7月29日付の読売新聞のコラムに「へそ天」という言葉の意味が書いてある。
文脈によって意味が異なるようで この文脈ではこう というように場合分けして 意味が書いてある。
その 文章の中で 医療現場における「へそ天」という言葉の意味も説明されている。
医療現場で「へそ天」を言えば 丸くて深く上向きにしっかりついている おへそのことで それは 健康の鏡であると書いてある。
逆に 「腸に異常が出るとへその形が微妙に変わる」。とも書いてある。
それを 読んで 僕は岐阜県民謡郡上節の歌詞を思い出した。
こんな 歌詞だ。
「嫁入りしたけど しあわせわるて へそが出べそで 帰された」と。
僕は これは 郡上節特有の 面白おかしい歌詞だと思っていた。
もちろん そういう側面は多分にあると思う。
しかし、新聞に書いてある「へそ天」の語義にちなんで 出べそについて調べてみると 医学的には 脱腸の状態になると 出べそなる と書いてある。
そうか へそが 出べそで 帰された というのは 嫁の健康上の意味合いもあるのか とそれを見て思った。
そう考えると 民謡の歌詞というのは 面白おかしく書いてあるようで 実は いろんな智恵がそこには 含まれているのだなと思う。
「踊り踊って 嫁の口なけりゃ 一生後家でも ササ構やせぬ」
という歌詞も郡上節にはある。
これを 見ると なんとなく 踊りが 出合いの場であることが推察される。
まあ、僕も 踊ったことはあるので 実感として それはわかる。
現代風に言えば ディスコが出会いの場になりうることと同じだ。
しかし 踊って 嫁の口 なけりゃ 一生後家でも構やせぬ
と笑い飛ばしてみることも 心のために大切なような気がする。
今日の 新聞の 人生相談に 結婚して子供もいるけれど、夫がゲイで 女性として愛されていなかったことが悲しい、子供が成長したので離婚も考えている という要旨のものがあった。
人の 悩みは 本人にしか わからないことだけれど 離婚が一つの選択肢であると同時に 時にはそういうことを心の中で笑い飛ばしたりして そういう夫と 婚姻を継続するのも一つの選択肢なのではないかと ごく個人的に僕は思う。
あくまで個人の感想だけれど。
それは ともかく いちにち いちにち 無事でありますように それを第一に願っていきたい。