goo blog サービス終了のお知らせ 
不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

小林多喜二と"反天皇制文学"-1930年代講座派を超えて『星灯』第9号原稿予告

2021-09-12 16:01:45 | 多喜二研究の手引き

小林多喜二と"反天皇制文学"

-1930年代講座派を超えて

 

 

これから資料収集に入ります。

情報などご教示いただければ幸いです。よろしく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

琉球処分-1868年明治政府が誕生

2021-09-12 16:01:45 | 多喜二研究の手引き

琉球処分 -日本に組み込まれた琉球王国-

■解説文

 700年近く続いた武士支配の時代が終わり、1868年明治政府が誕生しました。藩閥を柱としてつくられた新政府は、天皇を中心とした中央集権国家の確立をめざし日本国の国境を画定することを重要な政治問題としました。

 これまで琉球王国は、薩摩に支配されてはいましたが、清国(中国)との冊封・進貢関係にありました。明治政府は1871年に台湾で宮古島の遭難者が殺された事件(台湾遭害事件)がおこると、琉球が日本領であると清国に認めさせるため72年に琉球藩を設置、74年には台湾に出兵しました。出兵後日清両国間で締結された「北京議定書」には琉球人民のことを〈日本国属民〉と表記し、条約上琉球は日本の版図であることを承認したのです。琉球の人々の承認も、同意もないまま、頭の上を通り過ぎて歴史は動いていったのです。

 1879年、明治政府は武力を背景に首里城において廃藩置県を通達し、沖縄県を設置しました。琉球藩王には琉球の土地・人民・書類などを政府にひきわたし、東京に居住することを命令しました。政府のやりかたに反発した琉球の士族たちのなかには清国に訴え救助を求めた人たちもいましたが、清国は自国の内政問題をかかえ、琉球に関する日本との条約の調印にはいたりませんでした。琉球王国を日本国に組み込んでいく政治的課程を琉球処分とよんでいます。

 日本国に組み込まれても、各県で行なわれていた地租改正などの改革はすぐには行われず、旧慣温存政策がとられ、民衆の苦しみは改善されませんでした。政府は沖縄県の〈教育〉に力をいれ、天皇制国家の臣民として育てあげようとしました。しかし、人頭税などで苦しむ宮古島の農民たちは人頭税廃止にたちあがり、国会に直訴しました。自由民権思想も謝花昇らによって広まり、旧慣改革の運動は高まりをみせました。近代的な土地制度と租税制度を確立するため、土地整理事業がおこなわれたのは1899年になってからでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小林多喜二のマルクス主義の受容と日本革命文学の展望

2017-12-13 21:21:36 | 多喜二研究の手引き

<<小林多喜二のマルクス主義の受容と日本革命文学の展望>>

※七年前の構想案でした。

内地殖民地としての「北海道」

農地を奪われ、北海道に移民した小林家

帝大新人会と「学連」

 

クロポトキンと白樺派の社会主義意識

 

・はじめに

―「共産党宣言」成立160周年に、麻布十番アジトに残した「27テーゼ」多喜二自筆書き込みを読む

 

多喜二が社会主義思想に目覚める時代、社会主義者の間では当面する日本革命の性格をめぐって論争があった。

その柱が、日本の資本主義発達の過程をどのようにとらえるのかという論争だった。

日本資本主義論争とは、革命を目指すマルクス主義者達による、当時の日本の資本主義の状況の把握に関する論争である。

日本社会はまだ封建的な要素を持っているから、民主主義革命の段階を経てようやく社会主義革命の段階の展望がひらけるとする二段階革命論の講座派(27テーゼの立場)と、日本はすでに契約関係の資本主義社会を確立していると主張した非共産党系の労農派(社会民主主義系政党系)が論争を展開した。

小林多喜二の『不在地主』は労農同盟の闘いの実際を描いていて、日本での階級闘争を多喜二がどのように展望していたかを示しているものとして考察できる。 

 

では以下、日本資本主義論争の争点となった事柄について検証していくことにする。

はじめに、戦略論争・封建論争についてであるが、野呂栄太郎が主張した、絶対主義の物質的基盤としての封建的土地制度が残っているという現実を分析している・・・・・。

 

(1)

・マルクス主義とであう前の多喜二1 秋田の風土―「十二月何日かのこと」「故里の顔」を読む

 

・マルクス主義とであう前の多喜二2 「老いた体操教師」が示すもの

 

・マルクス主義とであう前の多喜二3 小樽高商卒論を読む

 

 

 

 

・多喜二とクロポトキン 

●明治の社会主義意識の沿革

 

近代日本において社会問題・労働問題が本格的に論じられるようになったのは、日本資本主義が確立した明治30年頃といってよいであろう。

ひとつは,在野の社会主義者や自覚的な労働者によって,もうひとつはアカデミズムのなかから。

 

 

・多喜二と大杉栄

・多喜二と幸徳秋水

・多喜二と石川啄木

 

(2)多喜二とマルクス主義とのであい

・高商社会科学研究会

・高商社会科学研究会メンバーのそれぞれのマルクス主義

・高商軍事教練反対闘争のオルグのもたらしたレーニン主義

・小樽港湾争議オルグのマルクス主義

・磯野争議オルグのもたらしたエンゲルス主義

 

(3)多喜二の革命思想の成熟

・多喜二と福本和夫のレーニン主義―意識の役割

・多喜二と蔵原惟人のレーニン主義―党の組織と党の文学(文書)

・多喜二と野呂栄太郎のレーニン主義―労農同盟、反戦闘争

・日本革命の展望の成熟 「27テーゼ」から、「31テーゼ草案」を経て、「32テーゼ」へ。そして人民反戦統一戦線の構築へ。

 

多喜二とマルクス主義経済学

多喜二とマルクス主義哲学

多喜二と社会主義社会論とそれをめざす運動

多喜二メディア戦略とレーニン「宣伝と煽動」

多喜二世界革命の文学―中国、朝鮮の作家たちとの連帯を求めて

(4)生かされた「共産党宣言」

あざむかれたスターリン「レーニン主義の基礎」のプロパガンダ

貫かれたエンゲルス「反デューリング論」の教訓

 

(4)近代日本資本主義発達と多喜二の作品の舞台、カムチャッカ、北海道・秋田・東京

 

(5)多喜二の革命思想の光と影―革命を描く「文学」と、文学構造の「革命」

「蟹工船」

多喜二・投稿少年時代

『尊商』『会友誌』 の多喜二

多喜二・同人誌「クラルテ」時代

『新興文学』、『前衛』、『文芸戦線』の読者から作者へ。

『改造』、『中央公論』デビュー前後

『朝日』、『読売』『都新聞』の多喜二

『戦旗』、『ナップ』時代

『プロレタリア文学』、『プロレタリア文化』時代

蔵原「プロレタリア・レアリズムへの道」との位相

 

・「一九二八年三月十五日」「工場細胞」「オルグ」「党生活者」

・「防雪林」「不在地主」「沼尻村」

・「テガミ」「誰かに宛てた手紙」「救援ニュース18」

・「母たち」「母子の途」「安子」

「東倶知安行」「転形期の人々」「暴風警戒報」「地区の人々」

 

結語

戦後の多喜二の読みは、多喜二が生きていた時代の読みと異なる。 

多喜二は当然のことながら虐殺されていなかった。 

 

多喜二とタキの恋愛という作家のプライベートは公開されていなかった。 

 

戦後の多喜二の読みは、「特高に殺された作家」であり、酌婦の恋人との恋愛を引きずる「人間的な作家」だった。 

 

そういう読みの典型が手塚英孝の読みだった。 

 

多喜二は「人間的な作家」ということを自分の作品世界の根幹においていたのだろうかと思う。 

換言すれば、「人間的な作家」を求めた白樺派文学を超えるところに、多喜二の求めた文学世界の到達があるのではないかと思うのだ。

もう少しいえば「タキ」の人生観をそのままでは受け入れるわけにはいかなかった多喜二こそが、「1828.3.15」を書き、「蟹工船」を書いたのではないかと思うのだ。 

 

多喜二初期文学が光を放っているとはいえ、やはり志賀直哉に対して「月」の位置、すなわち光源としての志賀直哉あっての世界だった。 

それにたいして、「1828.3.15」以降はたしかに、多喜二は多喜二の光を放っているといえると思う。 

多喜二は世界に出て行くことができる作家だったと思う。 

世界は多喜二に舞台を用意して待っていたと思う。 

 

だが多喜二は、タキのいる日本、セキのいる日本を出ることはなかった。 

多喜二が世界的作家になるためには、日本から脱出すべきだったと思う。 

虐殺されなかったら・・・・「転向」したかもしれないという議論がある。 

そういう可能性を語るなら、多喜二は世界革命の作家になったかもしれないという可能性も考えてもいいのではないかと思う。 

 

なぜなら、多喜二の地下活動の全体像(1932-33)はいまだ明らかにされていないからだ。

 

21世紀へ多喜二の文学精神をどう生かすか。世界社会主義体制の後退と、高度資本主義国における革命文学の再生への胎動。そこに多喜二の文学を求めたい。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そろそろ第7部を執筆するかな?

