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ケンのブログ

日々の雑感

いやはやなんとも

2024年03月09日 | 日記
先日 実家で 母と一緒にお昼のテレビを見ていたら、女性のコメンテーターがなんだかちょっと興味深いことを話しておられた。

たぶん この論旨はあの人 と思って スマホで調べると 出てきた結果は 僕が多分あの人だろうと思った人だった。

そのプロフィールを見て 僕が 母に 「この人 創価高校の出身で すごく頭がいいらしいよ」と言ったら、「そうか」と母。

ねらって 「そうか」 と言っているわけではないことが いやはや何とも と思ってしまう。

それはともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。

人口も減り続けて、、、

2024年03月01日 | 日記
数日前に2023年の出生数が約75万人というニュースに接して本当に愕然とした気持ちになった。

僕が予備校の職員として働き始めたころは1970年代に生まれた子が予備校に来ていたころで 当時の18歳人口は約200万人と言われていた。

しかし、それから18歳人口は減る一方で 要するに17年後の18歳人口は約75万人になってしまう。

僕が予備校で働き始めたころから比べると約37パーセントくらいの数になってしまうのかと思うと やはりちょっと異常なことだなと思う。

何とも言えない 寂しさとか 不安とか そういうものが心をよぎるような気がする。

これから 僕も年金をもらう年齢に入っていくけれど こんなに 若い人が少ない状態で本当に年金をもらい続けられるのか とか 、、、

そして、そういうことを考えていると あと 何年生きるだろう とか これからの人生 まだ 花が咲くとか そういうこともあるのか それとも 枯れていく一方なのか とか そういう方にも考えが進んでしまう。

うーん わびしい限りだけれど この歳になって 考えてどうにもなることではないようにも思えてくるし。

天に任せて一日 いちにち 生きるしかない とは 思うのだけれど、そういう確信を持つにいたるのはなかなか やさしくもないなとも感じる。

あと もう こうなったら 日本に来ている外国人の人とも仲良くする道が見つかるといいなとかそういうことも考える。

それはともかく一日一日無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。



名古屋にもちょびっとは慣れたけれど

2024年02月28日 | 日記
桂米朝さんが落語の前振りで 大阪の人は海遊館の水槽の魚を見ながら「うまそうやなあ」とか「あの魚 えげつない顔してるなあ」とか言って通っていくから かなわん。

というような話をしておられた。

魚を見て えげつない顔をしているなあと言ったおじさんの方が魚に勝ってると思ったとも米朝さんは言っておられた。

大阪に住んでいるとこれらの話は誰もがいかにも大阪らしいとわかることで 思わず笑えて来る。

最近は僕も 名古屋らしい というのが 以前に比べてすこしずつわかるようになってきた。

他の街にはない 名古屋の特徴。

先日 名古屋では一番の繁華街と言われる地域の地下鉄駅の コインロッカーの前で いわゆるヤンキー風の子たちが5,6人たむろして これからどこへ行って遊ぶかというような話をしていた。

そこへ 僕が300円握りしめて 荷物を預けに行っても その子たちは 全く 場所を移動しようとしない。

幸い コインロッカー全体をふさいでいたわけではなく 端っこの方は開いていたので そこを使ったから よかった。

でも 最近 コインロッカーの前にヤンキーの男の子がたむろしている、 そして コインロッカーの利用者が来ても どこうとしない、 これって やっぱり 東京や大阪 あるいは 他の大都市ではあまりみかけない 名古屋らしい光景だな と思えるようになってきた。

例えば 大阪の北のターミナルだと コインロッカーの周りには むしろ女の子の方がいるという感じで 例えば その子たちは ぺったんこの靴を おしゃれ靴に履き替えたり とか その他 いろんな用途でコインロッカーを利用しているのだと思う。

まあ 実際に何に利用しているかは そこまで まじまじと みたことはないので 知らなくて今、書いたのは僕の想像だけれど。

大阪などで 仮に コインロッカーの前でヤンキーの子がたむろしていたとしても 利用者が近寄ってきたら その中の誰かが 場所を開けるように リーダーシップをとるような気がする。

コインロッカーの前でたむろしていて 利用者が来ても ほぼ 何も気にしないヤンキーの子っていうのは なんとなく どんくさい というか やっぱり田舎なんだなあと思う。

