先週 学生時代の友人が岐阜 犬山を訪ねてくれて 一緒に岐阜長良川の鵜飼いを見た。
鵜飼に先立って長良川の川岸で 鵜匠さんによる鵜飼の説明がある。
川岸に鵜匠さんが説明する台が設けてありそのうえで鵜飼の装束をまとった鵜匠さんが鵜飼について一通り説明をしてくださる。
これから鵜舟にのって鵜飼を見る人は川岸でそれを聴くことになる。
説明する鵜匠 それに川に向かって鵜匠を見る形で聴き入る人たち。
そのさまを見て、友人が「これは祭りだなあ」という。
確かにそうだと思う。これから鵜飼のために川に繰り出す出陣式のような雰囲気。
確かに祭りというイメージ。
例えば 岸和田でこれからだんじりで街に繰り出そうとしている人たちの気持ちと相通じるものがあるかも と思った。
舟が川に繰り出したのは午後6時過ぎ。でも夏至に近いのでまだ明るい。
川底の石が見える。 小中学生のころこの川の中流域で泳いでいた記憶をその石が呼び覚ましてくれる。
複数の船が川に繰り出したのだけれど 僕たちが乗った舟の最も近くにいた舟は とも乗り と言って船尾で舟を操る人が女性だった。
そのとも乗りの方の棹(さお)の操り方を見ていると かなり体力のいる仕事なんだなあと思う。
ちょっとした休憩時間にその方が 棹を斜めに立てるようにしてポーズをとっておられるのを見て 川と空の間の空間で長い棹がすっと伸びているさまは美しいものだなあと思った。
そして 葛飾北斎の「御厩河岸より両国橋夕陽見」という版画は舟の真ん中に乗る人が天に向かってやはり棹を立てていて その棹のスッとしたさまが とても印象深かったことを思い出した。
美しさには時と場所が違っても共通するものがあるのだなあと思った。
たぶん そういう 美の共通性を巧みにとらえ 統合性のある芸術が ずっと 後世にも幅広く残っていくのだろうと思った。
一通り鵜飼が終わった後にはあたりはもう暗くなっていた。
おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな 松尾芭蕉
といきたいところだけれど まだ やがて悲しき というには 街はにぎやかだった。
柳ケ瀬界隈はさびれてしまっているのに 長良川 金華山というと やはり 岐阜もいいところだなと思う。