ケンのブログ

日々の雑感や日記

八月二十二日

2019年08月22日 | 日記
征さんというかたの本を読んでいくと
人が軽く素直になるためには
すべてのことを素直にあるがままに受け止め
何事にも執着心を残さないという姿になればよいだけ。
執着心とは最終的には生きるということに対する執着心である。
今生きていること、そして死を迎えることは
そのどちらも同じであると知るならば
恐らくは死に対する恐怖、あるいは生に対する
つまりは生命に対する執着心を取り除くことが
できるのではないでしょうか。
まずは物に対して、また様々な出来事にたいしてのこだわり
あるいは権力や知名度などに対しての執着なども同じであると言える。
そのようなことを少しずつ取り払っていくとよい。
という主旨のことが書いてある。
それは、征さんの本に書いてある通りに執着がなくなれば
確かに軽くなるとは思うけれど
そんな域にはなかなか及ばないなと思う。
征さんがこの文章を書かれたのは今の僕と
同じくらいの年齢のときだからそれはすごいことだなと思う。
知名度にたいする執着心ということについて
僕はいわゆる有名人のことをうらやましいと
思うことはほとんどないし
じぶんが有名になってもそういう条件下で
生きることは大変だろうなと思う。
しかし、すこしでもだんだんご縁ある人との
繋がりが持てればと思うことはある。
著名なひとが羨ましいわけではないけれど
ベートーベンのように死語何年も経っても
その音楽に勇気づけられるひとが
あとをたたないというのはやはり
正直にいうといいなと思う。
僕もどんな些細なことでもいいから
僕が死んだあとに僕のことを覚えていてくれるひとが
いたらそれはうれしいなと思う。
ただ、そう思うこと自体が執着なので
やはりそういうこだわりがあるうちは
なかなか四苦八苦からぬけられないなとも思う。
知名度ということに関して最近
思ったことがある。
僕の町に京都大学の医学部を卒業した
眼科の開業医がいる。
京都大学の医学部を出ているならば
こんな小さな町の開業医にならなくても
大学病院で研究をして有名になるとか
知名度ということを求めるのならば
もっと違う道があったようにも思う。
その医師はおとなしそうだけれども
やることに無駄がないという感じがする。
それはその人の動きかたを見ているとなんとなくわかる。
そして言葉数が少ない。
しかしその少ない言葉は本当に的を射ている。
時間をかけずに無駄な要素を省いて
今の要点をまとめるならばこのまとめ方だな
と感心してしまうようなまとめ方をなさる。
だからそんなに多くを話さなくても
とくに無愛想とも思わないし
こちらの伝えたいことが伝わっていないという気もしない。
その医師が子供に
「ちょっと目をつぶっててね」と声をかけている様子を
見ているとそれ以外のよけいな言葉を
子供にかけるわけではないけれど
この医師は優しい人なんだなというのは十分にわかる。
その粛々とした様子を見ていると
この小さな町の開業医を続けることが
きっとこの医師にはあっているんだなと思う。
一般的な知名度は大学病院の先生より
低いかもしれないけれど。
こういう先生はなんか僕にとっていいお手本だな
と思う。

ぶっだの言葉を読んでいると
たといわずかでも男の女にたいする欲望が
断たれない間はその男の心は束縛されている。
と書いてある箇所がある。
そういう欲望がなくなってしまうというのは
こんなんなことと思うけれど
こういうぶっだの言葉がひとつのひながたに
なることは僕なりになんとなくわかるような気がする。