「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

多喜二年譜1946-1961

2008-12-14 00:17:55 | 多喜二のあゆみー歿後
1946(昭和21) 年
1月1日 昭和天皇の「人間宣言」

1月4日 GHQによる軍国主義者などの公職追放令

2月、小樽で「多喜二追悼の夕べ」 多喜二水彩画出品(『北海道新聞』46/2/20付)
宮本百合子「今日の生命」『文学時標』第4号46/3/1)
・平野謙「ひとつの反措定」『新生活』(4~5月号)
・『一九二八年三月十五日・党生活者』(新興出版社 5月 解説・壺井繁治)「党生活者」は、『中央公論』の校正刷りを底本とした初の復元テキスト。

・『新日本文学』(46年7月号)中野重治「批評の人間性」

・小田切秀雄「小林多喜二問題―『党生活者』をめぐって―」(10月)

・江口渙『作家小林多喜二の死』(書房ロゴス)

・日本共産党北海道地方委員会宣伝部編『小林多喜二著作集』(全3巻 創建社書房 46.3)

1947年 (昭和22) 年
民衆書房『党生活者』 ※1933年全集刊行委員会作成の紙型による。

2月、小林多喜二記念の集い(早稲田大学)
手塚英孝は、共産党本部勤務員を辞職し、『小林多喜二全集』編纂に専心することになる。
6/19『アカハタ』で、小林多喜二全集刊行委員会が「防雪林」のノート原稿を発見したことを紹介。『社会評論』(ナウカ社 11・12月合併号、48/1月号に分載)
・伊藤整「小林多喜二の思い出」(『風雪』10月号)
・宮本顕治「小林多喜二の回想」(『前衛』16号)
・手塚英孝「小林多喜二の原稿帳」(『新日本文学』10月号)

1948(昭和23) 年
「監獄部屋」(『労働評論』1月号)
・蔵原惟人、中野重治編『小林多喜二研究』(解放社)年譜・作品年表・参考資料(小田切 進)
・岩郷義雄「小林多喜二の最期を回想して」(『民主評論』 48年2月)
小説「雪の夜」(『文学時標』48年4月発行第2号)1927年1月2日~21日執筆のまま、原稿帳に残され未発表のままとされた作。
・『小林多喜二全集 第2巻』(新日本文学会編 日本評論社発売 9月)から刊行。全11巻、伝記、研究、別冊2巻の予定で刊行されたが、第9巻(1949年6月)で中断された。

・手塚英孝「小林多喜二の文学―防雪林について」(『文学』8月号)
勝本清一郎の手で、もとの第一銀行本店の地下室の貸し金庫に保存されていた「一九二八年三月十五日」の原稿は、20年後の1948年第二巻の底本となった。


「ある改札係」『芸術』(8月号 解説窪川鶴次郎) この原稿は戦争中の1944年に、軍部の圧迫で改造社が解散させられたとき、原稿類の焼却の場に偶然いきあわせた西条憲六に発見され、宮城県石巻市の同家に保存されていたもの。同原稿には、「懸賞短編小説原稿」と記入があり、作者紹介が添えられていた。しかし執筆年月日などはなく、詳細は明らかではない。

川並秀雄編『小林多喜二作品集』(大雅堂)


1949(昭和24)年
第3回 多喜二祭(神田 共立講堂)
※壺井栄「袖ふりあう」(『群像』11巻9号 昭和三一.九.一)に記録あり。

『小林多喜二全集』(新日本文学会) 刊行が順調に進み8冊を出したところで、版元が変わる。当時のアメリカ軍占領軍が、日本の「民主化政策」から、日本をアジアの゛反共の砦゛にするという政策へと転換し、日本共産党員のレッドパージが出版界にも波及し、日本評論社編集局長が追放されたことによる。全集刊行は一時中断した。
初公開「その出発を出発した女」
・立野 信之「小林多喜二―その時代と人間の影像」(『文芸』11、12月号)


1950年 (昭和25) 年
・『新日本文学』(50/2) 座談会小林セキ、小林三吾、江口渙ほか「小林多喜二の死とその前後」

1951年
(昭和26)年
※51年6月 「多喜二・百合子研究会」結成。
手塚 英孝「小林多喜二未発表書簡-16通-」(『新日本文学』6月号)
ヴラスタ・ヒルスカ(プラーグ大学日本語科主任教授)訳 『蟹工船』(チェコ語、人民図書館)