2017-12-13 17:03:05 | 多喜二研究の手引き

宿題に取り組もう!しかし、誰得?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『手塚英孝著作集』全3巻目次

2013-10-14 23:16:52 | 多喜二研究の手引き
『手塚英孝著作集』全3巻(新日本出版社、1982.12~1983.4)

第1巻 小説 1983.2.15
 
虱……………………………………………… 5
木曜日の午後…………………………………67
外套……………………………………………89
父の上京…………………………………… 107
停留所にて………………………………… 145
薬…………………………………………… 155...
予審秘密通報……………………………… 165
「赤旗」地下印刷………………………… 241
落葉をまく庭……………………………… 281
土曜日の午後……………………………… 331

宮本顕治宛書簡…………………………… 335
*解題(津田孝)………………………… 363
 

第2巻 評論 随筆 1982.12.1
 
松岡荒村の遺稿……………………………… 9
小林多喜二の原稿帳…………………………16
児玉花外について……………………………23
「二つの庭」解説……………………………45
残された小説資料の一部……………………50
非合法時代の小林多喜二……………………66
「不在地主」の背景…………………………94
小林多喜二―近代作家像への照明……… 124
片山潜と文学文化運動…………………… 137
戦時下の反戦文学………………………… 143
小林多喜二の作品についての報告のなかから…… 149
小林多喜二小伝…………………………… 155
「蟹工船」について……………………… 195
葉山嘉樹の書簡と小林多喜二「蟹工船」の原稿…… 201
翻訳された小林多喜二の作品…………… 204
同志小林多喜二を憶う…………………… 209
小林多喜二の思い出……………………… 212
終戦の年…………………………………… 236
目白の家…………………………………… 245
多喜二全集の完成………………………… 249
思い出をたどって………………………… 256
一九三二年頃の非合法生活……………… 261
小林多喜二の碑…………………………… 268
小林多喜二の伝記を書いて……………… 273
新版の小林全集と年譜…………………… 280
研究会の十年間…………………………… 285
小林多喜二の最後の住居………………… 288
佐々木と須山……………………………… 290
外国の小林多喜二研究者………………… 294
「十二年の手紙」について……………… 297
「定本・小林多喜二全集」発刊にあたって…… 302
全集の仕事がはじまった頃……………… 306
小林多喜二の調査で……………………… 310
志賀直哉と小林多喜二―明らかになった一つのこと…… 312
新しい事実―小林多喜二「党生活者」のモデル工場のこと…… 317
晩年の小林多喜二………………………… 321
「播州平野」のゆかりの地……………… 326
「宮本百合子全集」……………………… 330
二人のお母さん…………………………… 333
宮本百合子没後三十周年に寄せて……… 351
晩年の花外………………………………… 355
徳永直……………………………………… 369
神吉洋士と生江健次……………………… 375
本間唯一君について……………………… 386
今野大力について―没後三十年を記念して…… 392
新井紀一を憶う…………………………… 396
神吉洋士のこと…………………………… 401
ひとすじの黒い汗………………………… 405
江口さんのこと…………………………… 410
発禁本の倉………………………………… 417
アメリカへわたった日本の文献………… 420
ある小道具の名人………………………… 423
郡山行……………………………………… 426
一つの問題………………………………… 429
サークルで気づいたこと………………… 431
中国の旅…………………………………… 433
泉…………………………………………… 439
小田急の十七分…………………………… 442
郷土を語る………………………………… 447
大きな袋をぶらさげて―日暮れて道遠し…… 450
青年時代のこと…………………………… 452
風呂友だち………………………………… 460
世田谷のボロ市…………………………… 463
本屋のお爺さん…………………………… 466
蘭の花……………………………………… 468
猫…………………………………………… 470
金鵄勲章…………………………………… 473
私と文学…………………………………… 477
*解題(津田孝)………………………… 493
 

第3巻 小林多喜二 1983.4.20
 
小林多喜二…………………………………… 5
『小林多喜二文学館』解題……………… 355
小林多喜二年譜…………………………… 461
*解題(津田孝)………………………… 489
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トロツキー/訳 湯川順夫・西島栄「反戦大会に関する手紙」

2013-06-03 23:57:28 | 多喜二研究の手引き

反戦大会に関する手紙

トロツキー/訳 湯川順夫・西島栄

【解説】本論文は、スターリニスト官僚が、隠蔽された形で、平和主義者や改良主義者とともに反戦大会を開こうとしていることを批判した手紙である。スターリニスト官僚は、ドイツでは、改良主義者とのあらゆる統一戦線に反対しながら、国際的舞台では、ロマン・ロランやバルビュスを前面に立てる形で腐った統一戦線政策を進めようとしていた。トロツキーは、このような企ての裏切り的性格を無慈悲に暴いている。

 本稿の翻訳はすでに、『トロツキー著作集 1932』上(柘植書房新社)に収録されているが、アップするにあたって、『反対派ブレティン』に掲載されているロシア語原文にもとづいて点検し修正を加えている。

Л.Троцкий, Письмо о конгрессе против войны, Бюллетень Оппозиции, No.28, Июль 1932.

Translated by the Trotsky Institute of Japan


  親愛なる同志諸君!

 私の手元にパリの雑誌『ル・モンド』6月4日号がある。『ル・モンド』の発行者はバルビュス(1)で、現在これは、「偉大な反戦大会」を招集するための一種の中央機関誌のようなものになっている。この雑誌の3頁には、ロマン・ロラン(2)とアンリ・バルビュスのアピールの抜粋がある。このアピールの性格と精神は次の文章によって十分に明らかである。

「われわれは、その政治的所属にかかわりなくすべての人々、すべての大衆に、そしてすべての労働組織――文化、社会、組合関係の――に、大衆的なすべての勢力とすべての組織に呼びかける! 戦争に反対する国際大会に結集しよう!」。

 その次にロランのバルビュス宛ての手紙から次のような文章が抜粋されている――「私の意見は、大会は戦争に反対する誠実で決然たる闘争という共通の基礎にもとづいてすべての政党と無党派の人々に開かれていなければならないということです」。さらにロランは、この闘争において第1の位置をしめるのは労働者階級でなければならないというバルビュスの意見に同意している。さらに続けて、大会に参加する人々の最初の名簿が掲載されている。これは、フランスとドイツの急進派や半急進派の作家、平和主義者、人権同盟のメンバー、等々によって構成されている。

 さらに著名なエミール・ヴァンデルヴェルデ(3)からの次のような金言が引用される。

「あらゆるところで戦争は……一方において革命的不満の爆発をもたらし、他方では偏狭な民族主義の激しい反動をもたらしている。それぞれのインターナショナルが戦争を阻止するためにその力を統一することが、かつてないほど必要になっている」。

 ヴァンデルヴェルデのこの文章はベルギー社会党の新聞『ル・パープル』1932年5月29日号からの引用であり、つづいてフランス共産党中央機関紙『ユマニテ』1932年5月31日号から次のような文章が転載されている。

ロマン・ロランとアンリ・バルビュスによるジュネーブ国際大会参加の呼びかけに『参加する!』と応えよう」。

 統一労働総同盟(CGTU)中央機関誌『ラ・ヴィ・ウーブリエール』の最新号には、ロランとバルビュスの呼びかけに全面的に同意する文章が掲載されている。

 したがって、事態はいまや完全に明らかである。フランス共産党とその指導下の労働組合組織がこの大会の提唱者を支持しているのだ。共産党の背後にいるのはコミンテルンである。問題になっているは新しい世界戦争の危険性である。この危険性に対する闘争において、同伴者――小ブルジョア平和主義者のうち最も真面目で断固たる人々、あるいは、ある程度までそうなりうる人々――を利用することも必要である。しかしながら、いずれにしても、このことは、第3級の――第10級ではないにせよ――重要度の問題にすぎない。国際プロレタリアートの目の前でイニシアチブをとるべきであったのは、コミンテルンとプロフィンテルンである。最も重要なことは、第2およびアムステルダム・インターナショナルに組織されている労働者大衆をわれわれの側に首尾よく獲得することである。

これを実現するのに役立つのは統一戦線政策である。第2インターナショナル執行委員会の最近の会議は、日本に反対して「ソヴィエト連邦を防衛する」と声明した。指導者の決意が問題になっているかぎりにおいて、われわれはこの防衛の重みと価値がどのようなものであるかを知っている。しかし、この決議が採択されたという事実そのものは大衆の圧力を示すものである(恐慌および戦争の危険性)。このような状況のもとでコミンテルンには、国際的規模で統一戦線政策を展開する義務がある。すなわち、戦争の危険性に抗する厳密に練り上げられた実際的行動綱領を世界プロレタリア階級の前で第2およびアムステルダム・インターナショナルに公然と提起しなければならない。

 だがコミンテルンは沈黙している。プロフィンテルンは沈黙している。イニシアチブは2人の平和主義的作家に引き渡された。その一人であるロマン・ロランは疑いなく偉大な作家であり、偉大な個性の持ち主であるが、あらゆる政治の外に立っている人物である。もう一人のバルビュスは平和主義者で神秘主義者であり、共産党員であるとも共産党から除名されたともつかない人物で、いずれにしても社会民主主義との共産党の完全な合併を吹聴している。「われわれのもとに結集せよ」とロランとバルビュスが呼びかける。「『参加する!』と応えよ」と『ユマニテ』が唱和する。公認の共産主義が小ブルジョア平和主義にこのように這いつくばる姿以上におぞましく、屈服的で、犯罪的なことを想像することができるだろうか?

