ケンのブログ

日々の雑感や日記

レノンの命日

2021年12月08日 | 日記
12月8日 真珠湾攻撃の日(太平洋戦争開戦の日)、ジョンレノンの命日。何かと印象深い日だなと思う。

学生の頃の友達に今日が誕生日の人がいて、いつもそのことを話題にしていた。

なつかしいな。

クリスマスソングは数あるけれど、クラシカルなもの トラディショナルなものを除いたいわゆるポピュラーソングの中ではジョンレノンのハッピークリスマスは群を抜いて格調高いものだなと思う。

佳人薄命ということだろうか。もちろんビートルズの他のメンバーもすごい人ばかりだけれど。

太平洋戦争開戦の日にちなんで新聞には日本の税のいわゆる源泉徴収は戦争の費用を確実に調達するためにできた制度だということが書いてある。

あたりまえのように思っていた制度だけれど、そうか、戦争のためだったのかと改めて思い返してしまう。

医師にして歌人である斎藤茂吉は医療スタッフの税金の処理をちゃんとできたか気にしていたという。

そういう気配りのできるひとだったんだなと思う。

関西の私鉄なら、たとえばターミナルの駅には宝塚線 神戸線 京都線はそれぞれに別のホームがあって整然と電車が入ってくる。

ところが名鉄の名古屋駅は、そのような様々な路線がすべて同じホームにごちゃごちゃに入ってくる。

ごちゃごちゃという言い方は電車の運行に携わる方に失礼かもしれないけれど、素人にはそのように思えてしまう。

これも、芹沢光次良さんの人間の運命という小説に、戦争の準備で物資を国鉄の名古屋駅に近いところに運ぶために、上からの命令(軍からの命令と記憶している)で突貫工事で地下にホームを作ったのでこのようになってしまったことが描かれている。

本当に今の時代になってもいろんなところで戦争の爪痕はあるものだなと感じる。

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眼医者さんへ。
コンタクトレンズの交換をお願いに行った。

待合で待っていると「ナカシマさん」と呼ばれた。

眉毛がキリっとしていて目力のある感じのスタッフの方だった。

コンタクトレンズは一年間は診察なしでも電話一本で自宅に送ってくれるとのことだった。

「それは、ありがとうございます。たすかります」と僕は言って帰ろうとした。

「お待ちください」とスタッフの方。「診察券と保険証をお忘れです」

「あ、すみません忘れてました」と僕。

まあ、楽にはなったけれど、ここの眼医者はスタッフが親切で視力検査にいくのが楽しみだなと思っていたのでちょっと残念な気もする。

そういう動機で医者にいくのもどうかと思うけれど。

老人のおおい医者の待合室で「あの人、今日は医者に来てないから体調が悪いんじゃないかしら」という会話があるのもわかる気がする。

本当に今は特に下町などではそういう様相を呈している医院も僕自身いくつかみかけた。

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ネットでお店の口コミを見ていたら、「客を放置して待たせすぎ」という書き込みがいくつかあった。

本当に、自分だけがお客ではないということを私たちはしばしば忘れてしまう。

ちゃんと待つことは文明人としてのたしなみであるように思う。

愛することは待つこと と言っていた人がいるけれど、それもその通りだなと思う。

それはともかく いちにち いちにち 無事にすごせますように。それを第一に願っていきたい。


冬に聴きたい音楽

2021年12月08日 | 音楽
冬になって今年はなぜか「くるみ割り人形」の音楽が聴きたくなった。

大阪でホームセンターのかごでより取り見取り1000円という感じのCDに入ったチャイコフスキーの3大バレー音楽、つまり白鳥の湖と眠れる森の美女とくるみ割り人形が入ったCDを持っていたのだけれど引っ越しの時、まあよりどりみどりのCDやし いいかと思って処分してしまった。

それで、仕方がないので また買うことにした。

CDショップはさすがに名古屋までいかないとまともな品ぞろえの店はないなとおもう。

大阪だと高槻など衛星都市にそこそこの品ぞろえの店はあるけれど、いま、僕が住んでいる地域では岐阜の県庁所在地も含めて本当にまともな品ぞろえのCDショップが見あたらない。

まだ 僕が知らないだけかもしれないけれど、あまり期待できないかもしれない。

名古屋のCDショップに行ったらジェームズレヴァイン指揮ウイーンフィルのチャイコフスキー三大バレーのCDがあった。

これいいやんと思って買おうとしたときにジェームズレヴァインさんにセクハラ疑惑があったことを思い出した。

勘違いかなと思ってその場でタブレットで調べるとやはりセクハラ疑惑のこと出ている。

別に僕の知る限り、刑事裁判で有罪になったわけではない。

ある大手国立大学の先生が、逮捕の段階ですでにその人が悪いと決めつけたようにネットで誹謗中傷する風潮があるけれど、逮捕は裁判の手続きの第一段階であるにすぎない。逮捕されただけで誹謗中傷されるのは逮捕された人の人権侵害だという主旨の文章を新聞に書いておられた。

それを読んで僕もその通りだと思った。

僕が具体的に知る範囲でも交通トラブルで逮捕された人もいるけれど、不起訴になって裁判にさえならなかった。
新聞には逮捕の話は載ったけれど、不起訴になった話は載らなかった。

そんな例は世の中にいくらでもあると思う。

しかし、レヴァインさんのセクハラ疑惑を思い出したとき、僕かなぜかそのCDを買う気がうせてしまった。

セクハラ疑惑の人の演奏だものな、と思ってしまったのだ。

レヴァインさん逮捕もされてないのに、、、。

シャルルデュトワさんの演奏したCDを僕は何枚か持っているけれど、やはりデュトワさんのセクハラ疑惑が出てからはそのCDをほとんど聴いていない。

きっと僕自身、暗示にかかりやすいタイプなのかもしれないと思う。

せいさん という方が、悪しきことも良きこともみな神から出てくるのである。よきことは神から出て悪しきことは悪魔から出るという考え方から私たちは脱却すべきだという主旨のことを本に書いておられたと記憶している。

善も悪もすべて神から出たものという考え方はとても自由な考え方であるように僕には思えてその考えに同調した。

すべてを神にゆだねるという気持ちになるためには、善も悪も含めて神に帰属すると考えたほうが整合性というか包括性があって、都合がいいからだ。

しかし、やっぱりセクハラ疑惑の人の演奏はな、、、と思ってしまった。

まあ、無理に買うことはないと思って他を探しているうちに、カラヤン ベルリンフィルで、チャイコフスキーの交響曲第6番と くるみ割り人形組曲をカップリングしたものがあったのでそれを買い求めた。

それにしてもカラヤンもチャイコフスキーは結構録音しているなと思う。

まあ、それなりにいい演奏だった。

カラヤンはくるみ割り人形組曲を踊りのためよりもむしろ音楽単独で魅力あるものにするように演奏していると思った。

やはり冬はロシアの音楽を聴く時間が相対的に多くなるかなと思う。

ショスタコーヴィチも ラフマニノフも、プロコフィエフもそれぞれに暗い影が音楽に漂う。

それはロシアの厳しい気候 自然ということもあるし、また世界大戦の時代だったということもあると思う。

今も、コロナなどでしんどい時代だと思う。

そういう時に、大戦の時に書かれた音楽の暗い影が同質の原理で心にしみることがあるなと思う。

※同質の原理→悲しいときは悲しい音楽というようにそのときの気持ちと同質の音楽をきくと心が落ち着く原理。

それはともかく いちにち いちにち 無事にすごせますように それを第一に願っていきたい。