小学校五年生位の時、東住吉区駒川町の映画館でアメリカ映画「決戦攻撃命令」(Above the Beyond:1953年製作)という映画を見ました。ロバート・テーラーが、広島原爆投下作戦の指揮官ティベッツ大佐を演じていたのですが、”家庭を半ば犠牲にして、原爆投下作戦を成功に導いた”という戦争英雄映画でした。B29エノラ・ゲイは大佐の母の名だったのです。 私は小学生でしたが、国辱映画を見たような気分を抱きました。映画は原爆投下実行犯の軍人を賞賛していましたが、原爆によって殺された何十万という広島市民のことは無視するかのようでした。
私は小学生でしたが、国辱映画を見たような気分を抱きました。映画は原爆投下実行犯の軍人を賞賛していましたが、原爆によって殺された何十万という広島市民のことは無視するかのようでした。
米軍の日本への空襲は、当初、軍事施設・工業施設に限られていたのですが、ル・メイという指揮官にかわってから、一般市民の殺傷を意図した無差別攻撃へ方針変更をしました。広島・長崎への原爆投下は、その大量殺戮の方針に沿ったものでした。戦後、日本政府はル・メイに勲章を贈ったのです。
オバマ大統領は、核廃絶への意思を表明しましたが、是非来日して広島・長崎を訪問し、原爆犠牲者への慰霊の姿勢を、アメリカ大統領として明らかにして欲しいです。
1954年3月1日、ビキニ環礁で行われた水爆実験(キャッスル作戦)では、原子爆弾1000個分の爆発力(15Mt)の水素爆弾(コード名ブラボー)が炸裂した。
このとき、日本のマグロ漁船・第五福竜丸を初め約1000隻以上の漁船が死の灰を浴びて被曝。また、ビキニ環礁から約240km離れたロンゲラップ環礁にも死の灰が降り積もり、島民64人が被曝して避難することになった。
そして米軍は、朝鮮戦争での実戦使用も検討していたことも明らかになっている。
そしてこれに対抗するように、村山聡「蟹工船」も上映運動が広げられた。
アメリカは第二次大戦終了後もネバダ・ニューメキシコで原爆実験を行い、なおかつ爆発直後、爆心地に向かって歩兵隊を進軍させる訓練を行っていました。当時、広島・長崎の教訓から、原爆投下後も死の灰や放射能汚染の危険性を、米軍中枢は分かっていたと思われるのに、兵士に危険な「人体実験」同然の訓練を強制していたのです。何年もしてから、放射能汚染によると見られる病の犯された元兵士のインタビューや科学者の証言の映像が残されています。(アメリカの核実験場の周辺では、住民に癌や白血病が多発したことも知られています。アメリカ政府はこうしたことに関して、長い間情報統制を行ってきたようです。)
第29章「英雄は色を好むか」
・・・思うに毛沢東が英雄であったのは革命が成就するまでの話である。彼は乱世の英雄、叛乱の英雄だったのであり、建設・治世の英雄たり得なかったーというのが私の毛沢東論である。類まれな戦略家であり戦術であり戦闘の指導者ではあったが、ついに国家を作る手腕にはめぐまれていなかった。そして最大の不幸は、そういう自分の資質に気づかないことだった。ーあるいは気づいていたかもしれないが、退くことをしなかったところではなかったろうか。
こうした毛沢東の精神構造を理解していたのが、周恩来で、彼が不倒翁と呼ばれたのも徹底した毛沢東への忠誠であったとされています。逆に、劉少奇は毛沢東の本心が読めておらず、毛沢東から恨みを抱かれていることにも気づいていなかったことが悲劇を招いたようです。
ノーマ・F氏は最近の来日公演で、ビキニ環礁での核実験被害について触れられたそうですが、同映画で核実験前のビキニ環礁住民
の模様を伝える映像を見ることができます。その映像は核兵器開発のために、少数民族の生活権生存権を蹂躙し、世界を欺く報道をしていた証拠に他なりません。