1952(昭和27)年
没後20周年『多喜二と百合子』の刊行 
8月、富士書房から日本評論社版を底本に『小林多喜二全集』(全9巻)再刊。
・『小林多喜二全集』(文庫判全12巻 青木書店 12月)第9巻までは日本評論社版全集の再刊。第9巻に「闘争宣言」を新しく収載。10巻に日記、小説補遺、11巻に書簡集。12巻に詩、(小品、小説補遺、評論補遺)の3巻を加え、全集完結。編纂、解題者は日本評論社版と同じ。


1953年 (昭和28)年
多喜二32年8月22日付「小林家のものへ」(32/12/12京橋局消印)発見(中野重治「新しく発見された多喜二の通信」)
※映画=多喜二原作 山村聡監督「蟹工船」(独立プロ 1953 9/20 北星系公開)
手塚英孝「未発表 小林多喜二より志賀直哉への手紙」(『文庫』 岩波書店12月号)


1954年 (昭和29)年
2月 手塚英孝「多喜二全集の完成」
・多喜二・百合子研究会『年刊多喜二・百合子研究第1集』(河出書房 54年)
青木書店版『小林多喜二全集』。第9巻までは日本評論社版全集の再刊。新たに3巻を加える。


1955年 (昭和30)年
・『日本文学アルバム小林多喜二』(筑摩書房 55年)
・多喜二・百合子研究会『年刊多喜二・百合子研究第2集』(河出書房 55年)= 初期改作過程に示唆されるもの(小原元) 「転形期の人々」についての断片的感想(壷井繁治) 「一九二八年三月十五日」の描写について(金達寿) 「党生活者」をめぐっての感想(西野辰吉) 一つの疑問(佐藤静夫) 多喜二を越え百合子を越え(中島健蔵)


1958(昭和33)年
小林多喜二没後25周年
2月、手塚英孝は、評伝『小林多喜二』(筑摩書房)を刊行。
多喜二没後25周年NHKラジオ番組「多喜二を偲ぶ」。
・『小林多喜二読本』(多喜二・百合子研究会.三一書房、三一新書)= 付:小林多喜二研究主要文献目録
・『多喜二と百合子』(58.7) 小林 セキ 他「小林多喜二をしのぶ」
・布野栄一「小林多喜二の遺稿断片 「防雪林」(改作)/「一九二八年村月十五日」(九章の一部及び十章エピローグ」)資料小考」(『文学』第26巻9号 岩波書店 10月)
『小林多喜二全集 第1巻』(かすが書房)
楼適夷「傑出的革命作家和戦士」(『人民日報』)


1959(昭和34)年
・『小林多喜二全集 第1巻』(世界名作文庫)(全5巻 小林多喜二全集編集委員会.青木書店 59)文庫判全集の合本。著作年譜、「防雪林」ノート断稿、書簡1通を追加。

※一九〇五年の第一次ロシア革命の挿話を映画化したセルゲイ・エイゼンシュテインの名作映画(一九二五年)『戦艦ポチョムキン』(日本には1926年に一度横浜税関にまで到着しながら、当時の天皇制映画検閲によって輸入そのものを禁止され、ソビエト本国に送り返された)は、1959年2月の非劇場自主上映開始。

1960(昭和35)年
・『多喜二と百合子』(10月号) 卞立 強「小林多喜二論」
10月、小林セキ日本共産党に入党。


1961(昭和36)年
※小林セキ死去(5/10)。88歳。
小樽商科大学図書館で、多喜二が書き込みをしたクロポトキン『青年に訴る』第十章翻訳・書き込みが発見される。

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4 コメント

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すごい~ (めい)
2008-12-14 23:19:41
情報が整理されていて、わかりやすいです!
ありがとうございます!!
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多喜二テキスト復元の歴史 (佐藤)
2008-12-15 01:07:00
これは結構大変な仕事でした。

このリストを共有することで、多喜二文学研究の効率化ができると思います。

多喜二全集(テキスト)、評伝、研究史は多喜二学の三本柱です。

ご活用ください。


        

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昭和の年数ずれ (たかはし)
2010-03-26 04:30:05
時々ここに来ています。小樽に行くのと同じくらいの回数かな?みなさん、ご注意を!1958年頃の記述から昭和の年数がずれています。
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ご指摘ありがとうございます。 (佐藤)
2010-03-26 08:53:40
たかはしさま、これからもよろしくお願いいたします。
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