岐阜の実家へ帰ってきた。大阪の自宅最寄り駅から東海道本線の在来線列車に乗った。京都で米原行きに乗り換え。帰省の人と中国人の方を含めた観光の方が混ざっていて結構混んでいる。最近、草津で降りる人が多いのでそこまではこむかなと思っていたら草津でも年末なのでそんなに人が降りない。どうしようと思ったら隣の車両が結構空いていたのでそちらに移る。
僕が最初に乗った車両は階段付近の車両だったので混雑の程度が高かったようだ。列車は京都を出ると山科、大津、石山、南草津、草津、と停車していく。昔、名古屋からこの近江路を通って大阪に行く急行比叡とほぼおなじ停車駅だなと思う。
父の船が神戸に着くと、東海道本線を急行比叡で岐阜から大阪まで行った。大阪から快速で芦屋で乗り換え、各駅停車で住吉で下車するとそこが父が勤めていた会社の船員のための寮の最寄り駅だった。その住吉は今では快速も停車する。
当時は芦屋の駅で「快速は芦屋を出ますと三宮まで止まりません」と駅員さんが連呼していた。そういうのって子供の頃はよく覚えていたなと思う。神戸の寮のおばちゃんによく「ケンちゃん走るとこけるで」と言われていた。岐阜ではこけるはころぶというのでその こける という言葉が子供の頃の僕には新鮮だった。懐かしいな。
その急行比叡も新幹線にみんな乗るようになるといつの間にか姿を消してしまった。それでも調べると1984年まで走っていたと出ていた。結構頑張ったんだなとも思う。
米原に着いたら、向かい側のホームに特急しらさぎが止まっていた。ここから岐阜までしらさぎで行っても特急料金はせいぜい数百円。しらさぎに乗るかと思ってプレートを見たら金沢行きとなっていた。方向が逆だ。いかんと思い階段を登って豊橋行きが出るホームに行った。
大垣を電車が出ると揖斐川の鉄橋を渡った。ここまで来ると帰ってきたなという気持ちになる。次は長良川の鉄橋かと思っていると「そんなら、おまはん 浜松へ行くときはヨッチャンと一緒か?」という男性の大きい声が聴こえてきた。見ると70歳すぎくらいの男の人二人が車内で立ち話をしている。ふるさとのなまり懐かしだなと思う。そこにヨッチャンという固有名詞が出てくるところが田舎の会話だなと思う。※おまはん は岐阜や名古屋の言葉でおまえという意味です。
僕が最初に乗った車両は階段付近の車両だったので混雑の程度が高かったようだ。列車は京都を出ると山科、大津、石山、南草津、草津、と停車していく。昔、名古屋からこの近江路を通って大阪に行く急行比叡とほぼおなじ停車駅だなと思う。
父の船が神戸に着くと、東海道本線を急行比叡で岐阜から大阪まで行った。大阪から快速で芦屋で乗り換え、各駅停車で住吉で下車するとそこが父が勤めていた会社の船員のための寮の最寄り駅だった。その住吉は今では快速も停車する。
当時は芦屋の駅で「快速は芦屋を出ますと三宮まで止まりません」と駅員さんが連呼していた。そういうのって子供の頃はよく覚えていたなと思う。神戸の寮のおばちゃんによく「ケンちゃん走るとこけるで」と言われていた。岐阜ではこけるはころぶというのでその こける という言葉が子供の頃の僕には新鮮だった。懐かしいな。
その急行比叡も新幹線にみんな乗るようになるといつの間にか姿を消してしまった。それでも調べると1984年まで走っていたと出ていた。結構頑張ったんだなとも思う。
米原に着いたら、向かい側のホームに特急しらさぎが止まっていた。ここから岐阜までしらさぎで行っても特急料金はせいぜい数百円。しらさぎに乗るかと思ってプレートを見たら金沢行きとなっていた。方向が逆だ。いかんと思い階段を登って豊橋行きが出るホームに行った。
大垣を電車が出ると揖斐川の鉄橋を渡った。ここまで来ると帰ってきたなという気持ちになる。次は長良川の鉄橋かと思っていると「そんなら、おまはん 浜松へ行くときはヨッチャンと一緒か?」という男性の大きい声が聴こえてきた。見ると70歳すぎくらいの男の人二人が車内で立ち話をしている。ふるさとのなまり懐かしだなと思う。そこにヨッチャンという固有名詞が出てくるところが田舎の会話だなと思う。※おまはん は岐阜や名古屋の言葉でおまえという意味です。
運良く豊橋行きに乗れたので大垣で乗り換えることもなく岐阜へ。改札の手前で若い女性が財布を広げたらコインが床に沢山散らばってしまった。遠くに転がっていった十円玉を拾ってその方に渡したら改札の中のトイレに行くのを忘れてその勢いで改札の外に出てしまった。仕方がないのでちょっと探して改札の外のトイレに行った。帰ってきたなと思う。