ケンのブログ

日々の雑感や日記

お宮はもう新年の飾りができていた

2017年12月29日 | 日記
今日、隣町のN神社へ行った。
境内を見て回るととのお堂も鳥居ももう新しい
しめ縄に取り替えられていた。
このお宮は初詣の日にお堂の前で焚き火をするのだけれど
焚き火の準備もできたいた。
薪が組んであるのでもうあとは火をつけるだけという
状態だ。
薪と言って思い出したけれど僕が子供の頃、僕の家は
薪で釜を炊いて釜が熱くなるので浮き蓋を沈めて入る五右衛門風呂だった。
幼い頃は自分でこの浮き蓋を沈めることができずに
一緒にお風呂に入る大人に沈めてもらっていた。
小学生になって、自分で浮き蓋を沈められるようになると
僕も成長したもんだなあと小学生ながらに思った。
十返舎一九の東海道五十三次の物語に
たしか五右衛門風呂騒動というのがあったと思うけれど
あの話は自分が五右衛門風呂を経験しているので
とても印象に残った。
といってもストーリーの終止はもう覚えていなくて
五右衛門風呂に浮き蓋を沈めて入るべきところを
下駄をはいて入ってしまったことが騒動の発端だったということだけ
記憶している。
今の時代となっては五右衛門風呂と言ってもなにそれ
となるかたが多いと思う。
というか僕が子供の頃も家が五右衛門風呂という人は
そなんにいなかったと思う。
それはともかくとして、お宮のしめ縄のところには
うらしろもあつらえてありきれいな感じだなとおもった。
隣町市内のお花やさんにはうらしろがたくさん売りにでていたけれど
そういうことなのかと思った。
境内では子供が3人くらい遊んでいた。
お宮の備品を女の子が悪びれることなく手にしていたので
きっとお宮の神職さんの子供さんなのだろうと思った。
僕はお宮の境内ではないけれど祖父が経営していた
あんこの製造工場の敷地でよく遊んだので
そこであそびたい気持ちはなんとなく想像がつく。
新年の飾りつけはもう終わっている。
初詣の日のように参拝客で境内がごった返しているわけではない。
もう子供にとってはあそびたいという気持ちをこんなに
駆り立てられる時はそんなにないだろうなと思う。
ドストエフスキーがある小説に
コロンブスがもっとも興奮したのはアメリカ大陸到達のときではなく
アメリカ大陸到達の直前であるという主旨のことを書いていたと思う。
まさに、お宮の飾り付けも終わってまだ参拝客はなだれこんでいない
この時期が一番遊んでいて楽しいときなのだと思う。
そらは曇り空だったしお宮はピカピカになっているわりには
ほんとうにひっそりとしていた。
お宮の隣の市民劇場も今日は門がしまっていた。
きっと官庁がお休みの期間、市民劇場もお休みなのかなと思う。
ちなみに僕も昨日、100円ショップで買ってきたしめ縄を
マンションの玄関ドアに飾った。

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