●岩郷義雄の回想より(彼は三船の手引きで同じときに逮捕され、築地署にいた):
=真冬の冷たい檻房に暮色がようやく迫ろうとし、五つの房にすしづめとなった留置人たちは、空腹と無聊と憂鬱とでひっそり静まり、ただ夕食の時刻が来るのを心待ちにしていていた。突然、私の坐っている檻房の真正面にあたる留置場の出入口が異様なものものしさでひらかれた。
そして特高――紳士気取りの主任の水谷、ゴリラのような芦田、それに小沢やその他――が二人の同志を運びこんできた。真先に背広服の同志がうめきながら一人の特高に背負われて、一番奥の第一房に運ばれた。つぎの同志は、二三人の特高に手どり足どり担がれて、私のいる 三房へまるでたたきつけるようにして投げこまれた。一坪半ばかりの檻房は十二、三の同房者で満員だった。その真中にたたきこまれて倒れたまま、はげしい息づかいと呻きで身もだえするこの同志は、もはや起きあがることすらできなかった。
「ひどいヤキだ……」同房人たちは驚いた。
私は彼の頭を膝に乗せた。
青白いやせた顔、その顔は苦痛にゆがみ、髪のやわらかい頭はしばしば私の膝からすべり落ちた。
「苦しい。ああ苦しい……息ができない……」
彼は呻きながら、身もだえするのであった。「しっかりせい、がんばれ」と、はげますと、「うん……うん……」とうなずく。
その同志は紺がすりの着物に羽織という服装であった。
顔や手の白さが対照的にとくに印象ふかい整った容貌は高い知性をあらわし、秀でた鼻の穴に真紅な血が固っていた。手指は細くしなやかで、指のペンダコは文章の人であることを物語った。
同房人たちも胸をひろげてやったり、手を握ったり、どうにかしてこの苦痛を和らげねばならないと骨折った。
一体、この同志は何の組織に属する何という人だろう、私は知りたく思った。「あなたの名前は?」と、私は尋ねたが、それには答えず、間欠的に襲いかかってくる身体の底からの苦痛にたえかねて、「ああ、苦しい」と、もだえるのであった。
たった今まで、この署の二階の特高室の隣の拷問部屋で、どんなに残虐な暴行が行われたか、そして、二人の同志がいかに立派にたえてきたかを、この同志の苦しみが証明した。
やがて、「便所に行きたい」というので、同房人が二人がかりでそっと背負って行った。便所へついたと思う間もなく、腹からしぼり出すような叫び声が起こった。
やがて連れ戻ってくると、「とても、しゃがまれません。駄目です」と、同房人が言った。私は先ほどから、そわそわして様子を見ている看守に言った。「駄目だ、こんな所では、保護室へ移さなければ」私たちの房の反対側に保護室があった。そこは広く、畳が強いてあり、普通、女だけを入れたが、大ていあいていた。看守はうなずいて、私たちは同志を移転させ、毛布を敷き、枕をあてがった。そして、彼の着物をまくって見た。「あっ」と私は叫んだ。のぞきこんだ看守も「おう……」と、呻いた。
私たちが見たものは「人の身体」ではなかった。膝頭から上は、内股といわず太腿と言わず、一分のすき間もなく一面に青黒く塗りつぶしたように変色しているではないか。どういうわけか、寒い時であるのに股引も猿又もはいていない。さらに調べると、尻から下腹にかけてこの陰惨な青黒色におおわれているではないか。「冷やしたらよいかもしれぬ」と、私は看守に言った。雑役がバケツとタオルを運んだ。私たちはぬれたタオルでこの「青黒い場所」を冷やしはじめた。やがて、疲れはてたのか、少しは楽になったのか、呻きも苦痛の訴えもなくなった。同志は眼を閉じて眠る様子であった。留置場に燈がついて、夕食が運ばれた。私はひとりで 彼の枕辺に坐って弁当を食い終った。そして、ふたたび彼の顔をのぞいたとき、容態は急変していた。半眼をひらいた眼はうわずって、そして、シャックリが……。
私は大声でどなった。看守はあわてて飛び出して行った。
やがて、特高の連中がどやどやとやってきた。私は元の房へつれもどされた。保護室の前へ衝立が立てられた。まもなく医者と看護婦がきた。注射をしたらしかった。まもなく、担架が運びこまれた。
同志をのせた担架がまさに留置場を出ようとするときであった。奥の第一房から悲痛な、引きさくような涙まじりの声が叫んだ。「コーバーヤーシー……」
そして、はげしいすすり泣きがおこった。
午後七時頃であった。