 ドイツでは、改良主義的指導者を暴露するために労働者大衆組織に統一戦線戦術を適用することは許しがたいと宣言される。それと同時に、国際的レベルで統一戦線政策が適用されるが、その第1歩は、並いる改良主義的裏切り者のうち最悪の連中のための広告になりはてている。ヴァンデルヴェルデはもちろんのこと「平和に賛成」である。彼は、戦時ではなく平時に自国の国王の大臣として仕えることがはるかに有利で好都合だと考えている。社会愛国主義者にして、たぶんベルサイユ講和条約の署名者であるこの人物の恥知らずな金言が、「偉大な反戦大会」の綱領になっている。そして『ユマニテ』はこの背信的で有害きわまりない仮面舞踏会の共犯者となっている。

 ドイツで問題になっているのは、労働者階級のみならずその改良主義組織と改良主義指導者さえも直接的に脅かしているファシストの反革命的ポグロムを阻止することである。社会民主主義の紳士諸君にとって問題になっているのは、俸給、大臣としての特権、さらには彼らの身の安全である。ファシズムと社会民主主義との巨大で先鋭な矛盾をプロレタリア革命のために正しく系統的に利用することを拒むことができるのは、官僚的愚鈍の泥沼に沈み込んだ者だけである。

 だが戦争の問題においては事情はまったく異なる。戦争は改良主義組織――とくにその指導者――を直接脅かすものではまったくない。それどころか、経験の示すところによれば、戦争は改良主義指導者に目のくらむような出世の道を開く。愛国主義こそがまさに、社会民主主義を民族ブルジョアジーに何より緊密に結びつけているイデオロギーである。ファシズムが社会民主主義の首に手をかけようとしたならば(ファシズムはそうするだろう)、社会民主党は、何らかの形で、ある一定の限界内で、ファシズムから自らを防衛しようとすることは、ありうることだし、不可避でさえある。しかし、ブルジョアジーが宣戦を布告したときには、たとえそれがソヴィエト連邦に対するものであったとしても、社会民主党(それがどの国であれ)が、自国のブルジョアジーに対する闘争を行なうというようなことは、絶対にありえない。戦争に反対する革命的カンパニアは、特別かつ独自の課題として、社会民主党的な平和主義の欺瞞と腐敗を暴露しなければならない。

 ではコミンテルンは何をしているのか? それは、各国レベルでは社会民主主義と民族ファシズムとのまったく現実的で深刻な対立を利用することを禁止しながら、国際的レベルでは国際社会民主主義とその帝国主義的主人との幻想的かつ偽善的な対立にしがみつこうとしている。

 ドイツでは統一戦線は全面的に禁止されているのに、国際的舞台において統一戦線は、最初から、まったく欺瞞的で腐敗した性格を粉飾し覆いかくすものとして展開されている。誠実きわまりないロマン・ロランの理想主義的無邪気さを利用しつつ、すべてのペテン師と面目を失った出世主義者、社会民主主義の元大臣や大臣候補は「参加する!」と宣言する。このような連中にとって反戦大会は一種の保養所であり、そこで彼らは、少しばかり傷ついた評判を回復し、その後で自分たちをもっと高く売り込もうとするであろう。反帝国主義同盟(4)の参加者もまさにそのようにふるまった。われわれの前にあるのは、国民党と英露委員会の経験の、世界的規模における再現である。

 国際スターリニスト分派を中間主義と規定するわれわれの正しさを疑う衒学家がいる。出来損ないの教科書で毒された人々は、生きた事実から学ぶことができない。まさにここにあるのは、理想的で典型的で普遍的で地球規模の中間主義であり、それがわれわれの目の前で生きて活動している。その鼻先は右をむき、その尻尾はいぜんとして左に強く振られている。この鼻先と尻尾をつなぐ線を引くと、中間主義の軌道が得られるのだ!

 歴史は転換点にいる。世界全体も今や転換点にいる。そして中間主義も転換点にいる。ソ連において、スターリニストは、5年で階級を廃止するというたわ言を言い続けながら、同時に自由市場を復活している。極左主義の尻尾は賢い日和見主義的頭が決めたことをいぜんとして知らない。ソ連の文化政策の問題において、右への大転換が生じた。もちろん、いかなる説明もない無言の転換であり、それだけにいっそう居丈高な転換である。同じ過程がコミンテルンの政策においても生じている。不幸なピャトニツキー(5)はいぜんとして極左主義の残り物を口にくわえているのに、マヌイリスキー(6)のような連中は、背骨と関係なく頭を右に回せという指令をすでに受け取っている。エピゴーネンの政策の9年間というもの、その原則の欠如、イデオロギーの貧困、実践におけるペテン行為を、現在ほど露骨で恥知らずな形で暴露したことは一度としてなかった。

 ボリシェヴィキ=レーニン主義者諸君! 重大な歴史的転換の徴候が世界規模で累積しつつある。このことはわれわれの分派の運命に影響しないわけにはいかない。われわれは現在すでに、真に偉大な歴史的任務をになっている。戦争に反対する闘争は、何よりも平和主義の仮面舞踏会と中間主義官僚のペテンに対する闘争を意味する。われわれはこの機構の矛盾を暴露する無慈悲なカンパニアを展開しなければならない。彼らの破産は迫りくる偉大な事件を前にしては不可避である。

 ソ連の防衛は、スターリニスト官僚の友人たち――必ずしも無心とはかぎらない――が振りかざしているサロン的空文句ではない。ソ連の国際的防衛は今や、プロレタリアートの国際的な革命的闘争にますます依存するようになっている。数百万の人々の血と運命が賭けられているときには、最大の明瞭さが必要である。今日、スターリンの機構以上に階級敵に奉仕しているものはいない。この機構は、その特権を守るために、あらゆるところで混乱と混沌をまきちらしている。

 ボリシェヴィキ=レーニン主義者諸君! 諸君の責任は重大である。現在、すべての革命家がその真価を示すべきときが迫っている。マルクス主義とレーニン主義の思想を先進的労働者の隊伍に持ち込もう。すっかり理性を失ったスターリニスト官僚の拘束衣を国際プロレタリア前衛が脱ぎ捨てるのを援助しよう。問題になっているのは小さなことではない。問題になっているのは、ソヴィエト連邦と世界プロレタリア革命の運命である。

1932年6月13日

『反対派ブレティン』第28号所収

『トロツキー著作集 1932』上(柘植書房新社)より

 

  訳注

 

(1)バルビュス、アンリ(1873-1935)……フランスの詩人・作家。人道主義的立場からしだいに社会主義的立場に移行し、共産党に入党。雑誌『クラルテ』を創刊。1930年代にはスターリニズムの主要な文学的弁護者となった。1935年に訪ソ中に死去。

(2)ロラン、ロマン(1866-1944)……フランスの作家で劇作家。第1次世界大戦では平和主義者。1916年にノーベル文学賞を受賞。晩年には、スターリニストの文学大会や宣言に名前を貸した。

(3)ヴァンデルヴェルデ、エミール(1866-1938)……ベルギー労働党と第2インターナショナルの指導者。1894年、下院議員。1900年に第2インターナショナルの議長。第1次大戦中は社会排外主義者。戦時内閣に入閣した最初の社会主義者の一人であり、国務相、食糧相、陸相などを歴任。ベルサイユ条約の署名者のひとり。1925~27年に外相としてロカルノ条約締結に尽力。

(4)反帝国主義同盟……ドイツのウィリー・ミェンツェンベルグ(1989-1940)に指揮されたコミンテルンの統一戦線組織。彼は、人民戦線政策をめぐってコミンテルンと袂を分かつ1937年までは、忠実なスターリニストとしてさまざまなプロパガンダ計画に従事してきた。同盟は、1927年2月のブリュッセルと1929年7月のフランクフルトで、2つの国際大会を開催した。当初、中心的な役割は、英露委員会に関与していたイギリスの労働官僚と中国ブルジョア民族主義者の国民党の代表に与えられた。

(5)ピャトニツキー、ヨシフ(1882-1938)……古参ボリシェヴィキ、スターリニスト。若くして社会民主党に加盟し、1902年に逮捕。キエフの監獄から脱走し、ドイツに亡命。1905年革命においては地下の革命出版に従事。1912年にボリシェヴィキ中央委員会の輸送部局の責任者(外国からロシアに革命文献を密輸)。1914年に再逮捕されシベリアに流刑。1917年にモスクワ帰還。モスクワ党組織の指導部の一人として10月革命に参加。1919-20年、鉄道労働組合の指導者。1922-31年、コミンテルンの書記。実務上の仕事を遂行する典型的なスターリニスト官僚として活躍。大粛清期に見世物裁判の犠牲者に。

(6)マヌイリスキー、ドミートリー(1883-1959)……ウクライナ出身の革命家、古参ボリシェヴィキ、スターリニスト。1903年以来のボリシェヴィキ。1905年革命に積極的に参加。逮捕され、流刑されるも、途中で脱走。1907-12年、フランスに亡命。1912-13年、非合法活動のためロシアに戻る。その後再びフランスに亡命。第1次大戦中は『ナーシェ・スローヴォ』の編集者の一人。1917年にロシアに帰還し、メジライオンツィ7に。その後、ボリシェヴィキに。1918年、ウクライナ・ソヴィエトの農業人民委員。1922年からコミンテルンの仕事に従事。1928年から43年までコミンテルンの書記。1931年から39年まではコミンテルンの唯一の書記。「第三期」政策を積極的に推進。スターリンの死後に失脚。キエフで死去。


  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

島村輝「2013年、『蟹工船』英語新訳と没後80周年の多喜二祭から」

2013-05-03 18:42:11 | 多喜二研究の手引き

『治安維持法と現代』第52号、2013年春季号は、小林多喜二没後80年、生誕110年特集。

島村輝先生の「2013年、『蟹工船』英語新訳と没後80周年の多喜二祭から」と御影暢雄氏の「小林多喜二と志賀直哉」が掲載されています。

お求めは、お近くの治安維持法国賠同盟の県本部等、あるいは、中央本部(http://www7.plala.or.jp/tian/)です。

メールは chian@bz03.plala.or.jp 

値段は1000円です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近刊! 『多喜二の文学、世界へ―2012小樽小林多喜二国際シンポジウム報告集』

2013-02-11 00:10:43 | 多喜二研究の手引き

近刊! 『多喜二の文学、世界へ』(行・小樽商科大学出版会、発売・紀伊国屋書店)

2012小樽小林多喜二国際シンポジウム報告集

 2012年2月の小樽小林多喜二国際シンポジウムの報告集『小林多喜二の文学、世界へ』は現在刊行の準備中で、3月末に刊行の予定です。すべての発表が収録されます。

発行は小樽商科大学出版会、発売は紀伊国屋書店です。定価は2000円の予定です。

ご購入の方法は4月以降に、紀伊国屋書店(本店・各支店)にご注文ください。

Amazonなどのネットでも購入できます(4月以降)。

主な収録内容は以下の通り。

 

●記念講演 

ノーマ・フィールド小林多喜二を21世紀に考える意味  

 

第1分科会「多喜二文学の国際性」

 第1部「多喜二文学翻訳の可能性」          

ファリエーロ・サーリス(イタリア)

「「蟹工船」の現在」       

エヴリン・オドリ(フランス)

「フランス語『蟹工船』翻訳をめぐって」 

マグネ・トリング(ノルウェー)

