「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

●第三章 「党生活者」の家計

2016-12-30 23:54:14 | 一場の春夢――伊藤ふ...
  • 第三章 「党生活者」の家計

 

佐々木と笠原の生活をさらに追い詰める事態が発生する、〈笠原〉は共産党―赤のシンパとしてデザイン事務所を突然解雇される。解雇の要因は、明らかに、佐々木の党活動に協力したからだ。その責任は佐々木にある。その家計は逼迫する。「党生活者」の家計を多喜二は以下の通り描く

 

――笠原は別に何もしていなかったのだが、商会では赤いという噂があった。それで主任が保証人である下宿の主人のところに訪ねてきた。ところが、彼女は以前からそこにいないということが分ってしまった。商会ではそれでいよ/\怪しいということになり、早速やめさせたのだった。

「私は今迄笠原の給料で間代や細々した日常の雑費を払い、活動に支障がないように、やっとつじつまを合せてきていた」という言葉があるように、佐々木には収入がなく、笠原のヒモだった。

―私たちはテキ面に困って行った。悪いことには、それが直ぐ下のおばさんに分る。下宿だけはキチンとして信用を得て置かなければ、「危険だった。」それで下宿代だけはどうしても払うことにした。だがそうすると、あと二三円しか残らなかった。

―飯を倹約した。なすが安くて、五銭でも買おうものなら、二三十もくるので、それを下のおばさんのヌカ味噌の中につッこんで貰って、朝、ひる、夜、三回とも、そのなすで済ました。三日もそれを続けると、テキ面に身体にこたえてきた。階段を上がる度に息切れがし、汗が出て困った。

 

―笠原は何時も私について来ようとしていないところから、為すことのすべてが私の犠牲であるという風にしか考えられなかった。「あなたは偉い人だから、私のような馬鹿が犠牲になるのは当り前だ!」――然し私は全部の個人生活というものを持たない「私」である。私は組織の一メンバーであり、組織を守り、我々の仕事を飽くまでも行くように義務づけられている。

――個人生活しか知らない笠原は、だからひとをも個人的尺度でしか理解出来ない。

 

 佐々木はなんという自己中心主義の人間として描かれているのだろうか。佐々木に協力しなければなに不自由ない生活者だった〈笠原〉は、いまや日陰者の生活を強いられている。その〈犠牲〉を強いたのは佐々木であるのに、佐々木はそのことに心の痛みはないようだ。この主人公は〈笠原〉の寄生虫だ。タイピストの〈笠原〉の安給与が二人の生活を支えていたばかりか、党活動費をも捻出していた。革命のためにという大義を掲げた〈やりがい搾取〉、佐々木への恋情に甘えた〈収奪〉はここにきわまったといえる。これもまた、大きな〈犠牲〉だった。「危険」なのは佐々木だけであり〈笠原〉には危険はなかった。

多喜二は「党生活者」に「性」の〈犠牲〉を見てはいたが、「家庭生活」の〈犠牲〉は見えていなかったのだろうか。そうではない。これは、後の章での「マルキストにも拘らず、女性を奴隷にしてしまう」「党生活者」批判への布石だ。

 

〈笠原〉は銀座のデザイン事務所のタイピストだという設定だったが、ふじ子が勤めた「銀座図案社」は、前衛日本画家・玉村方久斗の経営で銀座・昭和通りに面する木造三階建ての最上階にあり、衝立に仕切った同じフロアに「キネマ週報社」があった。仕事内容は、東京芝浦電気のグラフ誌のデザインなどを手掛けていて、ふじ子はその使い走りのような仕事をしていた。『キネマ週報』は、戦前の日本映画界で独自の地位を占めた映画界情報誌。『国際映画新聞』の発行元・国際映画通信社の社員であった田中純一郎(『日本映画発達史』の著者)が、片桐槌彌と組んで創刊。トーキー化を経て最初の黄金時代を迎えていた日本の映画業界の内情を知るためにもっとも有効な雑誌として知られる。一階は喫茶店で築地小劇場の劇団員のたまり場でもあった。キネマ週報社に勤める大久保武は共産青年同盟員であったし、このビルに集まった人々は左翼シンパが多かった。そういう文化空間であった。

