「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

「党生活者」への「違和感」

2009-09-13 12:49:05 | 多喜二研究の手引き
多喜二「党生活者」はいろいろな実験の作だと多喜二自身がいっています。
読者に「違和感」を持たせることも(!)、その実験の一つだと私は確信しています。

しかし、とりあえず「満州事変」以降の帝国主義侵略拡大―世界戦争と渦中にあって、日本陸軍の秘密兵器(核兵器にも値する)開発・兵器化の現場を、そしてそこで働くことの意味―日々の給料を得るためには「職場」が儲からなくてはならない、儲かるということはすなわち戦争拡大に協力することを意味する

。軍需産業下の「労働」の意味を描いたものとして読まれるが、9条を守り生かしていそうとする私たちに必要なことだと思っています。

必要なことは「新しい戦争と貧困」に反対する立場からブレずに読み取ることではないでしょうか(1998年に発覚した防衛庁の調達実施本部(現:防衛省装備施設本部)が起こした汚職事件の当事者が「党生活者」の舞台である藤倉工業の後身「藤倉航装」だったことは記憶に新しいところ)。

「違和感」を感じられた自分の感性を信じられ、ノーマさんの岩波新書『小林多喜二』と対話されることを希望いたします。

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3 コメント

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もうひとつの「違和感」 (未来)
2009-09-13 18:18:55
”読者に「違和感」を持たせることも(!)、その実験の一つだと私は確信しています。”

「違和感」というより、「矛盾」を考えてもらう契機と言ったほうがよいと私は思います。あそこまで、なぜ組織性に踏み込まなければならなかったか、そこに多喜二の意図があると思います。構想としては、大きな志を持っていたのだと確信していますが、続編を書くことが叶わなかった無念さを感じます。

ところで、「新しい戦争と貧困」との関係の読み取りは重要だと思います。
臨時工と正規工との「意識」のギャップ、そこに踏み込もうとした多喜二の視点は、現代にも当てはまります。
資本がどのように労働者を分断し、それに踊らされることが自分の身をも削ることになるか、そのことに踏み込もうとした多喜二の眼は鋭いと思います。

「党生活者」は、ひとつの視点からではなく、社会全体の当面する現実の鳥瞰図として読み込む必要があると思います。
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矛盾と違和感と (るもい (ノーマ・フィールド))
2009-09-15 02:33:46
 未来さんがおっしゃるとおり、矛盾を考えることは欠かせません。しかし、違和感を覚えたとき、読者はそれを意識化し、原因を考えることによって描かれた矛盾とさらにしっかりと向き合えるのではないでしょうか。
 多喜二は「私」によって語られる作品をそう多くは書いていませんが(長いものでは『東倶知安行』や『地区の人々』が想起されます)『党生活者』の場合、登場人物(佐々木安治)でもある語り手の「私」は他の作品と異なって、読者が必ずしも素直に同化できない人物として描かれていると感じます。(これを「違和感」の原因のうちに数えるとしたら、そこにも実験性があった、という仮説は刺激的です。)例えば、「笠原」のモデルがだれであろうと、「私」の彼女に対する態度には身勝手なものを感じざるを得ません。しかし、これも多いに信じうる彼の「人間性」の一端でしょう。同時に、多いに魅力的な「人間性」も描かれていて、私にとってその最たる例は「雑談」を欲するところかもしれません。
 厳しい状況のもとで組織作りにコミットすることは人それぞれの強靱さも弱さもをも引き出すはずです。こうした「人間性」と、運動が立ち向かおうとしている矛盾とどういう関係にあるのか、考えるのも大事ではないでしょうか。
 これは漠然とした印象にすぎませんが、読者が一体化しにくい他の一人称の語り手は多喜二の初期の作品に出てくるのかも知れません。例えば、「ロクの恋物語」(ここでは「俺)や「継祖母のこと」など。(もちろん、一人称でなくても、主人公とどこまで一体化するか、という問題は残りますし、初期の作品は屈折した人物を多く提供してくれているように思います。)こうしたタイトルを挙げてみるだけでも『党生活者』に至って多喜二が全くちがった次元で個人の矛盾と社会の矛盾を考えようとしていたことがわかると思います。
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浜林正夫 「小林多喜二とその時代~極める眼~」より (御影暢雄)
2009-09-15 09:17:33
 浜林正夫著「小林多喜二とその時代~極める眼~」より、「党生活者」に関した部分を参考までに補足します。

P164”多喜二は『中央公論』編集長の中村恵宛の1932年8月下旬の手紙で、「小説の題は、内容から云っても『党生活者』が一番ふさわしいと思うのですが、どうしてもこの題が悪いのなら、月末までに考えさせてください。そのときもう一度題名のことで手紙を書きます。」といっているが、その後手紙を書いた様子は無い。「転換時代」という題名は中村が考えたであろう。  
 同じ中村の8月2日付けの手紙では、「この作品で私は『カニ工船』や『工場細胞』などのような私の今迄の行き方と違った冒険的試みをやってみました」と言い、先の8月下旬の手紙では、「今迄のプロレタリア小説の型から抜け出ようと、努力してみた作品です。今迄の私の一系列の作品から見ても、私はこの作品の成果を特に注目しています。単なる失敗を恐れずに書いたものです」とも言っている。多喜二はこの作品で何を書きたかったのでろうか。メインテーマは戦争と軍需工場のなかのたたかいである。とくに「お国のため」にという口実で、搾取が強化されていくことに主眼があるように思われる。(非合法活動家にある主人公の眼をとおして職場の実態が描かれたわけは、兵士への慰問金を募集して工員の思想調査をしたりする職場の状況のなかで)戦争の本質を暴露したり、工場側の策謀を暴いたりするには、普通の労働者を越えた高い政治意識が必要であった。
地下活動をしている主人公でさえ、その作ったビラが経済的な要求にとどまっている誤りを、「大衆追随」と批判され、「評判が良い」ということで満足せずに「一歩すすんだ政治的な取り上げ」を求められるのである。
 多喜二がプロレタリア文学の新しいあり方を求めて教訓を汲み取ろうとした、ショーロホフの「静かなドン」にも、村人にもぐりこんで戦争の本質を暴露する1人のボリシェビキがいる。日常生活を描きながら日常的なものを超えるのには、こういう高い政治意識を持ったオルグが必要なのである。「党生活者」は、「静かなドン」のなかのボリシェビキに当たると見てよいのではなかろうか。”
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