「『蟹工船』における方言と歴史」   

ジョルディ・ジュステ、小野志津子(スペイン)「スペイン語『蟹工船』翻訳をめぐって」

梁 喜辰(韓国)「『蟹工船』の韓国語翻訳をめぐる読者の階級認識」   

 

 第2部「多喜二と国際プロレタリア文学運動」 

高橋 純「多喜二生前の国際的評価:1932年に見られるその一端」       

嘉瀬達男「多喜二「母たち」の中国語訳の意義」                        

ヘザー・ボーウェン=ストライク「国際モダン・モガのジレッマと『安子』」

秦剛(中国)

「『戯曲蟹工船』と「留用」日本人」                     

    

第3部「多喜二の「反戦・平和・国際主義」をめぐって」

サミエル・ペリー(アメリカ)「フェミニズムを赤で書く:姜敬愛の『人間問題』における文学的な矛盾」  

ジェリコ・ツィプリッシュ

「多喜二の世界中の同志達」                  

今西 一「『蟹工船』とマイノリティ」                            

        

第2分科会

「多喜二「ノート草稿」を読み解く」 

島村輝「「蟹工船」から「党生活者」へ――ノート・草稿に見る多喜二の挑戦」

高橋秀晴「「一九二八年三月一五日」草稿ノート考」                       

尾西康充「小林多喜二「工場細胞」草稿ノートの分析――女性労働者の描き方――」                     

神村和美「「独房」に秘められた想い――草稿ノートからの展望――」                                

 

第3分科会「多喜二研究の諸相」

山崎眞紀子「小林多喜二『防雪林』――防雪林に込められた比喩表現」         

鳥木圭太「多喜二・身体・リアリズム――「工場細胞」「オルグ」をめぐって」            

楜沢 健「壁小説の集団芸術性――「オペレーター」としてのプロレタリア作家――」                    

荻野富士夫「多喜二の戦争観・軍隊観と北洋漁業――「蟹工船」から見えてくるもの――」 

 

         

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

多喜二を現代の視点で読む(尾西康充 2008年10月3日,『赤旗』))

2013-02-03 10:27:43 | 多喜二研究の手引き

多喜二を現代の視点で読む/オックスフォード国際シンポに参加して/尾西康充

 これまで近代社会が無条件に是としてきた自由や正義という理想が、現代のグローバリゼーションのなかで人間を抑圧するための方便に転化させられている。
 それは非正規雇用の増加やマネーゲームによる貧富の差の拡大を見ても、9・11事件以後のテロ予防を大義名分とした戦争と人種・宗教差別を見ても分かる。
 グローバリゼーションがもたらすさまざまな弊害を視野に入れ、現代の視点から多喜二の文学を読みなおすという試みがこのたびイギリスでおこなわれた。

 国際学会「小林多喜二記念シンポジウム」は2008年9月16日から3日間の日程で、イギリスのオックスフォード大学キーブルカレッジで開催された。同大学のリンダ・フローレス氏とヘザー・ボーウェン=ストライク氏(アメリカ・ロヨラ大学)、島村輝氏(女子美術大学)が中心になって企画を立案し、多喜二ゆかりの小樽商科大学と白樺文学館の後援を受けて実現した。

●8つの分科会で
 プログラムは、ベラ・マッキー氏(オーストラリア・メルボルン大学)の基調講演に加えて、「女性―身体とメディア」、「身体と権力」、「地域と植民地主義」、「モダニズムとリアリズム、大衆文学」、「群衆と闘争」、「植民地時代のKorea」「労働と教育に関する諸問題」「多喜二と映画」という全八分科会が開かれた。日英米はもとより中国、韓国、カナダ、オーストラリア、ノルウェー、ポーランドの研究者六十余人が出席した。多喜二の文学を多角的にとらえ返そうとする試みがなされ、新聞雑誌はもとより映画やアニメーションにまで対象を広げて、多喜二の文学および彼が生きた時代のプロレタリア文化運動が検討された。

 本学会の特色は、海外の女性研究者が女性に対する暴力を告発するという観点から、性を商品化する「酌婦(売春婦)」の生活を描いた多喜二の初期作品に注目していたことである。フローレス氏は、多喜二が『安子』という小説を通じて「ジェンダーが階級化され、階級がジェンダー化される方法をうまく証明してみせた」と論じた。曖昧屋の酌婦は当時、男性から性的に劣位におかれるだけでなく、不当な雇用形態のために自己の体を収奪し尽くされていたのである。

 これに対して小森陽一氏(東京大学)は、この問題は単に資本主義を分析して済まされるものではなく、(男系優先や、朕と臣の主従関係など)天皇制にはらまれた根本的な差別の構造を考える必要があると発言した。

●日米で授業実践
 また日米の女性研究者からは、多喜二の小説をテキストにして読んだという授業実践の報告がおこなわれた。生徒と『蟹工船』を読んだ岡村洋子氏(鈴鹿中学高等学校)は、多喜二が描き出した暴力こそが歴史の本質であり、これに向き合う力をつけさせことが教育の役割であると論じた。

 他方、荻野富士夫氏(小樽商科大学)は多喜二を拷問死させた「軍事的=警察的反動支配」の構造を解明したうえで、世田谷ビラ不当弾圧事件に象徴されるように、現代の日本社会も多喜二が生きていた「満州事変前夜」と同じ状況にあるという警告を発した。

 『蟹工船』は「そして彼等は、立ち上った。―もう一度!」という言葉で終わる。社会の矛盾が噴出する今の時代、国内外を問わず、危機感を共有する人間が連帯して行動することこそ、多喜二が遺したメッセージに応える正しい方法である。(おにし・やすみつ 三重大学教授、日本近代文学)

                                                ( 2008年10月03日,『赤旗』)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

前田角蔵さんのブログ

2012-12-24 00:44:19 | 多喜二研究の手引き

http://yamasuki.take-uma.net/Entry/36/

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

多喜二研究論文リスト(~2010)

