「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

希望の松 (akio)

2011-04-05 23:40:57 | 仲間たちから多喜二への手紙
希望の松 (akio)
2011-04-05 22:06:27
 がれきの中の「希望の松」岩手・陸前高田市から  佐藤 慧(11・4・5付 しんぶん赤旗)

 (akio:一部を紹介したいと思います。)

 数百の遺体の間を歩き、あの優しい母の笑顔を探すことは拷問に近かった。・・・。
 
 一つひとつの棺の中の顔をのぞき込み、そこに母の面影がないことを確認する。

 どの顔も苦痛にゆがんでいる。素朴な生活が一瞬にて波にさらわれ、がれきと泥土の下敷きとなったのだ。

 僕の両親の住んでいたまち・陸前高田市は、市街地が確認不可能なほどたたきつぶされていた。(病院に勤務している父とは再会しましたが、母とはいまだ再会できていません。)

 ・・・陸前高田市の松原には、ただ一本、津波に耐え抜いた松が残っている。

 その松は、大切な仲間を失いながらも堂々とそびえていた。
 その不屈の精神、真っすぐに立つ姿をみて、人々はそれを「希望の松」と呼ぶ。

 希望とは、未来に足を進めていくことでしか得られないもの。

 いま、みんながつながり、その未来にむけて歩んでいく。

 (さとう・けい フィールド・エデイター/ジャーナリスト)

 akio:この高田松原の「潮害防備保安林」は、大船渡地方振興局(気仙地方)の人たちが永年、手塩にかけて撫育(補植・間伐等)してきた、全国に誇れる素晴しい「森林」でした。(海岸線にこれだけの森林を造成した先人のご苦労に頭が下がります。)

 akio:この「希望の松」は、24m以上の樹高があると思われます。枝下高が17mです。その下木に「クロマツ等」が豊に育ち、防潮と津波の被害を「和らげる」役目を永年果たしてきたからこそ、その後方に豊かな「農村」が営まれてきたと思います。

 akio:「国土保全」の官職に永年携わってきた私は、今回の未曾有の大津波に驚くばかりです。でも、この一本の「希望の松」が、私に与えたはかりしえない感動を生涯忘れることはないと思います。

 追伸:「希望の松」・・・樹冠が径14m以上・樹高:枝下が不正常なので、今後の保全に対策が必要と感じています。

 追伸:「希望の松」・・・『日本の木=アカマツ』(樹形を見て)

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