「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

多喜二年譜1928

2008-12-13 23:51:57 | 多喜二のあゆみ―作家・小樽在

1928(昭和3)年 25歳
「種々の研究会、あの「三・一五事件」等々が、そのぼくの傾向を決定的なものとした。」(多喜二自筆「年譜」)
小説「誰かに宛てた記録」(〈1・1~3〉『北方文芸』6月発行第6号)
評論「吹雪いた夜の感想」(〈1・3〉『小樽新聞』1月9、30日号 )
評論「とても重大な事」(〈1・19〉『シネマ』2月号)
原稿帳に、戯曲「山本巡査改作」〈1・19〉

2月 窪川いね子=佐多稲子「キャラメル工場から」、黒島伝治「渦巻ける烏の群」

2/1 日本共産党機関紙『赤旗』創刊。

2月、普通選挙法による最初の国会選挙がおこなわれ(男子のみ)、多喜二は、労働農民党から立候補した山本懸蔵を応援して、東倶知安方面の演説隊に加わる。労農党は19万票を獲得し、山本宣治ら2名が当選。
評論「さて、諸君!」(〈2・21〉『シネマ』3月号)
「酌婦」を改作した小説「瀧子其他」 (〈3・2〉『創作月刊』文芸春秋社 4月号)
旧クラルテの仲間によるガリ版刷文芸誌のため「AからLまで―文学の階級性と文学青年の方向性」執筆。原稿は失われた(佐貫徳義談)。

3/10 妹ツギ、幸田佐一と結婚。

3/15 組合活動家、社会主義者などを全国で一斉検挙した「3・15事件」。小樽では2ヶ月にわたって、500人が逮捕、検束、召喚され、多喜二の友人も犠牲になった。

4/7新井紀一宛書簡、「今度の『創作月刊』の自分の作、時事新報の河原茂樹という人に、酷評このうえもない酷評を受けました。少しグシャンとしています。」
原稿帳に評論「政治と芸術の『交互作用』」〈4・10〉

4/10 小樽合同労組、労農党、無産青年同盟小樽支部解散させられる。
4月26日、前年12月から執筆していた「防雪林」を原稿帳に完成。(生前未発表)
評論「『ヴォルガの船唄』其他」 (〈4・27〉 『シネマ』5月号)
※同月25日、前衛芸術家同盟と日本プロレタリア芸術連盟か合同し、戦前最初にして最後の統一戦線(それはアナキストから社会民主主義者、マルキストまで結集した)である日本左翼文芸家総連合を結成し、『戦争に対する戦争』を発刊するなどして小林多喜二ら青年文学者に大きな影響を与えた。ナップ機関誌『戦旗』が創刊された(5月号)。同誌に発表した蔵原惟人の「プロレタリア・レアリズムへの道」は、多喜二らに創作方法など大いに啓発した。
伊藤信二、風間六三らとナップ小樽支部をつくる。評論「『第七天国』」(〈5・12〉『シネマ』6月号)


5月中旬、10日間の予定で上京、新橋の自宅に評論家・蔵原惟人を訪ね、以後親交を深めた。5月24日、多喜二は蔵原へ「創作月刊の私の『最後のもの』、『滝子そのほか』をお読み下さい」と書簡。



原稿帳に「人を殺す犬」を改作の小説「監獄部屋」〈5・27〉
5月26日、「一九二八年三月十五日」を起稿、8月17日完成、『戦旗』11、12月号に発表。その間の7月、為替係から調査係へ配置がかわる。

6/4 関東軍が張作霖の列車を爆破。6/29 治安維持法が、最高刑を死刑に改悪。

6月 志賀直哉「暗夜行路 後篇」7/3 特別高等警察課を設置。中野重治「春さきの風」(『戦旗』8月号) 、貴治山治「ゴー・ストップ」、蔵原惟人「芸術運動当面の緊急問題」
蒔田栄一が、多喜二の文章を英訳し『上級英語』(9月号)「一日一題」欄に掲載。全集未載。

9月5日、選挙ルポ「東倶知安行」完成(文芸春秋社『創作月刊』に送るも、没原稿となる)。
「三・一五」事件で中断していた社会科学研究会を再開。

10月6日 共産党書記長渡辺政之輔、台湾で警官に追われ自殺

10/14「防雪林」の改稿に着手するも中断。
1
0/18『読売新聞』「よみうり抄」欄、『時事新報』「文芸消息」欄で「一九二八年三月十五日」が紹介される。

10/24 ニューヨーク株式市場大暴落。世界恐慌始まる。

10月28日、「蟹工船」を起稿。
10/30 『戦旗』(28年11月号)蔵原惟人「『一九二八年三月十五日』について」、『文章倶楽部』(11月号)山田清三郎「注目すべきプロレタリアの新人」掲載。
10/31 新井紀一宛書簡「「三・一五」が戦旗に載りました。色々な欠点を御教示願えたら、幸甚と思います」
評論「口語歌人よ、マルクス主義を!!」〈11・6〉『新短歌時代』12月号

11月10日 昭和天皇即位の礼

11/28 新井紀一宛書簡 「自分の作は、実際予想した以上の賞賛を、殆ど全文壇から(というよりは勿論プロ文壇)から受けたといっていい程でした。」
11月末から多喜二は、小樽海員組合の北方海上属員倶楽部発行の『海上生活者新聞』の文芸欄を担当。
評論「映画には顕微鏡を?」(〈12・3〉『シネマ』29年1月号 )

「自分の中の会話」(『文章倶楽部』29年新年号 略歴、顔写真つきで掲載)
・『都新聞』(28/12/17)蔵原惟人「プロレタリア文芸の画期的作品―小林多喜二の『一九二八年三月十五日』―」

12/25 ナップが再組織され、全日本無産者芸術団体協議会(ナップ)が成立。山本宣治代議士、来樽。

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