2012-12-16 18:20:16 | 多喜二研究の手引き
No. 論文題名 //論文執筆者名 //掲載誌名
1 小林多喜二の国語教師・渡辺卓のこと //尾西康充 //三重大学日本語学文学 
2 “階級”閲読視野中《蟹工船》 //郭勇 //日本学研究(北京日本学研究中心) 
3 小林多喜二の初期小説―有島武郎からの影響を受けて //尾西康充 //人文論叢(三重大学) 
4 犬も歩けば近代文学資料探索(4) 小林多喜二「スキー」 //曾根博義 //日本古書通信 
5 平和を希求し,武力に抵抗した文学青年考察―尹東柱,小林多喜二,鶴彬,槙村浩を中心に //李修京 //東京学芸大学紀要(人文社会科学系Ⅰ) 
6 小林多喜二『蟹工船』の「集団描写」―日本自然主義との関係から //梁喜辰 //大学院研究年報(文学研究科篇) 
7 特集 横光利一と川端康成 片岡鉄兵―「失われた環(ミッシング・リング)」としての //島村輝 //解釈と鑑賞 
8 特集 プロレタリア文学とプレカリアート文学のあいだ 小林多喜二―暴力へ、現場へ //井口時男 //解釈と鑑賞 
9 特集 プロレタリア文学とプレカリアート文学のあいだ 運動と理論 //野崎六助 //解釈と鑑賞 
10 特集 プロレタリア文学とプレカリアート文学のあいだ 平沢計七を読む小林多喜二―アナーキズム文学から/とプロレタリア文学 //成田龍一 //解釈と鑑賞 
11 特集 プロレタリア文学とプレカリアート文学のあいだ プレカリアート文学とプロレタリア文学のあいだに―ホラー小説・『蟹工船』・雨宮処凛的転回 //高橋敏夫 //解釈と鑑賞 
12 完全保存版 昭和の遺書53通―東条英機、太宰治から夏目雅子、昭和天皇まで //梯久美子 //文芸春秋 
13 小林多喜二「不在地主」の周辺―「父権的温情主義」をめぐるヘゲモニーの闘争 //尾西康充 //人文論叢(三重大学) 
14 木山捷平へのこだわり //佐川真 //木山捷平研究 
15 特集〈プロレタリア文学〉 『蟹工船』の読めない労働者―貴司山治と徳永直の芸術大衆化論の位相 //和田崇 //立命館文学 
16 特集・労働と文学―働くこと、闘うことをめぐって 小林多喜二と小樽高商―全集未収録の広告文の紹介をかねて //曾根博義 //彷書月刊 
17 『蟹工船』における労働者の連帯―松阪の「戦旗」防衛関西巡回講演会に触れながら //尾西康充 //三重大学日本語学文学 
18 手帖時評2 長い長い叙事詩 //藤井貞和 //現代詩手帖 
19 中野重治の転向以後の自己認識をめぐって―「小説の書けぬ小説家」 //李正旭 //文学研究論集 
20 ふたつのウェルテル論のあいだ1―日本近代文学の星座配置(コンステラツィオーン)(2) //沖野厚太郎 //文芸と批評 
21 オックスフォード小林多喜二記念シンポジウム論文集編集委員会・編『多喜二の視点から見た〈身体(body)〉〈地域(region)〉〈教育(education)〉―2008年オックスフォード小林多喜二記念シンポジウム論文集―』 //五味渕典嗣 //日本近代文学 
22 中国近代文学と『蟹工船』 //阿部幸夫 //東方 
23 中国における『蟹工船』について //島村輝 //東方 
24 小林多喜二の時代認識と同時代のプロレタリア作家についての考察 //李修京 //東京学芸大学紀要(人文社会科学系Ⅰ) 
25 特集 女性文学は、いま―グローバリズムとナショナリズムを問う 女性たちは「蟹工船」をいかに読み、なにを書いたか //島村輝 //社会文学 
26 「書く」と「読む」に関する二、三の雑感 //みずのまさこ // 
27 「蟹工船」論―封じられた光景 //高橋博史 //国語と国文学 
28 逍遙・文学誌213 随筆雑誌「文体」(上)―柳田国男・横光利一・大熊信行ら //紅野敏郎 //国文学 
29 特集 再読プロレタリア文学 平林たい子―殺す女・女の号泣―プロレタリア女性作家のあゆみ //中山和子 //国文学 
30 特集 再読プロレタリア文学 小林多喜二―小林多喜二の文学観 //荻野富士夫 //国文学 
31 特集 再読プロレタリア文学 「「政治」と「文学」」を転位(dislocate)する―「芸術的価値論争」の軌跡に見出すもの //島村輝 //国文学 
32 〈インタビュー〉特集 再読プロレタリア文学 なぜいまプロレタリア文学か //雨宮処凛 //国文学 
33 白樺文学館多喜二ライブラリー編『いま中国によみがえる小林多喜二の文学』 //楜沢健 //日本近代文学 
34 市立小樽文学館収蔵小林多喜二関連資料 //玉川薫 //小樽商科大学史紀要 
35 小樽への旅 //和田博文 //東洋 
36 小林多喜二についての若干の文献など //倉田稔 //小樽商科大学史紀要 
37 小林多喜二と「改造」―「工場細胞」から「地区の人々」まで //島村輝 //「改造」直筆原稿の研究 
38 近代 大正 //池内輝雄 //国語と国文学 
39 松田解子の多喜二受容 //高橋秀晴 //「文学」としての小林多喜二 
40 多喜二・女性・労働―「安子」と大衆メディア //中川成美 //「文学」としての小林多喜二 
41 「防雪林」―その可能性 //綾目広治 //「文学」としての小林多喜二 
42 「不在地主」における革命的労農同盟闘争の問題 //篠原昌彦 //「文学」としての小林多喜二 
43 母たちのポリフォニー―「母たち」と一九三一年代の短編にみる女性表現 //長谷川啓 //「文学」としての小林多喜二 
44 こぼれ落ちた血のゆくえ―『沼尻村』再読 //五味渕典嗣 //「文学」としての小林多喜二 
45 〈講演〉 反戦小説としての「沼尻村」 //王成 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
46 「独房」の落書き //楜沢健 //「文学」としての小林多喜二 
47 「党生活者」論序説―「政治」と「文学」の交点 //島村輝 //「文学」としての小林多喜二 
48 特集・社会派の私小説 小林多喜二『党生活者』論 //山中秀樹 //私小説研究 
49 白色テロの下で活躍した「党生活者」たち―作中人物像を中心に //田鳴 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
50 日本プロレタリア文学作家 小林多喜二―「党生活者」を中心に //徐永祥 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
51 〈文学〉が〈戦争〉を描く意味―「党生活者」と旧日本軍の毒ガス・細菌戦前夜の多喜二 //佐藤三郎 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
52 「転形期の人々」論 //宮沢剛 //「文学」としての小林多喜二 
53 「地区の人々」―〈地区〉の若き闘士達へ //山岸郁子 //「文学」としての小林多喜二 
54 「三・一五事件」をめぐる文学的表象としての「一九二八年三月十五日」 //土屋忍 //「文学」としての小林多喜二 
55 〈講演〉 小林多喜二「一九二八年三月十五日」の作中世界と視点―「プロレタリア前衛の眼」と「視点人物の眼」とのかかわり //朴真秀 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
56 「工場細胞」―コンテクストとしての一九二九年の小樽 //和田博文 //「文学」としての小林多喜二 
57 交錯する「蟹工船」と「上海」をめぐる序説 //十重田裕一 //「文学」としての小林多喜二 
58 文学をたたかいの武器に―「蟹工船」「不在地主」「工場細胞」を中心に //三浦光則 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
59 小林多喜二における話し言葉の表現の特色―話し言葉から「蟹工船」を読む //太陽舜 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
60 「オルグ」の恋愛と身体 //中村三春 //「文学」としての小林多喜二 
61 研究動向 小林多喜二 //副田賢二 //昭和文学研究 
62 秋田県多喜二祭 //佐藤好徳 //「文学」としての小林多喜二 
63 中国 小林多喜二国際シンポジウム―多喜二研究史に残る成果 //松沢信祐 //「文学」としての小林多喜二 
64 中国の大学生から見た小林多喜二―アンケート調査から //張如意 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
65 小林多喜二の小樽時代、および最近の研究文献 //倉田稔 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
66 小林多喜二―その歩みと作品〈年譜〉 //佐藤三郎 //「文学」としての小林多喜二 
67 小林多喜二について―その生涯をたどる //任鋒 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
68 小林多喜二と小樽 //倉田稔 //「文学」としての小林多喜二 
69 〈座談会〉 今日の時代と小林多喜二 //日高昭二 //「文学」としての小林多喜二 
70 小林多喜二と母セキ //北条常久 //「文学」としての小林多喜二 
71 小林多喜二と社会主義 //祖父江昭二 //「文学」としての小林多喜二 
72 小林多喜二とヒューマニズム //布野栄一 //「文学」としての小林多喜二 
73 小林多喜二と秋田―多喜二文学におけるヒューマニズムと叙情の形成 //工藤一紘 //「文学」としての小林多喜二 
74 小林多喜二と反戦平和 //伊豆利彦 //「文学」としての小林多喜二 
75 小林多喜二とモダニズム //神谷忠孝 //「文学」としての小林多喜二 
76 多喜二の東京―そのまなざし //佐藤三郎 //「文学」としての小林多喜二 
77 日記 //荻野富士夫 //「文学」としての小林多喜二 
78 「監獄の窓から見る空は何故青いか」―小林多喜二の獄中書簡 //竹内栄美子 //「文学」としての小林多喜二 
79 小林多喜二と『文芸戦線』―一九二七年の「作品行動」 //大和田茂 //「文学」としての小林多喜二 
80 多喜二と志賀直哉、芥川龍之介―近代文学の流れから捉える //松沢信祐 //「文学」としての小林多喜二 
81 小林多喜二の文学―反戦平和と国際主義を中心に //松沢信佑 //文教大学国文 
82 中国人民への厚い友情―多喜二の国際主義精神 //張朝柯 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
83 松田解子から見る小林多喜二 //高橋秀晴 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
84 〈何代がかり〉の運動と〈火を継ぐもの〉 //伊豆利彦 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
85 小林多喜二の殉難と日本文化 //王鉄橋 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
86 プロレタリア文学作家への道―初期作品時代の差異と移行について //大和田茂 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
87 異彩を放つ人間像―小林多喜二とゴーリキーにおける母親像 //呂興師 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
88 若くして死したる多喜二と尹東柱 //李修京 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
89 〈講演〉 もっともらしい言葉にゴマ化されるな―「満州事変」後の世相と多喜二晩年の仕事 //島村輝 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
90 反戦平和と国際主義に殉じた作家小林多喜二 //松沢信祐 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
91 小林多喜二の生きた時代と現代 //荻野富士夫 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
92 〈インタビュー〉 魯迅と小林多喜二 //孫毅 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
93 「死の日の記録―金沙社 小林多喜二記念号によせる」 // //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
94 〈インタビュー〉 鹿地亘「死の日の記録」と、藩念之について //呂元明 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
95 小林多喜二と伊藤整―「生きる怖れ」をめぐる問題 //渥美孝子 //「文学」としての小林多喜二 
96 反啓蒙の弁証法―表象の可能性について //中村三春 //国語と国文学 
97 松沢信祐著『小林多喜二の文学』 //李修京 //社会文学 
98 特集・近代文学に見る日本海 『蟹工船』 //倉田稔 //解釈と鑑賞 
99 展望 時代と文学への新たな眼差し―多喜二研究近年の動向から //島村輝 //日本近代文学 
100 特集・近代文学に見る日本海 新資料 小林多喜二が小牧近江に宛てた葉書―クラルテ運動拡がりの証し //大崎哲人 //解釈と鑑賞 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プロレタリア評論文学史のために メモ