そもそも 名古屋の一番の繁華街は 地方都市名古屋の中でも 名古屋の周辺の街から 名古屋に上ってくる子が多いだろうから 名古屋の中でも 田舎風の子が多くなる傾向があるのかもしれない。

その子たちは 自分たちの存在を誇示するためにコインロッカーの前から移動しない とうよりも そもそも コインロッカーなどあまり使ったことがないから 人が 来たら どかないとむしろかっこ悪く見えてしまう ということに 気づかないのだと最近 うすうす わかるようになってきた。

こういう名古屋らしさにも 愛着の心をもって観られるようになるといいのだけれど まだ それには しばらくの 月日を要するなと思う。

それはともかく いちにち いちにち 無事にすごせますように それを 第一に願っていきたい。

幼い女の子

2024年01月07日 | 日記
コンビニで マスクがないか探そうと思った。

だいたい マスクなどは衛生用品というくくりで除菌スプレーとかウエットティッシュとかそういうものと同じあたりに置いてある。

もう いろんなコンビニに行きつけているとそういうのは感覚的にわかるようになる。

それで 衛生用品がおいてあるあたりに目星をつけて その棚をめがけていくと 棚の下の方に置いてある除菌スプレーやらそういうものを5歳くらいの女の子が一生懸命見ていて その斜め後ろにお母さんが立っていた。

僕はせっかく商品を夢中になって見ている女の子を驚かせてはいけないと思って お母さんの前をそっとかすめ通るように横切って お母さんと斜めに並ぶ形でやはり女の子の後ろからそのあたりにマスクがないか探した。

すると しゃがみこんで棚の下の方の商品を見ていた女の子は お気に入りの商品を見つけたらしく 目の前にあった 商品をちらっと指さして それから 思い切り僕の脚にしがみついた。

もう 女の子はお気に入りの商品を見つけて 夢中で僕の脚をお母さんの脚と勘違いしてしがみついたことは 状況から判断して明らかだった。

女の子は 僕の脚にしがみついて 上を見上げると そこにあったのはお母さんの顔ではなかったので とっさに 僕の脚から離れ 本当のお母さんの足元に 恥ずかしそうに そして とてもショックを受けた様子で うずくまってしまった。

お母さんの脚と思って 全幅の信頼を寄せて 夢中でしがみついた脚が お母さんの脚ではなかった とんだ間違いをしてしまった、その時の子供のショック 恥ずかしさは どんなものだろう。

自分が子供のころ 5歳くらいだったころのことを振り返って想像すると そのショックの程度は容易に推し量ることができる。

夢中になって商品を見ていて お気に入りを見つけたうれしさで 全力で脚にしがみつく そして 間違いと分かると ショックを隠すこともなく うずくまってしまう。本当に聖書に「子供に見習いなさい」と書いてある通りだなと思って僕は感動していた。
感動を隠すために 僕は照れ隠しに 笑った。

すると お母さんが 女の子に 「あんた 間違えるから おじさん 笑ってみえるやないの」と言った。

子供は 自分が勘違いしたショックで そのお母さんの言葉にはほとんど無反応だった。

僕は その時 なんとなく 女の子に その子の間違いを笑ったと思われるのはいやだなと思った。

お母さんの脚と思って 僕の脚にしがみついた子に 間違いを笑われた という記憶を残したくないと思った。

それで 僕は ほんの一瞬ためらったけれど 女の子に 思い切り声のトーンを柔らかくして「間違えたんやね」と言った。

すると 女の子は 無反応だったけれど ちょっと安堵してくれたことはなんとなくわかった。

少なくとも 悪意で女の子に声をかけたわけではない ということは コンビニのお兄さんもわかってくれたみたいで そこで 飴とチロルチョコの勘定をするときに ニッっと笑ってくれた。

