作曲家、それがハイドンなのだなと思った。演奏は元気いっぱいというよりもちょっと音を抑え気味にした表現でそれがなんとも言えないふわっとしたマイルド感を出していて聴いていて心地よかった。楽章の最後の音の残響が美しかった。

第二楽章
最初の音が出たとき優雅で気品のある演奏と思った。明るくなったり影がさしたり演奏の表情が豊かでハイドンの音楽の曲想の変化ということに気づかされる思いだった。モーツァルトとはタイプが違うけれどハイドンの曲想の変化もまた豊かなのだと思った。

第三楽章
ここもチャーミングでいい感じだった。特にトリオの演奏が可愛らしくてユーモアにあふれていた。いい感じと思った。第二、第三楽章を通して演奏のポーズを長めにとるところが随所にあってその都度、残響がなんとも言えず美しかった。金管のトリルが美しくバロック音楽を想起した。

第四楽章
短いイントロに続いてテーマが鳴ったときハイドンのフィナーレってこれで音楽がおしまいという別れの気持ちが漂っているんだなと思った。本当にいい演奏だった。この楽章も最後の音の残響が印象に残った。

最近、京都市交響楽団の演奏を通じて京都コンサートホールの残響って美しいんだなと思う瞬間が何度かあった。そういう瞬間に遭遇するというのは地元の者にとっては嬉しいことと感じた。

20分の休憩をはさんで次に演奏されたのがストラビンスキーのバレエ音楽
「春の祭典」

曲が始まると管楽器群がとても存在感のある音を出していてなんだかすごいなと思った。弦楽器群もとても気合が入っているようで指揮者の方にみんな集中して一心に音を出している感じだった。

ただ、春の祭典、CDは録音の古い廉価版を持っているものの2,3年に一度くらいしか聴かないので曲をよく知らない。交響曲のように楽章ごとの切れ目もないので、後半になると集中力が切れてきて頭がぼーっとしてしまった。曲を知っていたらもっと感動したのにと思った。

途中で大太鼓がとても鋭く鳴ってギクッとしたので目をこらして見たら女性の奏者でちょっと驚いた。見ると楽器と自分の立ち位置などを工夫して全身のバネを使って巧みに演奏している感じでなんかいいなと思った。

ポーズを長めにとって残響をたっぷりと聴かせるさまがハイドンの演奏と似ていると思ったりした。プレトークのときに指揮者の方がハイドンとストラビンスキーの関係を語っておられたように思うのだけれど荷物をおいたり携帯の電源offを確認したりするのに気を取られてほとんど話を聞いていなかった。もう少しまじめに話を聞いておいたらよかったと後悔した。

でも、本当にハイドン ストラビンスキーと充実した演奏でいいコンサートだった。

今年の定期演奏会はこれが最後。また来年に期待したいと思う。

演奏会に来てホールに入ったときクロークの前辺りに広上淳一さんがいらした。僕は視力があまりよくないので人違いの可能性もあるけれど多分広上さんだったと思う。自分の出番以外でもホールに来てくださることを嬉しく思った。


11月15日

2019年11月15日 | 日記
相撲放送をちょっと聴いていた。大関高安が負けたVIRを見て北富士さんが「はっきり言わせてもらえば、このまま出てもよくなるとは思えない。ここは休んで次の場所にかけたほうがいいと思う」という趣旨の発言をされた。

素人目に見ていても高安は立ち会いのあたりも本来の迫力がなく、動きもどことはなく身体のどこかをかばっているような感じで確かにちょっとこれは勝ち越しは難しいかなとも思う。


たまにこういう本音を解説の方が言うのもいいのだろうと思う。それでいて。北の富士さん調子に乗りすぎて口は災のもととならないように気をつけてと思っている僕がいる。

北の富士さんはその言葉に続けて一緒に解説していた二人の親方に「二人は現役の親方だし他の部屋の力士のことを言いにくい面もあると思うけど、はっきり言ってどうなのここは高安休んで来場所にかけたほうがいいんじゃないの」と話をふった。

現役の親方は二人とも高安は本来の力が出ていないと言いつつも休んだほうがいいとは一言も言わなかった。それはそうだとおもう。他の部屋の力士ましてや大関のことをとやかく言えるものではない。

しかし「現役の親方だから言いにくい面もあると思うけど」という言葉をはさむことで現役の親方はしゃべるときにずいぶん気が楽になる。だから思いっきり高安が本来の力が出ていないことを強調しつつも進退については言及しないということになるという側面も大いにあると感じる。こういう言葉遣いはいかにも北の富士さんらしいなと思う。

横綱貴乃花が現役のとき足を怪我したにもかかわらず横綱武蔵丸を優勝決定戦で破って奇跡の優勝と言われたことがある。ときの小泉総理大臣は内閣総理大臣杯の授与のとき土俵の上で「痛みに耐えてよくがんばった。感動した」と語った。そのこともけっこう話題になった。

後に武蔵丸がテレビに出て「あのときはみんなに弱いと言われた」と言って泣きべそをかいてしまったことがある。そのとき一緒にテレビに出ていた北の富士さんは「相手も怪我していたし、やりにくかった面もあるんじゃないの」と言っていた。そのときのことをしみじみと思い出す。

言いにくい面もあると思うけれど、というのとやりにくかったんじゃないのというのは同じ発想で北の富士さんの中ではそういう発想がひとつの考え方として身についてしまっているのだと思う。


玉鷲が貴景勝を破ってインタビュールームに呼ばれたとき何を話したかは忘れてしまったけれどアナウンサーの話をまともに聞いてけっこうまともににこやかに答えていた。

最近インタビュールームに呼ばれてもアナウンサーに詳しく突っ込まれる前に「はい、はい、思い切っていくだけです」と話を切り上げてしまう力士がおおいけれど、まともに話を聞くところがまた玉鷲らしいなと思う。

思えば昔の力士はインタビュールームにくると嬉しそうに「はい、おかげさまで。」と答えていた。


最近の力士のインタビューが単調になるのもメール、ラインなどの時代で口で話す言葉の力が衰えてしまった若者のご多分にもれないという面もあるのかもしれないと思う。

昔、おじと一緒に相撲のテレビを見ていて大関か横綱を破った力士があまり何度もおかげさまで、を繰り返すので僕が「あの力士、おかげまばっかり言ってるね」と言ったら「そうや、インタビューのアナウンサーが後ろから押してやったわけでもないのにな」とおじが言っていたことをしみじみと思い出す。今から思えば昭和っていい時代だったな。令和もいい時代でありますよに。