2012-11-17 16:49:22 | 多喜二研究の手引き

一九二八(昭和三)年

一月  蔵原惟人「無産階級芸術運動の新段階」「前衛」

三月 ※プロ芸、前芸合同、全日本無産者芸術連盟(ナップ)結成

五月 ※「戦旗」創刊

  蔵原惟人「プロレタリア・リアリズムへの道」「戦旗」

六月  中野重治「所謂芸術大衆化論の誤りについて」「戦旗」

 七月  鹿地亘「小市民性の跳梁に抗して」「戦旗」

 八月  蔵原惟人「芸術運動の緊急問題」「戦旗」

     鈴木厚「大衆化の弁」「時事新報」一~四日

 九月  中野「問題の捩じ戻しとそれに就いての意見」「戦旗」

     ルナチャルスキイ「マルクス主義文芸批評の任務に関するテーゼ」「戦旗」

 十月  蔵原「芸術運動に於ける左翼清算主義」「戦旗」

     林房雄「プロレタリア大衆文学の問題」「戦旗」

 十一月 中野「解決された問題と新しい仕事」「戦旗」

     蔵原「理論的な三,四の問題」「東京朝日二八日」

     勝本「芸術的価値―社会的価値―併せて文学の大衆性の獲得について」「三田文学」

 十二月※ナップ再編成、全日本無産者芸術団体協議会(同じくナップ)成立

 林房雄「実際的問題二三」「東京朝日新聞」二五~二七日

一九二九(昭和四)年

一月  林房雄「大衆文学の理想と現実」「新潮」

 林房雄「プロレタリア文学と「大衆小説」の関係」「読売」一六~一八日

     勝本清一郎「大衆文芸論に用心しろ」「読売」二三~二四日

二月 ※日本プロレタリア作家同盟創立大会

  青木壮一郎「プロレタリア文学の大衆性の問題に関連して」「文芸戦線」

   富士辰馬「階級大衆文芸に就いて」「東京朝日」一一~一二日

   平林初之輔「文学に於ける新形式の要望」「新潮」

   谷川徹三「文学形式問答」「改造」

   平林初之輔「政治的価値と芸術的価値」

   青野季吉「マルクス主義文学の誤導」「東京日日新聞」一九~二一日

   平林初之輔「目的意識の昇華」「東京日日」二八~三〇日

   横光「形式主義は描写主義を新興する」「読売」一四~一六日

   大宅壮一「形式論と形式主義論」「文章倶楽部」

四月  森辰之介「プロレタリア大衆文学は如何に解決されるべきか?」「黒色戦線」

鈴木厚「大衆化再々論」「国民新聞」二二~二五日

坂本石創「プロ大衆文芸」「新愛知」二四~二七日

五月  大宅壮一「マルクス主義文芸の自殺か他殺か」「新潮」

   川口浩「平林初之輔氏の所論」「戦旗」

岩等雪夫「プロレタリア大衆文学論者の危険性」「時事新報」二〇~二三日

六月  勝本「芸術的価値の正体」「新潮」

   小宮山明敏「芸術的価値における相対値及び絶対値の問題」「近代生活」

   勝本清一郎「芸術運動に於ける前衛性と大衆性」「新潮」

   青木壮一郎「「芸術的価値」の問題をめぐって」「文芸戦線」

   岩崎純孝「芸術的価値と政治的価値」「文芸レビュー」

七月  雅川滉「芸術的価値に関する決議」「近代生活」

   岡沢秀虎「文芸作品の価値に就いて」「新潮」

小林多喜二「プロレタリア文学の「大衆性」と「大衆化」について」

 「中央公論」

雅川滉「蔵本・勝本両氏の所説を難じて芸術的価値の本質を論ず」

「文芸都市」

八月  平林初之輔「諸家の芸術価値理論の批判」「新潮」

   蔵原「マルクス主義文芸批評の下に」「近代生活」

九月  三木清「芸術的価値と政治的価値に関する哲学的考察」「社会科学」

   鈴木厚「プロレタリア芸術価値理論」「三田文学」

   広津和郎「政治的価値と芸術的価値」「東京朝日」一七~一九日

   青野季吉「何が大衆的な?」「都新聞」一七~一九日

十月  中野重治「芸術に政治的価値なんてものはない」「新潮」

  三木清「啓蒙文学論」「改造」

   平林初之輔「芸術論に於ける未解決の根本問題」「新潮」

貴司山治「新興文学の大衆化」「東京朝日」一二~一四日

 十二月 蔵原惟人「新芸術形式の探求へ」「改造」

一九三〇(昭和五)年

一月  青木壮一郎「「プロレタリア大衆娯楽文学」不可能論」「文芸戦線」

 二月  平林初之輔「大衆文学の概念」「祖国」

     雅川滉「作家と作品との関係を語りながら芸術的価値についても

触れてみよう」「文芸レビュー」

 三月  貴司山治「大衆文学としての暴露小説」「文学時代」

 四月  谷川徹三「マルクス主義文学理論の一批判」「思想」

     青野季吉「実践されたプロレタリア・リヤリズムの検討」「文芸戦線」

     貴司山治「文芸大衆化の明日」「東京朝日」一八~一九、二〇日

 五月  中野重治「文芸の大衆化問題の新しい結語のために」

「読売」九~一〇日

 六月  蔵原惟人「芸術大衆化の問題」「中央公論」

 七月  大宅壮一「芸術の大衆化を中心として」「新潮」

     谷川徹三「形式主義再論」「新潮」

     日本プロレタリア作家同盟「芸術大衆化に関する決議」「戦旗」

     生田長江「何を大衆化する」「都新聞」一〇~一二日

 八月  河野密「プロ芸術の大衆化」「読売」一〇、一二~一三日

九月  北原武夫「「真理の春」を読む―プロレタリア文学大衆化の一問題」

「三田文学」

十一月 瀬沼茂樹「文学に於ける遠近法の問題」「文芸レビュー」

一九三一(昭和六)年

一月  長谷川如是閑「プロレタリア芸術家とプロレタリア陣営内の対立」

「批評」

 二月  貴司山治「プロレタリア英雄主義の形成とその形式について」

「ナップ」

 六月  平林たい子「プロレタリア・リアリズムについての感想」

「新興芸術研究」

     加賀信一「文学大衆化問題の再検討」「ナップ」

 七月  長谷川如是閑「芸術の大衆性と大衆の芸術性」「新潮」

 九月  立野信之「創作方法に於ける唯物弁証法」「読売」二五~二六日

 十月  藤森成吉「創作に於ける唯物弁証法的方法についての覚書」

「ナップ」

十一月 中野重治「プロレタリア文化連盟の成立」「改造」

     蔵原惟人(古川荘一郎)「芸術理論に於けるレーニン主義の

ための闘争」「ナップ」

十二月 小川信一「文化連盟の組織問題について」「プロレタリア文化」

一九三二年(昭和七年) 

一月    鹿地亘「文学サークルに関する問と答」「プロレタリア文学」

二月二九日 三上於兎吉「徳永直君に寄せて大衆文学を語る」「都新聞」 

三月    徳永直「プロレタリア文学の一方向―大衆文学の戦線へ―」

「中央公論」

       貴司山治「これからだ」「プロレタリア文学」

      「ブルジョア文学に関する決議」「プロレタリア文学」

 二四日   小島勗「プロレタリア文学大衆化の方向」「東京朝日」 

      コップ大量検挙

      地下鉄スト

四月   常任中央委員会「右翼的危険との闘争に関する決議」

「プロレタリア文学」

      宮本顕治「プロレタリア文学における立遅れと退却の克服へ」

「プロレタリア文学」

      小林多喜二「『文学の党派性』確立のために(徳永直の見解について)」「新潮」 

      青野季吉「文壇状況論」「改造」

五月   貴司山治「自己批判の実践へ」「プロレタリア文学」 

      徳永直「『大衆文学形式』の提唱を自己批判する」

「プロレタリア文学」 

 川端康成「文芸時評 文士の政治運動――プロ文化連盟の問題」

「東京朝日」

      新居格「文学の忠実と思想への忠実」「新潮」 

  十八日 青野季吉「左翼文学と極左文学」「読売新聞」

     ※三二年テーゼ発表 

六月   林房雄「笑ひながら」「プロレタリア文学」

「右翼的危険との闘争に関する決議を徹底化せよ」

「プロレタリア文学」

      小林秀雄「文芸時評 現代文学の不安」「改造」 

      青野季吉「蔵原惟人君について」「改造」 

  二十日「西田博士に聞く座談会」「読売新聞」

七月   林房雄「文学のために」「改造」

      三木清「文芸時評 文学の真について」「改造」 

八月   伊藤継(小林多喜二)日和見主義の新しき危険」「プロレタリア文化」

      那珂孝平「「創作活動と組織活動との統一」の問題」「プロレタリア文学」

    林房雄「青年」「中央公論」

四日  前田河広一郎「作家をして作品へ」「国民新聞」~六日 

九月   林房雄「作家として」「新潮」

      淡徳三郎「日本プロレタリヤ文化運動の将来」「改造」 

      亀井勝一郎「リアリズムについて」「プロレタリア文学」

      「国際青年デー迫る」等「新興教育」

      大森義太郎「思想善導の哲学」「改造」

一〇月  鈴木清「一歩前進二歩退却」「プロレタリア文学」

       亀井勝一郎「林房雄の近業について」「プロレタリア文学」

      徳永直「林の『青年』を中心に」「プロレタリア文学」

      野沢徹(宮本顕治)「政治と芸術・政治の優位性に関する問題」

「プロレタリア文化」 

十一月  野沢徹(宮本顕治)「政治と芸術・政治の優位性に関する問題(承前)」

「プロレタリア文化」

      「創作活動並びに批評活動についての大衆討議に関する決議」

「プロレタリア文学」

十二月  中條百合子「文学に関する感想」「プロレタリア文学」

      堀英之助「右翼的偏向の諸問題」「プロレタリア文学」 

一九三三年(昭和八年) 

一月   中條百合子「一連の非プロレタリア的作品」「プロレタリア文学」

      小林多喜二(堀英之助)「二つの戦線における闘争」

「プロレタリア文学」

      「文化戦線におけるレーニン主義のために」「プロレタリア文化」 

      野沢徹(宮本顕治)「政治と芸術・政治の優位性に関する問題(完)」

「プロレタリア文化」 

      林房雄「名越の谷から」「新潮」

  二八日 神近市子「二月の文藝作品」

二月   小林多喜二「右翼的偏向の諸問題」「プロレタリア文学」

      林房雄「作家への手紙」「改造」

  二十日   小林多喜二虐殺される。

三月   小林多喜二「右翼的偏向の諸問題(遺稿)――討論終結のために」

「プロレタリア文化」 

四月   中條百合子「前進のために」「プロレタリア文学」

      小林多喜二「文化サークルの正しき理解のために」

「プロレタリア文化」

     「右翼的偏向との闘争に関する決議」「プロレタリア文化」

五月   中條百合子「前進のために」「プロレタリア文学」

六月   佐野学・鍋山貞親「共同被告同志に告ぐる書」

     ※「文化集団」創刊

九月   徳永直「創作方法上の新転換」「中央公論」

一〇月  林房雄「プロレタリア文学の再出発」「改造」

      徳永直「ナルプに対する希望」「新潮」

      山崎利一(宮本顕治)「文化サークル活動に対する懐疑的清算主義的傾向の決算」「プロ文化」

  ※林房雄、武田麟太郎、川端康成、小林秀雄「文学界」創刊

十一月  林房雄「一つの提案」「文化集団」

   山崎利一(宮本顕治)「文化芸術運動の基本的方向の歪曲に抗して」

「プロレタリア文化」~十二月

十二月  橋本英吉「プロレタリア文学の急転向」「文芸春秋」

      鹿地亘『文学運動の新たなる段階のために』国際書院

十二月二六日※宮本顕治検挙

 

●一九三四年(昭和九年) 

二月   山田清三郎「プロレタリア文学の新段階」「文学建設者」

    鹿地亘『日本プロレタリア文学運動の方向転換のために』

ナルプ出版部

   作家同盟解散

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小林多喜二虐殺前後の新聞記事サイト

2012-11-17 16:48:10 | 多喜二研究の手引き

よく情報を集めていると思いました。

 

http://roudouundoumeiji.com/rekisi-13.html

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蟹工船」ブームの背景とその広がりを追う―雑誌掲載記事を中心に―

