新聞に日本語の大疑問という本の宣伝が出ている。
こういう本ってなんとなく経験上、週刊誌と一緒で、中身を読むよりも見出しだけ見て想像して楽しんだ方がいいという場合も結構ある。
※もし違っていたら出版社の方と本を書いた方にごめんなさいとあらかじめ謝ります。
その見出しの中に「あのー」「えーっと」の多い人は実は上手というのがある。
この見出しを見て僕、昭和の時代の総理大臣 大平正芳さんを思い出した。
以前にも僕のブログで書いたことあるけれど、大平さんは話の中に「あー」とか「うー」が多いけれど、大平さんの話から「あー」とか「うー」をとると見事に一つの文につながるということも当時まことしやかに言われていた。
確かに、そういわれればそうだなと僕も思っていた。
テレビの座談会で名前はちょっと忘れてしまったけれど当時のたぶん社会党の委員長に「自民党は議会では過半数を占めていますが、実際の得票率は4割しかないんですよ」と指摘されたとき
「えー まあ そういう社会党さんはその半分にも満たないことをお忘れなく」とポーカーフェイスで答えておられてすごいなと思った。
とつとつとしたしゃべりで、かつポーカーフェイスで返されて社会党の人は一瞬 撃沈という感じだった。
味わいのある言葉を話す政治家が減ったなと思う。
たぶん、いまは、素人でも、話した音声がいくらでもデジタル技術で再現できるから、あとから失言で炎上することなどに気を使って、思い切り話しができなくなっているのではないかと思うこともある。
デジタル技術による変化といえば、相撲の勝負判定も、昔は、どちらに攻めていった勢いがあるかということが判定の際にかなりものを言ったけれど、今はビデオで見て、どちらが攻めているかに関係なく、同時に出たり、同時にたおれたりしたように見えるときは取り直しになるというケースが多いように思う。
あれも、取り直しにしておかないと、翌日、精巧なデジタル映像が出たりすると、もう言い訳がきかないから、映像的に見て微妙なものは取り直しということになるのだと思う・。
つい一か月前の、大相撲九州場所でも大関正代が、一方的に押し込まれて、かかとがぎりぎり残っていて、苦し紛れにはたいたら、映像の上では、正代の足が出るのと、相手の体が土俵につくのが同じくらいに見えた。
勝負の勢いということを加味した判定なら、正代の負けだったと思うけれど、映像では同時に見えるので取り直しになったケースだと思う。
昔は、死に体という言葉があった。これは、すでに自力で起き上がることのできない体勢で、あとは慣性の法則で、ほっておいたらそのまま、倒れるか土俵からでるしかないという状態のことを言った。
この状態は勝負の判定に加味されることが多く、そういう場合には審判長は例えば「正代の体がすでに死んでおり相手力士の勝ちとします」という説明の仕方をしていた。
今は、そういう死に体ということが勝負判定に加味されるケースが減ったなと思う。
でも、あのとき北の富士さん「本番だからいいけれど、正代もこんなに後ろに下がって、けいこ場でもう一丁、取り直しなんて言ってたら、まわりから馬鹿野郎って言われちゃうよ」と言っていた。
暗に、正代が勝負では負けていると北の富士さんは言いたかったのかもしれない。
自分が言いたいことを、うまくオブラートに包んで言うことにかけては北の富士さん天才的だなと思う。
でも、そういう言い回しの技術があるから、70歳を過ぎても解説に呼んでもらえるのだと思う。
僕も見習いたいのだけれど、なかなか言葉がでてこないから、、、。
こうやってパソコンに向かうと次々出てくるようにも思うけれど、、、。
ついでにもう少し書くと、菅政権の最後のように、もう辞職することが分かっている内閣のことを死に体の内閣と表現することもある。
会社で格闘技の好きな僕の先輩は、最近は死に体という言葉が通じなくなったとぼやいていた。
時代の流れや、技術革新のために人の言葉や、社会の習慣も変わっていくなと思う。
本当は、今日は3つくらい話のテーマを考えていたのだけれど、死に体の話が長くなりすぎてこれで終わってしまった。
明日は冬至ですね。
今日は暖かかったようにも思いますが、日が落ちたら急に冷え込んできたと感じます。
それはともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日、コンビニでフランシスレイの「白い恋人たち」が流れていました。いい曲ですね。これは札幌オリンピックの一つ前の冬季オリンピック、フランスのグルノーブルオリンピックの記録映画のテーマ音楽です。
学生のころ家庭教師に行っていた先のお父さんがロマンチックな人でした。
そのお父さんに、お母さんとはどういうきっかけで結婚したんですかと僕が尋ねたら「僕たちは白い恋人なんだよ」と答えられました。
要するに、グルノーブルオリンピックの頃に知り合ったということなのだと思います。
その答えで僕は満足してしまって、具体的にどんなふうに知り合ったのかとかそういう突っ込んだことは聴きませんでした。
まあ、「白い恋人たち」が付き合っていたころの思い出の曲なんだろうなと勝手に想像したりして。
その両親は、僕の目から見て美男 美女のカップルでした。
素敵なお父さん お母さんだったですよ。
お父さんはある百貨店に勤めておられて「僕の職場は女性が多いんだよ」と言っておられました。
奥さんと知り合ったきっかけと聞かれて「白い恋人たち」と答えるセンスがあればさぞもてたことと勝手に想像しています。
ずいぶん以前に、その百貨店のホームページを見たら、女性スタッフがそのお父さんのことをウーファーとニックネームで書いておられました。
「振り返ったらウーファーの声がした」 みたいな感じで、、。
ウーファーって低音を再生するスピーカーのことです。そのお父さん 声が低かったのです。
女性スタッフからウーファーと書いてもらえるなんて、やっぱりモテるんだとそのときなんとなく思いました。
通っていた歌声教室の先生が、今日は「白い恋人たち」を歌います、と言ったので、先生ナウいやん、桑田佳祐歌うんやと思いました。
楽しみにして身構えたら、伴奏の先生はフランシスレイの「白い恋人たち」のイントロを弾き始めました。
考えてみればそのお父さんと歌声教室の先生は同世代なのです。
まあ、それはそうですね。
僕はカラオケDAMで桑田佳祐さんの「白い恋人たち」を歌ってICレコーダーで簡易に録音したものをこの季節にちなんでアップします。
聴いていただければ嬉しいです。
こういう本ってなんとなく経験上、週刊誌と一緒で、中身を読むよりも見出しだけ見て想像して楽しんだ方がいいという場合も結構ある。
※もし違っていたら出版社の方と本を書いた方にごめんなさいとあらかじめ謝ります。
その見出しの中に「あのー」「えーっと」の多い人は実は上手というのがある。
この見出しを見て僕、昭和の時代の総理大臣 大平正芳さんを思い出した。
以前にも僕のブログで書いたことあるけれど、大平さんは話の中に「あー」とか「うー」が多いけれど、大平さんの話から「あー」とか「うー」をとると見事に一つの文につながるということも当時まことしやかに言われていた。
確かに、そういわれればそうだなと僕も思っていた。
テレビの座談会で名前はちょっと忘れてしまったけれど当時のたぶん社会党の委員長に「自民党は議会では過半数を占めていますが、実際の得票率は4割しかないんですよ」と指摘されたとき
「えー まあ そういう社会党さんはその半分にも満たないことをお忘れなく」とポーカーフェイスで答えておられてすごいなと思った。
とつとつとしたしゃべりで、かつポーカーフェイスで返されて社会党の人は一瞬 撃沈という感じだった。
味わいのある言葉を話す政治家が減ったなと思う。
たぶん、いまは、素人でも、話した音声がいくらでもデジタル技術で再現できるから、あとから失言で炎上することなどに気を使って、思い切り話しができなくなっているのではないかと思うこともある。
デジタル技術による変化といえば、相撲の勝負判定も、昔は、どちらに攻めていった勢いがあるかということが判定の際にかなりものを言ったけれど、今はビデオで見て、どちらが攻めているかに関係なく、同時に出たり、同時にたおれたりしたように見えるときは取り直しになるというケースが多いように思う。
あれも、取り直しにしておかないと、翌日、精巧なデジタル映像が出たりすると、もう言い訳がきかないから、映像的に見て微妙なものは取り直しということになるのだと思う・。
つい一か月前の、大相撲九州場所でも大関正代が、一方的に押し込まれて、かかとがぎりぎり残っていて、苦し紛れにはたいたら、映像の上では、正代の足が出るのと、相手の体が土俵につくのが同じくらいに見えた。