 

――笠原は小さい喫茶店に入ることになった。始め下宿から其処へ通った。夜おそく、慣れない気苦労の要る仕事ゆえ、疲れて不機嫌な顔をして帰ってきた。ハンド・バッグを置き捨てにしたまゝ、そこへ横坐りになると、肩をぐッたり落した。ものを云うのさえ大儀そうだった。しばらくして、彼女は私の前に黙ったまゝ足をのばしてよこした。

「――?」

 私は笠原の顔を見て、――足に触って見た。膝頭やくるぶしが分らないほど腫くんでいた。彼女はそれを畳の上で折りまげてみた。すると、膝頭の肉がかすかにバリバリと音をたてた。それはイヤな音だった。

「一日じゅう立っているッて、つらいものね。」

と云った。

―笠原のいる喫茶店にはたゞお茶をのんで帰ってゆくという客ではなく、女を相手に馬鹿話をしてゆく連中が多かった。それに一々調子を合わせて行かなければならない。それらが笠原の心に沁みこんでゆくのが分った。

私はそんなに笠原にかゝずり合っていることは出来なかった。仕事の忙がしさが私を引きずッた。倉田工業の情勢が切迫してくるとゝもに、私は笠原のところへはたゞ交通費を貰に行くことゝ、飯を食いに行くことだけになって、彼女と話すことは殆どなくなってしまっていた。気付くと、笠原は時々淋しい顔をしていた。

 

この場面は、銀座の八丁目「コッテン」に勤めたふじ子の経験が活かされたのだろう。佐々木は〈笠原〉に犠牲を強いている〈笠原〉はそれを享けている。そこに「淋しい顔」をした〈笠原〉がいる。

 

―私はとにかく笠原のおかげで日常の活動がうまく出来ているのだから、その意味では彼女と雖も仕事の重要な一翼をもっていることになる。私はそのことを笠原に話し、彼女がその自覚をハッキリと持ち、自分の姿勢を崩さないようにするのが必要だと云った。

―私は久し振りに自分の胡坐のなかに、小柄な笠原の身体を抱えこんでやった――彼女は眼をつぶり、そのまゝになっていた……。

 

さすがのロボット党員佐々木も〈笠原〉を愛しく思ったのだろうか、彼は〈笠原〉をハグした。佐々木は〈笠原〉を失職させたばかりか、夜おそく、慣れない気苦労の要る仕事をさせ、帰ってきてからも炊事や、日曜などには二人分の洗濯などに追われ、それは随分時間のない負担の重い生活を強いているのだ。〈笠原〉の〈犠牲〉のおかげで、日常の活動がうまく出来ているのに。佐々木は、この〈笠原〉の気持ちにどう応えるつもりだろうか? 

彼は、その〈犠牲〉に対して感謝をささげるべきだろう。だが佐々木はその〈犠牲〉に一顧だにしてない、このことは非難されてもしかたないだろう。

「彼女と雖も仕事の重要な一翼をもっている」――佐々木はそのことを理解してはいる。だが、「意義と任務」でこの〈犠牲〉を、「左翼の運動に好意は持っていたが別に自分では積極的にやっているわけではな」い〈笠原〉に求めるのは酷だろう。そういう政治性をもった人物として〈笠原〉は設定されていない。多喜二はなぜ、こういう無理を描こうとしているのだろうか――。

それでも「党生活者」最後の場面で、須山が検挙を覚悟して倉田工業の屋上でビラをまく行動に立ち上がる。佐々木、〈伊藤〉との細胞会議で、誰かが大衆の前で公然とやらなくては闘争にならないのだ、と須山が言い、「私(佐々木)」は、「独断」でなく、「納得」によって闘争を進めてゆくべきだと考え、そのやり方で運動が正しい方向に進むように願っているという描写があります。ここで佐々木が〈命令・指示〉によって須山を動かすことを選ばず、あくまで〈納得〉を通じて自覚的に〈犠牲〉的行動に立ち上がることを求めていることにも注目すべきだ。佐々木が〈笠原〉に〈犠牲〉を求める態度も〈命令・指示〉ではなく、〈納得〉であるのだ。


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