2012-11-04 11:04:14 | 多喜二研究の手引き
蟹工船」ブームの背景とその広がりを追う―雑誌掲載記事を中心に―



小林多喜二展―「蟹工船」ブーム検証チーム







『蟹工船』は、1929(昭和4)年に雑誌「戦旗」に発表された(売禁止処分)。『蟹工船』の単行本は、雑誌発表と同じ年に戦旗社から発行されたが、これも発禁処分を受けた。翌1930年、発禁の該当箇所を削除した普及版が発行されて半年の間に3万5千部が売れた。戦後1954(昭29)に刊行された新潮文庫版の『蟹工船・党生活者』は、50年間に100万部の売り上げを記録し、最近は年間5千部の売れ行きだった。



それが、2006年に『マンガ蟹工船』が刊行されて、同年の「赤旗まつり」だけで1000冊近い記録的売上となり、書籍流通関係で話題となった。「蟹工船」発表80年後の2008年には1年間だけでも50万部に迫る売り上げとなった。上野駅構内の書店が新潮文庫版を150部仕入れて完売したのに続き、各大型書店が『蟹工船』平積みコーナーを設けるとバカ売れ。5月には、読売新聞を皮切りに、朝日、毎日、産経、日経の全国紙が大きく取り上げ、蟹工船ブームが一気に全国化した。共産党は7月11日、「第6回中央委員会総会(6中総)」志位和夫委員長幹部会報告で、ワーキングプア問題などへの取り組みに若年層を含めて支持が広がったことで党員が増加傾向にあること、昨年9月以降は月1000人単位で増え、これまでに計9000人増加、「(小林多喜二の)『蟹工船』が若者を中心にブームになり、マルクスに関心が集まるなど、党が体験したことのない状況にある」と報告した。このことで、解散間近との政治的警戒が強まりマスコミの取材攻勢は止まり、ブームは沈静化したかにみえた。しかし、同年末の「新語・流行語大賞」で流行語トップ10に「蟹工船(ブーム)」が選ばれた。2009年にはSABU監督による新作「蟹工船」が制作され、若者たちを中心に未曾有の規模と質でブームは続いた。



今回の「小林多喜二展―「蟹工船」ブーム」コーナーでは、その推移を2006年『マンガ蟹工船』刊行以降から現在までの動きをたどり展示・検証した。



◎印は展示物、〇はスペースの関係で出展できなかったもの。※記事タイトル/執筆者/掲載誌/掲載号



◇ ◇ ◇



【2006年】〇『マンガ蟹工船』(原作・小林多喜二,作画・藤生ゴオ,解説・島村輝「「蟹工船」を解体するキーワード」),2006,11,07



【2007年】★「蟹工船」読書エッセーコンテント(小樽商科大学、白樺文学館多喜二ライブラリー主催、朝日新聞社、北海道放送、秋田県立図書館、東銀座出版社後援)



〇「「蟹工船」再読」立松和平,遊行社,モルゲン74 ,9.2007-9



【2008】★雨宮処凛と作家の高橋源一郎の対談「格差社会:08年の希望を問う」,毎日新聞,2008,01,09



★「「蟹工船」重なる現代 小林多喜二、没後75年」由里幸子,朝日新聞,200,2,14



○「春夏秋冬 「蟹工船」ブームに思う」湯地朝雄,社会評論 (154), 2008



○「中古典ノスヽメ(9)現代版『蟹工船』--鎌田慧『自動車絶望工場』の巻」斎藤美奈子,スクリプタ 3(1), 2008



○「この一冊 『蟹工船』小林多喜二著」富田武,現代の理論 17, 2008



◎高校のひろば(特集 『蟹工船』2009--今、若者は何を問いかけているのか) 70, 2008○「座談会 若者たちは今、連帯することに展望を見出している」沖田朋子,山口さなえ,山田真吾 [他] /○「『蟹工船』ブームと現在の日本社会 」小森陽一



○「日野原先生をとおして見えた『蟹工船』とハルピン」 吉中丈志,病院図書館 28(3), 2008



○「私と多喜二 『蟹工船』--その可能性の中心 (特集 小林多喜二没後75年)」浅尾大輔,民主文学 (508) (558), 2008-02



○「小林多喜二『蟹工船』に見る昭和初期の検閲 」関麻理菜,北の文庫 (47), 2008-02



★小林多喜二没後75周年記念第20回杉並・中野・渋谷多喜二祭で不破哲三・社会科学研究所所長記念講演「時代に挑戦した5年間」



○「マンガ本「蟹工船」まで (特集 格差と貧困をうたう)」猪野睦,詩人会議 46(4), 2008-04



◎「『蟹工船』立ち上がる若者たちのバイブル (名作をたのしむ) 」雨宮処凛、女性のひろば (351), 2008-05



◎経済 (152), 2008-05(今、僕たちは『蟹工船』の中にいる--若者が読んだ小林多喜二)○「多喜二が僕にくれた希望、そして光 」小松 史郎/○「生きるか死ぬかのたたかいを起こす時」山田真吾



★ めざましテレビ:80年前の小説「蟹工船」今ブームの理由>5/27放送



◎「「蟹工船」ブームの小林多喜二は「エリート銀行員」だった!」週刊新潮 53(20), 2008-05-29



◎「青年トーク「蟹工船」を語る (多喜二の文学を語る集い特集)」 浅尾大輔,山口さなえ,狗又ユミカ,民主文学 (512) (562), 2008-06



○「「名ばかり店長」こそ現代版『蟹工船』だ!」サンデ-毎日 87(21), 2008-06-01



★ 関西テレビスーパーニュースで「蟹工船」特集>



◎本家「ジェイン・オースティンの?」より熱い!? 週刊朝日"腐女子部"の「蟹工船」読書会@かに道楽」、週刊朝日 113(25), 2008-06-06



○「「ビートたけしの21世紀毒談(第938回)若者たちの『蟹工船』ブームで「共産党ってトレンディ!」の時代がやってくるぜっての」ビートたけし,週刊ポスト 40(28), 2008-06-20



★ 読売CS 日テレG+ 特集「蟹工船」と現代の若者>6/9放送



★ 毎日放送「VOICE」で、特集「いまどきなぜ-「蟹工船」にはまる若ものたち」>6/27放送



★おはよう日本で「蟹工船」と若い世代>6/29放送



○「なぜ今『蟹工船』なのか 小林多喜二にすがる危うき現代社会」桑原 聡,正論 (436), 2008-07



◎「「蟹工船」と新貧困社会--これは「第二の敗戦」だ」吉本 隆明,文芸春秋 86(8), 2008-07



○「ニュースを見に行く!『現場の磁力』(91)小樽 蟹工船を読んでボロボロと涙が出た。私だって寒い」山藤章一郎,週刊ポスト 40(31), 2008-07-04



○「700万団塊の老後を襲う 『蟹工船』の次は『楢山節考』だ! 医療年金崩壊はもう始まっている」、サンデ-毎日 87(28), 2008-07-13



◎金曜日「なぜ今『蟹工船』ブームなのか」 16(28), 2008-07-25「貧困から連帯へ これが日本の生きる道--対談」井上ひさし, 雨宮処凛/



◎「予想外のブームになった背景と売れ方を検証する ブームの『蟹工船』は実際、どのくらい売れているのか」長岡義幸,創 38(8), 2008-08



◎「蟹工船」の先の「まぶしさ」酒井信,文学界,2008.8



○「「蟹工船」と「日本国憲法」--私たちは今どう生きるか」畑田重夫,平和運動 (454), 2008-08



◎「私たちはいかに『蟹工船』を読んだか」(月刊全労連」.2008.8)



○「『蟹工船』完全採録シナリオ (特集 蟹工船)」 、シネ・フロント (363), 2008-08



○「 [昭和20年]8・15対談(後編)保阪正康・佐野眞一 満州、沖縄、天皇制、『蟹工船』」保阪 正康,佐野 眞一,サンデ-毎日 87(35), 2008-08-24



○「座談会 世代を超えた連帯で「蟹工船」を抜け出せ!」北崎トシ子,岸敬子,秋元いずみ [他],女性のひろば (355), 2008-09



◎「小説『蟹工船』を地でいった「エトロフ丸」虐待の地獄絵図 (総力特集 昭和&平成 「貧乏」13の怪事件簿) 」、新潮45 27(9), 2008-09



○「知識人はどこに(9)若者がマルクス主義に走った『蟹工船』の時代と現代--社会主義経済が機能しないことを実証したノーベル賞学者 」安井 太郎,月刊テ-ミス 17(9), 2008-09



