「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

多喜二年譜1930

2008-12-13 23:57:05 | 多喜二のあゆみー東京在
1930(昭和5)年 27歳
1月20日 小説集『不在地主』日本評論社から刊行。1941年6月4日安寧禁止処分に付された。
※夏衍は「崔若沁」名で、「関于"蟹工船」を『拓荒者』創刊号(1930/1月号)に掲載した。王任叔(巴人)は、雑誌『現代小説』1月号に「小林多喜二底『蟹工船』」を掲載した。

評論「宗教について」(『中外日報』1月9日号)
評論「プロレタリア文学の新しい文章に就いて」(『改造』2月号)
「総選挙と『我等の山懸』」(『戦旗』2月号 )
評論「プロレタリア文学の方向に就いて」 (〈1・5〉『読売新聞』1月14、15、17日号)
評論「『暴風警戒報』と『救援ニュースNo.18.附録』に就いて」 (〈1・21〉『読売新聞』2月1日、4日号

※夏衍は「沈端先」名で、2月発行の『拓荒者』第二期に「小林多喜二的"一九二八年三月十五日"」

評論「宗教の『急所』は何処にあるか?」〈1・23〉『中外日報』2月2、4、5、6日号
評論「『機械の階級性』について」(〈1・23〉『新機械派』(武田暹主宰同人誌)3月発行第1号)
「プロレタリア短歌について」(感想『新短歌時代』4月号)
「銀行の話」(〈1・26〉『戦旗』4月号)
前年12月18日に起稿の小説「工場細胞」が2月24日完成。書留小包で送る。(『改造』4、5、6月号に連載)

1月30日、「田口の『姉との記憶』」を改作した、小説「同志田口の感傷」完成。(『週刊朝日』4月春季特別号 永田一脩のカットと挿絵) 

3月『蟹工船』(戦旗社 改訂普及版 装幀大月源二)が発行された。半年の間に3万5000部を売りつくし、当時としては記録的な発行部数となった。
3
月未、小樽から上京し、東京市外中野町(現中野区)上町に下宿。近在の橋本英吉、鹿地亘らと親交を深める。作家同盟主催の多喜二歓迎会が、新宿・白十字で開かれた。
4/6 本郷・仏教会館での作家同盟第2回大会に出席、挨拶。
「同志林房雄」序文(〈4・7〉『鉄窓の花』)
童話「健坊の作文」(〈4・9〉『少年戦旗』5月号 松山文雄挿絵)
白揚社発行『プロレタリア文学』6月創刊号に、評論「プロレタリア・レアリズムと形式」〈4・11〉 

田口タキ、4/10ごろ上京。多喜二と3週間ほど同居。

4月蔵原惟人「『ナップ』芸術家の新しい任務」

・4月、中国・上海で戦旗社版を底本とした『蟹工船』(潘念之中国語訳)上海大江書鋪が刊行される(国民党政府、ただちに発禁処分)。

「現行映画検閲制度に就いて」(『新興映画』5月号)
「感心した作品・その理由」(『プロレタリア文学』6月号)
「プロレタリア大衆文学について」(『世界の動き』6月号)
評論「プロレタリア文学の『新しい課題』」(『読売新聞』4月19、22日号)
評論「『報告文学』其他」(『東京朝日新聞』5月14~16日号)
「傲慢な爪立ち」(『時事新報』5月19日号)
評論「『シナリオ』の武装」(『プロレタリア映画運動の展望』)
小説「市民のために!」(〈5・17〉『文芸春秋』7月増刊・オール読物号 吉田謙吉挿絵1枚)

・5月小説『一九二八年三月十五日』(戦旗社)★

夏衍は「沈端先」名で『大衆文芸』第2巻第3期に、沈端先名で「一九二九年の日本文壇」を書く。
5月20日 共産党シンパ事件で三木清、中野重治、平野義太郎、山田盛太郎ら検挙

5月、「戦旗」防衛巡回講演のため、江口渙、貴司山治、片岡鉄兵らと京都(17日)、大阪(18日)、山田(20日)、松阪(21日)をまわった。京都では山本宣治の遺族を訪ね、墓参。
6月「救援ニュースNo.18.附録」収録、『日本小説集』(6)新潮社

5月23日、大阪で日本共産党へ財政援助の嫌疑で逮捕され2週間拘留され、拷問を受ける。6月7日いったん釈放された。大阪から6/9付斉藤次郎宛書簡「ひどい拷問をされた。竹刀で殴ぐられた。柔道でなげられた。髪の毛が何日もぬけた。何とか科学的取調べを三十分もやらせられた」。先に逮捕されていた中野重治を、妻原泉とともに滝野川警察で面接。24日立野信之方で、立野とともに、ふたたび逮捕された。
7
月4日小説集『工場細胞』を戦旗社から出版。

7月19日、多喜二と山田清三郎(『戦旗』編集長)は、東京区裁判所検事局によって『蟹工船』の表記が「不敬罪・新聞紙法違反」にあたると起訴された。
8月21日、治安維持法違反で起訴、豊多摩刑務所に収監された。以後5ヶ月の未決生活。
 中野重治の妹で、詩人の中野鈴子は留置場から豊多摩刑務所まで毎日、多喜二への差し入れに奔走する。母セキは多喜二にあてて手紙を書くため字を覚えようとした。

9/4付「田口瀧子宛書簡」

10月4~13日、小野宮吉、島公靖脚色「不在地主」(〔4幕11場〕、佐々木孝丸演出、市村座で東京左翼劇場公演)

11月、ハリコフで開かれた国際革命作家第2回国際会議の日本文学委員会でも、高い評価を得た。

多喜二は獄中から、志賀直哉に宛てて手紙を出す(12/13)。

11月14日 浜口首相、東京駅で撃たれる。

宮本(当時中條)百合子10月ロシアを立ち帰国。12月作家同盟に加盟。*米価暴落、農村の困窮深刻化

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