今日の新聞の編集手帳は、こんな書き出しになっている。
“”
まど みちお作品の中に1行しかない詩がある。「ケムシ」と題し詩人は書いた。
〈散髪は きらい〉“”
確かに、ケムシは散髪などしないので、嫌いなのだろうなと思う。
この編集手帳は「公園などを歩けば、チョウが花々の間を飛び回っている。小さな命の輝きに出会える季節が来ている」と結ばれている。
文章全体として、小学生によるカブトムシの観察の成果のニュースとからませながら、いろいろ想像力を働かせ、そして自然を観察しようという内容になっている。
コロナのときだからこそ、生命を見つめ直してみようという気持ちで編集手帳の筆者は文章を書かれたことと思う。
ところで、まどみちおさんといえば、團伊玖磨さんが作曲された「ぞうさん」という童謡の作詞も有名。というか僕はそれしか知らない。恥ずかしながら、、、。
その2番の歌詞はこんなふうになっている。
“”ぞうさん ぞうさん だれが好きなの
あのね 母さんが 好きなのよ“” と。
あのね、という言葉の使い方が僕はとても好き。
好きな人のことを誰かに打ち明ける時のためらいがでているところがいいなと思う。
本当に心から好きな人のことを誰かに打ち明けるときって、どんな人にもある種のためらいってあると思うから。
もちろん團伊玖磨さんの作曲も好き。
ぞうさんの、おもい感じ、ユーモラスな感じがよく出ているとおもう。
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僕にとっては久々に、大阪 北のターミナルに行く。
駅のエスカレーターを降りたところにある、フラワーショップがしまっている。
あれ、と思ってあたりを見回すとしまっているお店だらけ。
いやあ、実際に、その様子を目の当たりにすると、緊急事態宣言中なんだなという実感が、湧いてくる。
昨年、初めて、緊急事態宣言が出たときは、みんな、マスクをして乗り切るぞという感じだったようにおもう。
今日、北の、ターミナルを歩いていると、なんだか僕も含めて、こんなこといつまで続くんやろう という感じの顔をして歩いている人が多いように感じられる。
本当に、今日は、僕も道を歩きながら、先の大戦が、昭和16年から20年まで、4年足らず。そのくらいはかかるのかなあ とつい、考えてはいけないことを考えてしまっていることに気づく。
コロナになったらという心配ももちろんあるけれど、生活のパターンが制約を受けることが、しんどいなとはおもう。
辛抱するという意味での気力が続きますようにということを心の中で祈っている。
僕にできることは、まず、マスクと手洗い。
できることをやって、あとは、なるようになるという気持ちを持つことも大切だと個人的には思っている。
少なくとも、今の、状況を見る限りでは、コロナを封じ込めるという考え一辺倒ではむりがあるような気がするし、、、。
一日、いちにち無事に過ごせますように、それを第一に願っていきたいとおもう。