ケンのブログ

日々の雑感や日記

三日月

2021年12月09日 | 日記
昨日、窓から外を見ると三日月に近い月が見えた。

今日も駅を降りて昨日と同じ方角を見ると昨日よりすこし膨らんだ月が見えた。

先月も同じような月を見ていた気がする。

その時の生活パターンによってみる月が違ってくるような気がする。

満月に近い月を見る生活パターンの時はそれに近い月を繰り返し見ているような気がするし三日月に近い月を見るパターンの時はまた、それが続くような気がする。

月の運行法則をよく理解していないので安易なことは言えないけれど、なんとなくどんな月を見るかは生活リズムとかなり関係しているように感じる。

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昨日、新聞の「名古屋観光あるある」というコーナーに名古屋はお城の金のしゃちほこにあやかって金色の装飾を町でやたら見かけるということが紹介されていた。

そういえばそんな気がする。

カレーショップで天かすが出てきて、振りかけると妙に金色っぽいし。

食堂街には 福しゃち というラーメン屋があった。

シャチの金にあやかるといえば、この地域の市長で、金のしゃちほこに抱き着くか、噛むかした挙句の果てに、数か月後には女性選手の金メダルをかじって、政治生命に大きな墓穴を掘った人がいたっけ。

「あんたらは恋愛禁止かね?」と、とぼけた質問をするのもこの地方の地域性が出ているような気がする。

あまりにも間が抜けすぎていて、、、。

金のしゃちほこから金メダルが絡んだスキャンダルって、あまりにも名古屋あるあるそのまんま過ぎて笑いたくなるけれど、笑ってはいけない。被害にあった方がいるのだから。

シャチで思い出したけれど、朱肉を使わずにスタンプ感覚で押せる一世風靡の印鑑、シャチハタネームも確か名古屋の会社の登録商標ではなかっただろうか。
きっとそれであっていると思う。

そういえば、名古屋の神宮の前に 宮前不動産 というそのまんまの名前の不動産屋さんがあったけれど、そのまんまというのは名古屋の特性のひとつなのだろうか。

違う地域にいてこの地域にもどってくるとなぜかそういうことが気になってしまう。

今日入ったカレーショップには「名古屋名物カレー」というメニューがあって、写真を見るとエビフライと、味噌カツと、名古屋コーチンと思しきチキンがトッピングされていた。

本当に、そのまんまといえばそのまんまだけれど、こんなこてこてのメニュー、注文する人いるのだろうか。 胃にもたれそうで怖くなってくる。

いつかイチロー選手が「僕、カレー好きだけど、カレーにとんかつとか信じられない」と言っていたと記憶している。

イチロー選手も名古屋の出身だから、おしゃれなとんかつではなく、名古屋のこてこての
とんかつをイメージして言っていた可能性もあるかなと思う。

まあ、イチロー選手は自分の言葉に対する記憶力はとてもいい人だから、下手なことは書けないけれど、、、。

いつか高校球児が「イチローさんは腹が出てたら野球選手じゃないと言ってましたが、どうですか」と質問したら、イチローさんは「僕、そんなこと言ってないよ。腹が出たら引退しますと言っただけです」と答えていた。そして「体形はその人の特性だから別に腹が出てたらダメとかはないです」とも言っていた。

その通りだと思ったし、記憶力のいい人だなと思った。

賢くないと何事も一流になれないということだろうか。

北の湖は昭和何年何月場所の何日目には誰と対戦してどんな内容だったかほぼすべて覚えていたという。両国中学校では勉強はビリに近かったそうだけれど、学校の勉強と相撲の頭はまた別なのかもしれない。

まあ、相撲のけいこで学校の勉強する時間はなかったと思うけれど。

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北京五輪の外交ボイコットが話題になっている。

ボイコットする側にはそれなりの理由があるようなのでボイコットそのものにどうこうは言えないけれど、こういうことは、必ず同等の報復措置が待っているから、それを思うとあまりいい気分ではないなと思う。

同等の報復措置というのは、ハムラビ法典の「目には目を歯には歯を」という言葉に端的に示されていて、行き過ぎた報復にならないような、古代からの人類の知恵だと思う。

しかし、イエスはこのように言っている、

「目には目を歯には歯をと言われるけれど、そうではなく、右のほほを打たれたら左の
ほほもむけなさい、上着を奪うものには下着をも与えなさい」と。

このイエスの言葉に対して作家の芹沢光治良さんは小説の中で、「右のほほを打ちたいものには左のほほも向ける、そして、上着を奪うものには下着をも与えるように、相手の望むようにしてあげることが愛である」 という主旨の説明をしておられる。

イエスの言葉に対する何よりもわかりやすく的確な説明ではないだろうか。

そのレベルの理想は難しくても、せめて個人のレベルでは「目には目を、歯には歯を」という仕返しからは脱却する、それが望まれると思う。

それはともかく いちにち いちにち無事にすごせますように、それを第一に願っていきたい。