勝負の勢いということを加味した判定なら、正代の負けだったと思うけれど、映像では同時に見えるので取り直しになったケースだと思う。
昔は、死に体という言葉があった。これは、すでに自力で起き上がることのできない体勢で、あとは慣性の法則で、ほっておいたらそのまま、倒れるか土俵からでるしかないという状態のことを言った。
この状態は勝負の判定に加味されることが多く、そういう場合には審判長は例えば「正代の体がすでに死んでおり相手力士の勝ちとします」という説明の仕方をしていた。
今は、そういう死に体ということが勝負判定に加味されるケースが減ったなと思う。
でも、あのとき北の富士さん「本番だからいいけれど、正代もこんなに後ろに下がって、けいこ場でもう一丁、取り直しなんて言ってたら、まわりから馬鹿野郎って言われちゃうよ」と言っていた。
暗に、正代が勝負では負けていると北の富士さんは言いたかったのかもしれない。
自分が言いたいことを、うまくオブラートに包んで言うことにかけては北の富士さん天才的だなと思う。
でも、そういう言い回しの技術があるから、70歳を過ぎても解説に呼んでもらえるのだと思う。
僕も見習いたいのだけれど、なかなか言葉がでてこないから、、、。
こうやってパソコンに向かうと次々出てくるようにも思うけれど、、、。
ついでにもう少し書くと、菅政権の最後のように、もう辞職することが分かっている内閣のことを死に体の内閣と表現することもある。
会社で格闘技の好きな僕の先輩は、最近は死に体という言葉が通じなくなったとぼやいていた。
時代の流れや、技術革新のために人の言葉や、社会の習慣も変わっていくなと思う。
本当は、今日は3つくらい話のテーマを考えていたのだけれど、死に体の話が長くなりすぎてこれで終わってしまった。
明日は冬至ですね。
今日は暖かかったようにも思いますが、日が落ちたら急に冷え込んできたと感じます。
それはともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日、コンビニでフランシスレイの「白い恋人たち」が流れていました。いい曲ですね。これは札幌オリンピックの一つ前の冬季オリンピック、フランスのグルノーブルオリンピックの記録映画のテーマ音楽です。
学生のころ家庭教師に行っていた先のお父さんがロマンチックな人でした。
そのお父さんに、お母さんとはどういうきっかけで結婚したんですかと僕が尋ねたら「僕たちは白い恋人なんだよ」と答えられました。
要するに、グルノーブルオリンピックの頃に知り合ったということなのだと思います。
その答えで僕は満足してしまって、具体的にどんなふうに知り合ったのかとかそういう突っ込んだことは聴きませんでした。
まあ、「白い恋人たち」が付き合っていたころの思い出の曲なんだろうなと勝手に想像したりして。
その両親は、僕の目から見て美男 美女のカップルでした。
素敵なお父さん お母さんだったですよ。
お父さんはある百貨店に勤めておられて「僕の職場は女性が多いんだよ」と言っておられました。
奥さんと知り合ったきっかけと聞かれて「白い恋人たち」と答えるセンスがあればさぞもてたことと勝手に想像しています。
ずいぶん以前に、その百貨店のホームページを見たら、女性スタッフがそのお父さんのことをウーファーとニックネームで書いておられました。
「振り返ったらウーファーの声がした」 みたいな感じで、、。
ウーファーって低音を再生するスピーカーのことです。そのお父さん 声が低かったのです。
女性スタッフからウーファーと書いてもらえるなんて、やっぱりモテるんだとそのときなんとなく思いました。
通っていた歌声教室の先生が、今日は「白い恋人たち」を歌います、と言ったので、先生ナウいやん、桑田佳祐歌うんやと思いました。
楽しみにして身構えたら、伴奏の先生はフランシスレイの「白い恋人たち」のイントロを弾き始めました。
考えてみればそのお父さんと歌声教室の先生は同世代なのです。
まあ、それはそうですね。
僕はカラオケDAMで桑田佳祐さんの「白い恋人たち」を歌ってICレコーダーで簡易に録音したものをこの季節にちなんでアップします。
聴いていただければ嬉しいです。