=真冬の冷たい檻房に暮色がようやく迫ろうとし、五つの房にすしづめとなった留置人たちは、空腹と無聊と憂鬱とでひっそり静まり、ただ夕食の時刻が来るのを心待ちにしていていた。突然、私の坐っている檻房の真正面にあたる留置場の出入口が異様なものものしさでひらかれた。
そして特高――紳士気取りの主任の水谷、ゴリラのような芦田、それに小沢やその他――が二人の同志を運びこんできた。真先に背広服の同志がうめきながら一人の特高に背負われて、一番奥の第一房に運ばれた。つぎの同志は、二三人の特高に手どり足どり担がれて、私のいる 三房へまるでたたきつけるようにして投げこまれた。一坪半ばかりの檻房は十二、三の同房者で満員だった。その真中にたたきこまれて倒れたまま、はげしい息づかいと呻きで身もだえするこの同志は、もはや起きあがることすらできなかった。
「ひどいヤキだ……」同房人たちは驚いた。
私は彼の頭を膝に乗せた。
青白いやせた顔、その顔は苦痛にゆがみ、髪のやわらかい頭はしばしば私の膝からすべり落ちた。
「苦しい。ああ苦しい……息ができない……」
彼は呻きながら、身もだえするのであった。「しっかりせい、がんばれ」と、はげますと、「うん……うん……」とうなずく。
その同志は紺がすりの着物に羽織という服装であった。
顔や手の白さが対照的にとくに印象ふかい整った容貌は高い知性をあらわし、秀でた鼻の穴に真紅な血が固っていた。手指は細くしなやかで、指のペンダコは文章の人であることを物語った。
同房人たちも胸をひろげてやったり、手を握ったり、どうにかしてこの苦痛を和らげねばならないと骨折った。
一体、この同志は何の組織に属する何という人だろう、私は知りたく思った。「あなたの名前は?」と、私は尋ねたが、それには答えず、間欠的に襲いかかってくる身体の底からの苦痛にたえかねて、「ああ、苦しい」と、もだえるのであった。
たった今まで、この署の二階の特高室の隣の拷問部屋で、どんなに残虐な暴行が行われたか、そして、二人の同志がいかに立派にたえてきたかを、この同志の苦しみが証明した。
やがて、「便所に行きたい」というので、同房人が二人がかりでそっと背負って行った。便所へついたと思う間もなく、腹からしぼり出すような叫び声が起こった。
やがて連れ戻ってくると、「とても、しゃがまれません。駄目です」と、同房人が言った。私は先ほどから、そわそわして様子を見ている看守に言った。「駄目だ、こんな所では、保護室へ移さなければ」私たちの房の反対側に保護室があった。そこは広く、畳が強いてあり、普通、女だけを入れたが、大ていあいていた。看守はうなずいて、私たちは同志を移転させ、毛布を敷き、枕をあてがった。そして、彼の着物をまくって見た。「あっ」と私は叫んだ。のぞきこんだ看守も「おう……」と、呻いた。
私たちが見たものは「人の身体」ではなかった。膝頭から上は、内股といわず太腿と言わず、一分のすき間もなく一面に青黒く塗りつぶしたように変色しているではないか。どういうわけか、寒い時であるのに股引も猿又もはいていない。さらに調べると、尻から下腹にかけてこの陰惨な青黒色におおわれているではないか。「冷やしたらよいかもしれぬ」と、私は看守に言った。雑役がバケツとタオルを運んだ。私たちはぬれたタオルでこの「青黒い場所」を冷やしはじめた。やがて、疲れはてたのか、少しは楽になったのか、呻きも苦痛の訴えもなくなった。同志は眼を閉じて眠る様子であった。留置場に燈がついて、夕食が運ばれた。私はひとりで 彼の枕辺に坐って弁当を食い終った。そして、ふたたび彼の顔をのぞいたとき、容態は急変していた。半眼をひらいた眼はうわずって、そして、シャックリが……。
私は大声でどなった。看守はあわてて飛び出して行った。
やがて、特高の連中がどやどやとやってきた。私は元の房へつれもどされた。保護室の前へ衝立が立てられた。まもなく医者と看護婦がきた。注射をしたらしかった。まもなく、担架が運びこまれた。
同志をのせた担架がまさに留置場を出ようとするときであった。奥の第一房から悲痛な、引きさくような涙まじりの声が叫んだ。「コーバーヤーシー……」
そして、はげしいすすり泣きがおこった。
午後七時頃であった。
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