結局 マスクは 僕のお目当てのものが見つからなかったので 僕は 飴とチョコを買ったのだ。

ああ でも ほんの 一瞬の出来事だったけれど 僕が生きているかぎり 僕の記憶にのこるほど感動的な出来事だったなと思う。

それは ともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。







冬の一日

2023年12月04日 | 日記
かなり寒さが厳しくなっている。

もう気温が10度を切ることは珍しくなくなった。

セーターを出してみたら 虫が食っていない。

防虫剤を入れるのを忘れていたのでラッキーと思った。

ところが 洗濯機のおしゃれ着洗いモードで洗い 干してみると 穴が空いている。

おしゃれ着洗いモードで洗って穴が空いたわけではなく ちょっと見て気づかなかった穴に洗って干すことで気づいたというわけだ。

僕もこの年まで生きているので 虫食いの穴とそうでない穴とはなんとなく区別がつく。

やはり 虫が食っていたか、、、。

まあ 防虫剤も入れずに つくねておいたら虫が食わない方がおかしいけれど。

それでユニクロにまたセーターを買いに行く。

斎藤佑樹君がユニクロのセーターのモデルになっていた。

やっぱり斎藤佑樹君 結構胸板も厚いし 骨太の身体に見える。

そうか このセーターのロールモデルは骨太かと思った。

それで 僕は もっと細身のラテン系の男の人がモデルになっている方のセーターを買う。

何となく そちらは 綿とポリエステルの合成で 虫に食われる確率も低いと思ったし、、、。


綿でも油断すると虫が食うけれど、、、。

その足で 牛丼チェーンで牛丼を注文。
先に来たお客さんがタブレットで注文していたのでこの店はそうなのかと思い僕もタブレットで自動注文した。

座席にもっていって 食べようとすると 店員の女の子が 「座席で食べると消費税が10パーセントになります」という。

「じゃあ勘定やり直してください」と僕。

すると 女の子は店長を呼んできた。

「お客さん ここは テイクアウト専門店なので 機械で注文すると自動的に軽減税率が適用されます。でもお客さんに損はさせません」と店長は言った。

損って どこが損なの と 僕は思った。

10パーセント消費税を払うところを8パーセントしか払ってなかったら僕は2パーセント脱税したともいえるし また2パーセントの不当利得を得たともいえるだろう。

その2パーセントの税金を払ってもそれは損にはならない。

払うべき税金を払ったことになるし 不当利得を得ている状態を解消したことにもなる。

どの角度から考えても 損とは言えないように思う。

僕が そんなことを考えながら  不思議そうな顔をしていると 女の子の店員さんが「お客さん どうぞ 座席でこのまま 召し上がってください」と言った。

やはり お店としても このまま 勘定しなおして 2パーセントの税金を払わせるのは気が引けたのかもしれないし それをすると 機械の操作が煩雑になるのかもしれない。

後者の可能性が圧倒的に高いと思うけれど。

こういう時に 関西人ならば大概は 「お客さん もう 今回は このままに しておきますわ。次からは中で食べるときは 10パーセント払ってくださいね。 今日はお勉強しときます」という発想になるはずなのだけれど、、、。

長年 関西に すんでいたので こういう時に 僕は ドーっと心が落ち込むほどのカルチャーショックを受けてしまう。

やっぱり ここは 田舎なんだなと思って。

それで僕は食事の途中でもう一度店長さんを呼んでもらって 「次からは 中で食べるときはあらかじめ申告して 10パーセント払いますのでね」と言った。

すると 店長さんは「そうです だから 自動で注文すると機械が8パーセントの消費税でカウントしてしまいますので、次回からは 直接カウンターで口頭で申し出てください」と言った。

何か 変な店長さん と思った。

損はさせない という店長さんの言葉が気になったから 払うべきものは払うと申し出たのに もう 損はさせないと自分がいったことは忘れているか 普段から店長さんはそういう物言いが習慣になっているから 僕は 次回からは払うと言った意図に気付かなかった可能性が高いと思う。

「電気とガスとまとめてお得」とかそんな言葉ばかりが頭にインプットされていて 納税は憲法に記された国民の義務ということは インプットされていないか あまり意識していないので こういうことになると思う。

国民の教育水準がさがっているとよく言われるけれど 教育水準がさがるとモラルも下がるのだなと思う。

民主主義が成り立つためには教育水準の高さを保つことが必要という話を聞いたことがある。

教育水準が低いと 国民のひとりひとりが政治的判断をできないから、、、。


本当におかしな世の中になってしまっているような気がする。

それはともかくいちにち いちにち 無事に過ごせますように。それを第一にねがっていいきたい。