○「青年労働者のすがた--小説『蟹工船』ブームの裏に」山口さなえ,学習の友 (661), 2008-09



○「一冊の本(新連載・1)いまなぜ「蟹工船」がうけるのか--[小林多喜二著]『蟹工船』」佐藤忠男,ひろばユニオン (559), 2008-09



○「月給5万7000円「毎日新聞は現代の蟹工船だ」 (「格差社会」極まれり!)」,週刊ポスト 40(42), 2008-09-12



◎『蟹工船』は中国でどのように読まれてきたのか、陳 君,小樽商科大学人文研究 116, 2008-09-30



○「私の「蟹工船」日記 (小特集 たかが貧乏、されど貧乏)」末永直海,新潮45 27(10), 2008-10



★コミックパンチ誌で漫画『蟹工船』連載開始、小森陽一解説、2008・10



◎キネマ旬報 (1518), 2008-10○「「蟹工船」原作、映画の時代、そして小林多喜二の映画的思考 (映画「蟹工船」も現代を映すか?) 」/



○「『蟹工船』が描いた世界と人間らしく生きる道 (格差・貧困社会のしくみと労働者の力)」吉田 豊,学習の友 (-),2008-10



○「蟹工船のふるさとでいま、起きていること (なぜ賃金はあがらないのか)」鈴木 徹,まなぶ (613), 2008-10



◎「『蟹工船』小林多喜二は「サルマタ三枚重ね」で勝負する」井上 章一,諸君 40(11), 2008-11



○「『蟹工船』ブームで新規入党急増? "上げ潮"日本共産党の虚実」筆坂秀世,正論 (440), 2008-11



◎「座談会 『蟹工船』では文学は復活しない」柄谷 行人 , 黒井千次 , 津島佑子、文學界 62(11), 2008-11



○「任侠映画から『蟹工船』へ (特集 継承)」深江誠子,公評 45(10), 2008-11



○「貧困を往く 続・私の「蟹工船」日記」末永 直海,新潮45 27(11), 2008-11



◎「2008年の「蟹工船」現象--その背景と展開」島村 輝,日本近代文学 79, 2008-11



○「『蟹工船』の現在--若い人たちの発見 (福祉切捨てと障害者) 」近藤宏子,人権と教育 (49), 2008-11



○「特別ゼミナール 志位和夫共産党委員長が語る 「蟹工船ブーム」と「格差社会」 」、ボス 23(12), 2008-12



○「「こころの時代」解体新書 リーマン・ショックと「蟹工船」ブーム」香山リカ,創 38(11), 2008-12



【2008年】○(特集 『蟹工船』ブームの先へ) 」Posse 2, 2008-12 ○「若者と『蟹工船』のリアリティ--ブームを普遍性にするには/○「国会議員に聞く!『蟹工船』ブームの真実」小池晃, 亀井亜紀子/○「「現代の蟹工船」から脱出するために」雨宮処凛,土屋トカチ/○「プロレタリア文学の「手紙」が世界に舞う」楜沢健、Poss 2, 2008-12/○「対談 ナショナリズムが答えなのか--承認と暴力のポリティクス--高橋哲哉×萱野稔人」高橋哲哉 , 萱野稔人/○「映画紹介 『蟹工船』」大森久雄,人権 21 (197), 2008-12



【2009年】★ノーマ・フィールド『小林多喜二-21世紀にどう読むか』,岩波新書,2009・01



〇「国文学」特集=再読 プロレタリア文学(2009,01)



○「「実践的運動者の立場」で『蟹工船』を「読む」こと--HOWS講座で湯地朝雄氏への質疑を通じて私が考えたこと」飯島聡,社会評論 (156), 2009



○「再録 小林多喜二『蟹工船』の着眼点」湯地朝雄,社会評論 (156), 2009



○「労働者団体の活動と低強度紛争戦略--『蟹工船』をどう読むか 」橘秀和、神戸市外国語大学外国学研究 74, 2009



◎「女性たちは「蟹工船」をいかに読み、なにを書いたか (特集 女性文学は、いま--グローバリズムとナショナリズムを問う) 」島村輝,社会文学 (30), 2009



○「小林多喜二『蟹工船』の「集団描写」--日本自然主義との関係から」梁喜辰 ,中央大学大学院研究年報 (39), 2009



○「宮崎・映画「蟹工船」上映会の成功で変化が生まれた (特集 若者の「二重の苦しみ」の実相に迫る)」馬場真由美,前衛 (838), 2009-01



○「日本の『蟹工船』ブームと中国の国語教科書からの『包身工』の削除について」張新力、言語と文化 (20) (47), 2009-01



○「「蟹工船」論--封じられた光景」 高橋博史,国語と国文学 86(2), 2009-02



○「「蟹工船」と「年越し派遣村」」吉見菱海,水産週報 (1769), 2009-02-01



○「[小林多喜二]蟹工船ってどんな本なの?」浜林正夫、学習の友 (667), 2009-03



民主文学 (521) (571), 2009-03◎「「蟹工船」の成立と今日の文学的課題」 牛久保建男/◎「現代格差社会における『蟹工船』--叛逆(てむかい)の行方 」尾西 康充



○「仕掛け人が明かす「ヒットの理由」 (特集 『人間失格』『蟹工船』『カラマーゾフの兄弟』の次にくるもの リバイバル・ブームを読む!」杉山直隆 , 須貝俊 、綾部二美代 , 池上冬樹,木村潤 ,大崎梢,塚本裕子.石田衣良 , 友清哲,文蔵 42, 8-17, 2009-03



○「雇用「お役所蟹工船」保育士もヘルパーも」 鈴木琢磨, 福山栄子,アエラ 22(10), 2009-03-02



○「『蟹工船』と若い世代」伊豆利彦,経済 (163), 156-159, 2009-04



○「蟹工船」のリアル--2009 (特集 五月病をこじらせろ!--働き方を考える)、 田野新一,解放 (612), 2009-04



○「若者よ、蟹工船はいいが共産党は止めておけ (オピニオンワイド コイツだけは許せない)」筆坂秀世、週刊文春 51(17), 2009-04-30



◎「戯曲 蟹工船」安川修,テアトロ (819), 2009-05



◎「『蟹工船』における労働者の連帯--松阪の「戦旗」防衛関西巡回講演会に触れながら」尾西康充,三重大学日本語学文学 (20), 2009-06



◎「中国における『蟹工船』について」 島村輝,東方 (340), 2009-06



○「中国近代文学と『蟹工船』」阿部幸夫,東方 (340), 2009-06



○「「蟹工船」―「自分で考えろ」がこの映画のメッセージ 」SABU、創 39(7), 2009-07



○「劇評 再演・リメイク・再創造(リ・クリエイション)--座・高円寺=俳優座=「蟹工船」、七字英輔,テアトロ (821), 2009-07



◎「対談:『蟹工船』を語る=SABU監督/小森陽一,シネ・フロント (369),2009-07



○「あなたも知的蟹工船に乗っている」 (特集 全脳思考&統計突破力トレーニング) -- (全脳思考を鍛える!) 、週刊ダイヤモンド 97(28), 33-35, 2009-07-11



○「シネマ館 「蟹工船」」大黒昭,エコノミスト 87(38), 2009-07-14



○「演劇時評(第3回) 蟹工船」 悲劇喜劇 62(8), 2009-08



○「ため息平成「蟹工船」」 筆坂秀世,正論 (450), 2009-09



○「格差と貧困の文学(4)蟹工船」 宮本阿伎,女性のひろば (368), 9, 2009-10



○小林多喜二『党生活者』--『蟹工船』とともに (特集 この一冊(part 1)) 山田正行,季報唯物論研究 (110), 2009-11



○『蟹工船』の読めない労働者 : 貴司山治と徳永直の芸術大衆化論の位相 (特集 プロレタリア文学)和田崇,立命館文學 (614), 2009-12



【2010年】◎井上ひさし作戯曲「組曲虐殺」,すばる,2010・01



◎「特集=プレカリアート文学とプロレタリア文学のあいだに--ホラー小説・『蟹工船』・雨宮処凛的転回」、高橋敏夫,国文学 : 解釈と鑑賞 75(4), 2010-04



○「劇評 貧困と官僚主義--ティーファクトリー=大市民、東京芸術座=蟹工船 二兎社=かたりの椅子」七字英輔,テアトロ (834), 2010-06



○「「格差」ある世界を写す鏡として--中国における『蟹工船』受容」 、島村輝,中国 (25),2010-07



【2011年】★2月18日 神田雑学大学定例講座N0544「浮かび上がる検閲の実態」を実施。「小林多喜二「蟹工船」の場合」大滝則忠・元国会図書館副館長



★「歴史秘話ヒストリアン―小林多喜二」の番組(2/24放送)>



○「実践記録/高校 映画「ああ野麦峠」「蟹工船」で生徒は何を考えたか」 (特集 子どもの成長と社会科) 浅尾弘子,歴史地理教育 (771), 2011-03



【2012年】○「蟹工船の史実を求めて」宇佐美昇三 ,日本水産学会誌 78(2), 2012-03



〇「歴史的岐路と「蟹工船」」北村隆志,クラルテ第4号、2012.9
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

多喜二展を企画する前に読むべき一冊『文学館を考える 文学館学序説のためのエスキス』

2012-08-17 23:38:36 | 多喜二研究の手引き

文献 『文学館を考える 文学館学序説のためのエスキス』 中村 稔著

 

 

本書は、著者が日本近代文学館の館報に1998年から2010年まで連載した「文学館学序説のエスキスのために」がベースになっています。

中村 稔氏は全国文学館協議会会長で日本近代文学館名誉館長です。

本の内容は、総務・資料・展示の三部構成です。付録には、文学館に関する法律問題や指定管理者として必要な基準について提言が述べられています。

 

一般には知り得ない文学館の裏側も垣間見ることができるだけでなく、資料の購入や保存についても具体的に解説しており、本のコレクターや愛書家にも役立つ著作です。

 

『やがてこの「エスキス」が後人の手により「序説」に発展し、さらに「文学館学」が確立するための礎石の一となることを、私は期待している』(「資料篇」より抜粋(文責 神谷)

 

『文学館を考える 文学館学序説のためのエスキス』

著者: 中村 稔

判型: 四六判、206p

発行: 青土社

初版: 2011年2月28日

定価: 1,900円(税別)

ISBN978-4-7917-6591-1

 

青土社 『文学館を考える 文学館学序説のためのエスキス』:

http://www.seidosha.co.jp/index.php?%CA%B8%B3%D8%B4%DB%A4%F2%B9%CD%A4%A8%A4%EB

 

主な内容・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

第1部 総務篇

一、はじめに

二、文学館の使命

三、文学館の建物

四、文学館の職員

五、文学館の財政について

第2部 資料篇

一、資料の収集について

二、資料の購入について

三、資料の寄贈について

四、資料の寄託について

五、資料のレプリカ、カラーコピー等の制作について

六、資料収集のための支援体制の重要性

七、資料の寄贈者、寄託者に対する心遣いについて

八、資料の整理について

九、資料の保存について

十、資料の公開について

第3部 展示篇

一、何故資料を展示するか

二、常設展は必須か

三、企画展について

四、企画展の制作について

五、展示の構成について

六、展示の仕方について

七、展示設備、展示施設について

終りに

付録

文学館活動に関連する法律問題について

指定管理者適格の判断基準について

あとがき

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする