多喜二生誕100年記念「小林多喜二展」(2004年 秋田・アトリオン)準備風景
多喜二生誕100年記念「小林多喜二展」(2004年 秋田・アトリオン)準備風景
秋田 2月20日(土)
大館 2月21日(日)
杉並・中野・渋谷 2月25日(木)
大阪 2月20日(土)
来年の多喜二祭は、多喜二の命日が土曜日にあたることから、2月20日に集中する傾向のようだ。
※画像は今年の大阪多喜二祭
■日時=10月12日(体育の日)12時50分から
■場所=足立区エルソフィアにて第4回あだち多喜二のつどいが開催されます。
●記念講演
■講師=土井大助(詩人 著書『よみがえれ小林多喜二』本の泉社)
演題「時代の先駆者・小林多喜二」
■映画「「いのちの記憶 小林多喜二29年の人生」(80分)上映
いのちの記憶3分
■朗読=「多喜二の母、セキ」
■西伊興在住の丸山征四郎作曲「組曲『蟹工船』」(足立ピースフラワー合唱団が演奏)。
■資料代=1000円
問い合わせなどは、主催の「あだち多喜二のつどい実行委員会」
連絡先 足立区西伊興3―10―4 嶋圭方
03―3897―2565
郵便局振込口座 00100―7―391278
ヒューマンドキュメンタリー「いのちの記憶 小林多喜二29年の人生」内容は以下の通り。
●出演 河東けい(女優) / 三浦光世(三浦綾子記念文学館館長)
ノーマ・フィールド(シカゴ大学教授)
倉田稔(小樽商科大学名誉教授) / 浜林正夫(一橋大学名誉教授)
井本三夫(元茨城大学教授) / 佐高信 ほか
構成・守分寿男(映像プロデューサー・演出家、元北海道放送常務)
プロデューサー・松田耕二(北海道放送編成制作局)
●みどころ
作家・小林多喜二が生きた時代を、映像や資料を基に綿密に考察し、彼をとりまく家族や友人、多喜二が心を寄せた女性たちの生き様を描くドキュメンタリー。
三浦綾子原作の「母」の芝居を縦糸として進行します。現在、多喜二がどう捉えられているのか、そして今の時代を多喜二ならどう見るかなど、著名人や多喜二を知る関係者のインタビュー、中国で行われた多喜二シンポジウムの様子なども紹介しながら掘り起こしていきます。
「蟹工船」など多くの作品を世に問い、プロレタリア文学者、理論家という多彩な面をもちながらも、わずか二十九年の短い人生を終えた小林多喜二。多喜二の人間としての面にスポットを当てます。激しく右傾化していく時代と誠実に対峙し、その時代と激突して志なかばで死んだ人間としての多喜二や、恋に悩み、家族や社会的な弱者に対する暖かく優しい目を持ち続けた多喜二をリベラルな視点から描きます。わずか二十九年で切断された多喜二の人生は、生きたくても生きることが出来なかった彼の無念の思いとともに、その後の激動の時代を逆に照射し続けてきました。生誕105年、死後75年を経て、その人生が再び新しく見直されています。長い歳月を超えて、その人生が、今、鋭く突きつけてくる問いとは何なのでしょうか?
一人の若者のひたむきな人生の軌跡を、北の風土の特性と共に描きながら、死後、多喜二の人生が辿った運命を探り、時代ごとに彼が問いかけてきたものを見つめていきます。
英語で紹介する2009年小樽多喜二祭。
充実した内容にびっくりです。
目次は、解説編、資料編、特別編の3部で構成されています。
●解説編の目次は、「はじめに……本資料集の目的、1講演会グループについて、2『群馬戦線』と『上毛大衆』の概要、3『群馬戦線』と菊池光好、4『上毛大衆』同人と「多喜二奪還事件」、5『上毛大衆』の散文について、6『上毛大衆』の韻文について、7『宣戦』掲載の文芸評論をめぐって、8『全線』刊行の意義、まとめにかえて……「文芸講演会」開催の諸条件」となっています。
●資料編は、『群馬戦線』の文芸欄、『上毛大衆』の文芸欄、『宣戦』の文芸欄、詩歌集『全線』となっています。
●特別編は1菊池敏清の文芸活動、2伊藤信吉と「多喜二奪還事件」、3二つの「飴玉闘争」と「奪還事件」です。
プロレタリア文学運動の文戦派対戦旗派のような展開が群馬でもあったそうです。そこには、地域に根付いたプロレタリア文学運動が躍動感をもって展開しています。
そういう運動の中心にいたグループが、小林多喜二、中野重治、村山知義らのナップ系の作家を招いて講演会を開催したのです。
そのドキュメントは、現在の自民・公明の政治体制崩壊の新しい政治局面、新しい連帯と共同の模索という現在の課題にとっても示唆に富む内容を含んでいます。
ぜひ、ご一読を、そして感想を交換いたしましょう。
ご注文は、
haseda@azuma-toshin.co.jp
のハセダ様へ。
9月6日発売、1000円(税・送料別)です。
以下のプログに、
9/6に開催された伊勢崎・多喜二祭の開催報告がアップされています。
ご一読ください。
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/papasese2002
来年の秋田での多喜二祭記念講演講師は、ノーマ・フィールド教授が内定した様子です。
各地でも、来年の多喜二祭にむけての準備がすすんでいることと思います。
文芸講演会の講師で来たのに、講師陣は事前に検束されたのです。
会場に集まった満員の聴衆は「多喜二を還せ!」と伊勢崎警察署に抗議に詰めかけ、とうとう多喜二等の奪還に成功しました。事件から77年の時を経て、その全貌が初めて明らかとなります。
9月18日 関東軍による南満州鉄道爆破(柳条湖事件)から満州事変勃発前夜のころ、小林多喜二は、後に「安子」と改題する「新女性気質」という初めての新聞連載小説を『都新聞』(※同紙は『国民新聞』と1942年合併し、『東京新聞』となる)を始めたばかりでした(8月23日~10月31日号までの69回連載)。
毎日書かなくてはならない新聞小説の原稿はどうなったのでしょうか。
この時期のことを挿絵を担当した大月源二が書き遺しています。
その前に、大月源二を紹介します。
彼はは1904年、函館にうまれ、1908年に小樽に移住しました。
1916年樽中(小樽中学校)に進み、白潮会という画会で水彩画を描きはじめた。多喜二も同じ1916年に庁商(小樽商業学校)に入り、子羊画会の仲間と絵を描いていたので、二人はそのころからの知り合いでした。
源二は早くから両親を失い、叔父の世話で1922年、東京美術学校に入学しました。同期に上野駅中央改札の上の大壁画を書いた猪熊弦一郎、荻須高徳、小磯良平らがいます。
1927年、源二は美術学校を卒業して日本プロレタリア文芸連盟(ナップの前進)美術部に加入。1928年2月、労働農民党の選挙ポスターを描き、3・15事件で検挙されて特高の激しい拷問を受けます。
3月25日、ナップ(全日本無産者芸術連盟)が結成されると多喜二は伊藤信二、風間六三らとナップ小樽支部を組織し、ナップの機関紙『戦旗』の配布を受けもちます。
そして多喜二は小樽警察署の拷問の凄まじさを描き、天皇制警察の暴虐を告発した「1928年3月15日」を書きあげ、『戦旗』に発表します。大月源二はその挿絵を描いています。これが多喜二と源二の共同作業の最初でした。
その後、「蟹工船」(戦旗)、「安子」(都新聞)、「転形期の人々」(ナップ)なども源二のが挿絵を担当したことはよく知られています。
さて、話をもどします。
当時の多喜二は前年に「工場細胞」を書きあげて上京したものの、5月に「戦旗」防衛関西巡回講演会後、共産党への資金援助の疑いで投獄され、さらに「蟹工船」の表現が「不敬罪」にあたると追起訴されたものの、1931年1月にいったん釈放されたばかりでした。
この投獄にもかかわらず、多喜二は旺盛に活動を再開し「オルグ」を発表、
壁小説「争われない事実」(〈8・17〉『戦旗』9月号) 、「北海道の同志に送る手紙」(〈8・17〉『ナップ』9月号)、壁小説「七月二十六日の経験」(『われら青年』 作家同盟発行パンフレット)、「父帰る」(『労働新聞』 日本労働組合全国協議会機関紙9月3日号)とつぎつぎと発表していました。
そのころのことを回想し、源二は以下のように回想しています。
「多喜二と私」(『北方文芸』1968・3月合)
多喜二と私の呼吸はピタリと合った。しかしそれは決して安穏な仕事ではなかった。
というのはナップの運動の革命化と警察の弾圧の凶暴化とは、しだいに作者の制作のテンポを乱し、ついには明日の小説の原稿を今日になって入手し、時には明日の分の筋書きだけを聞いてさしえを描くという場合が多くなった。
ある日などある講演会で講演した多喜二が検束されたので、新聞社の車が警察にかけつけてかれを貰い下げ、社の応接室で待っていた私ののところへ連れてきて、かれの話す「筋」にしたがってその場で画稿にとりかかる。
あるときは私のの方が、美術同盟東京支部総会で議長をつとめていたころを、臨検の特高によって解散され、総検束ということになったが、私一人だけコッソリ抜け出し、そのまま多喜二の家の近所に部屋を借りて臨時のアトリエにしてさしえを続けた。
こんな風で、「都」の文化部もずいぶんハラハラさせられたことと思う。
この連載は69回続けられ、10月30日の分のおわりに『この小説は前編だけでひとまず打ち切ることにします。』とことわりが出て、あわただしく終わりを告げた。。
「ある日などある講演会で講演した多喜二が検束されたので、新聞社の車が警察にかけつけてかれを貰い下げ」というのが、9/6の検挙をさすものか、その後の9/20 上野自治会館の第2回「戦旗の夕」で講演、検束された事件を指すものかはわかりませんが、こんな条件のなかでよく新聞連載をしていたものだと、多喜二の闘争精神に感心してしまいます。
この闘争の経験は、小説「母たち」(〈10・11〉『改造』11月号)に反映されたでしょうか?
「監房随筆」(〈12・14〉『アサヒグラフ』32年1月20日号)に反映されたのでしょうか?
今回講演を担当する土井大助さんにぜひ、うかがってみたいものです。
土井さんの主要著作を次に列挙します。 詩集など ルポ・伝記 多喜二 |
今に生きる小林多喜二
世代を越えた連帯 読み継がれる「蟹工船」
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■ ところ
アイホール(伊丹市立演劇ホール)
■ と き
2009年3月22日(日)PM1時30分より(開場PM1時)
■ 内 容
第1部 講演:島村輝さん (女子美術大学教授 「逗子・葉山9条の会」事務局長)
「第8回阪神北小林多喜二祭] 講演にあたって 講演者メッセージ
家族から世界まで
ー多喜二が語る「連帯」の可能性
2008年「蟹工船」がブームとなりました。企業の利潤追求のために、「日雇い派遣」や「偽装請負」など、若い人たちが過酷な条件の中で働かされる状況の中で、「これではまるで『蟹工船』に描かれた世界と変わらない、いやそれ以上だ」という認識が、多くの人たちに共有されるものとなってきたということが、この背景にはあります。しかし多喜二は単に「労働者の悲惨な状況」を描いたばかりではありませんでした。この作品の中で、多喜二は「暴力が支配するような状況を変えていくためには、力を持たない者はどういう方法を用いたらいいか」というヒントを示しています。それは多くの人々による「連帯のちから」の持つ大きな可能性であると言っていいように思います。
生涯を通じて、多喜二は家族や恋人など身の回りのごく身近な人たちから、植民地に住む人たちや外国人にいたる、さまざまな人々との「連帯のちから」について、考えを深め、文学に表現していったといえるでしょう。投稿作家の頃から晩年の「党生活者」「地区の人々」にいたる作品を紹介しながら、多喜二が探求し続けた「連帯のちから」の可能性についてお話ししたいと考えています。
第2部 音楽:朗読と歌で綴る 「小林多喜二と音楽」
ヴォーカル:Kei.Sugarさん
朗 読:藤木 洋子さん
ピ ア ノ:山崎 孝次さん
サックス/フルート:渥美 直久さん
Kei.Sugarさんのプロフィール
京都市生まれ。大阪で地方新聞記者として働きながら、04年から自作曲をピアノで弾き語りを始め、全国各地で音楽活動を展開。韓国「ナヌムの家」での「平和と友情のためのフェスティバル」(07年)、ベトナムでの「日本ベトナム平和友好コンサート」(08年)に出演。CDは「多喜二へのレクイエム」(05年)、「朗読と歌で綴る多喜二が愛した音楽」「オリジナル集ー青い空を抱きしめて」(08年)
■ 会 費 1500円
■ 主 催 阪神北「小林多喜二祭」実行委員会 ℡072-781-0122 三菱革新会館内

展示での目玉は、一つには、多喜二が麻布十番に残した書籍資料の一つである『産業労働時報』1932年10月号。
この冊には、戦前共産党の綱領である27テーゼが掲載されており、そこに多喜二の読後感が書き込みされている逸品。
もう一つが、表記の「上海反戦会議支持基金袋」。
この上海反戦会議は、後に極東平和友の会へと発展し、戦前の反戦のための幅広い人士の集う場となった。
この反戦運動のるつぼに多喜二が位置し、その指導に力を尽くしたことは間違いない。
しかし、手塚英孝の描く『小林多喜二』の評伝にはこの事項に関する情報は一言半句もない。
今日、小林多喜二の晩年の―日本共産党員としての活動を語る上で、このことが語られる必要があると私は思う。
今回、大阪多喜二祭の展示を担当された戦前の資料を保存する会の識見として、「上海反戦会議支持基金袋」を発掘し、展示されたことは大きな意味があることと受けとめている。

山本宣治没後80年、「蟹工船」発表80年、小林多喜二没後76年記念
「多喜二と山宣を語る」対談トーク
島村輝女子美術大学教授(多喜二研究家)
&
浜田紀男大阪山宣会事務局長
今年は1929年3月5日右翼団体に刺殺された山本宣治の生誕120年、没後80年にあたります。また、「蟹工船」の『戦旗』発表80年です。昨年来「蟹工船」ブームで小林多喜二が注目されると同時に、1929年の世界恐慌がクローズアップされています。
1928年の3・15弾圧を国会で追及した山本宣治、小説で告発した小林多喜二。二人の生き様には多くの共通点と接点があります。そこで、小林多喜二研究の第一人者である島村輝女子美術大学教授と浜田紀男大阪山宣会事務局長に、それぞれの視点と接点などについてざっくばらんに語っていただきます。
日 時 2009年3月21日(土)午後6時半~
場 所 大阪市立中央青年センター 2号室
参加費 無料
主 催 大阪多喜二祭実行委員会・大阪山宣会
問合せ 06-6772-7555・治安維持法国賠同盟大阪府本部
労働環境の悪化で、小説「蟹工船」が再び時代の共感を呼び注目を集めている大正時代の作家小林 多喜二(1903~1933年)。
多喜二に魅せられ、その育った街・小樽に住んで多くの資料や証言に接したシカゴ大学教授のノーマ・フィールドさんは、この1月に岩波新書から「小林多喜二 21世紀にどう読むか」=書籍情報=を出版したばかり。
今回、「いま多喜二を語る意味~新たな戦争と貧困の時代に~」と題して講演する。お話は流暢な日本語で。コーディネーターは童話作家の加藤多一さん。

・日 時 :2009年3月6日(金) 18:00開場、18:30開演
・会 場 :札幌市・北海道クリスチャンセンター(北区7西6 )2Fホール
・参加費 :1,000円、学生・障害者500円
・主 催 :第9条の会・オーバー札幌
・お問合せ:TEL 011-733-4755(吉岡方)
山口、田島氏が『蟹工船』を語る/神戸
「『蟹工船』がいま問いかけるもの」と題した小林多喜二記念集会(実行委員会主催)が二十二日、神戸市内で開かれ、百五十人が参加しました。
『蟹工船』エッセーコンテスト大賞受賞者、山口さなえさんと作家の田島一氏が語りました。 山口さんは、派遣会社で寮付きの仕事を見つけたが上司から体の関係を迫られ、辞めて半ホームレスになった若い女性の例をあげ、「なぜこんなに痛めつけられるのか。生きるため権力ともたたかわなくてはいけないのではないか。『蟹工船』につながるのでは」と思ったと述懐。
労組をつくるなど若者が声を上げていることをしめし、「いまの若者はふがいなくないといいたい」と語りました。
「現代(いま)を撃つ、文学の力」と題して講演した田島氏は「『蟹工船』が社会現象になるような時代は不幸。多喜二が苦笑いしているのでは」と話し、「現代社会とのかかわりで文学の意義を八十年後に実証した」とのべました。
『蟹工船』はいまの読者に生きる勇気と連帯の意義を伝えているとし、「私も多喜二を範にしてすすんでいきたい」と語りました。
(2009年02月26日,「赤旗」)
× × ×
多喜二と文学語り合う/松山で集い
「蟹工船」で知られるプロレタリア作家の小林多喜二が特高警察に虐殺されて七十六周年を迎えた二十日、「多喜二を語り合う集いin松山」が松山市民会館で開かれ、約四十人が参加しました。
治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県本部(中川悦良会長)の主催によるもの。参加者は黙とうをした後、多喜二と文学について思いを語り合いました。
同本部顧問の木山隆行氏は、多喜二を〝自らの生きた時代と確かな将来を描きだすことに挑戦した革命的な作家〟と位置づけ、日本資本主義が軍国主義へと向かう時代を描くことに果敢に挑戦した多喜二の姿を紹介しました。
中川会長は、一九二九年の大恐慌の時代にプロレタリア文学誌へ掲載された「蟹工船」が、今日、百万部を超えるベストセラーになっていることを紹介。多喜二が残した唯一の色紙が愛媛にあることにも触れ、「これからも、このような集いを続けていきたい」と話しました。
(2009年02月26日,「赤旗」)
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労働者支援誓う/多喜二関連の映画鑑賞/宮城/青森/福島・いわき 塩釜で「時代を撃て・多喜二」/
宮城 宮城県の塩釜市公民館で治安維持法犠牲者国賠同盟塩釜支部主催で二十一日、記録映画「時代を撃て・多喜二」の上映会が開かれ、四十人を超える人が鑑賞しました。
上映会に先立ち、元日本共産党宮城県委員長本田勝利氏が「多喜二を語る」と題して語りました(写真)。自ら平和と民主主義の旗を掲げてたたかいながら、作品に結実させていった多喜二の文学が、資本主義社会の本質を真正面から告発していることで今日につながる作品の普遍性となっていることを浮き彫りにしました。
その後、上映が行われて、参加者からは「多喜二のたたかいは今日も続けられていると実感させられた」「多喜二が虐殺された二月二十日は忘れてはいけない日であることを再認識した」などの声が寄せられました。
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「蟹工船」上映八戸で400人/青森
映画「蟹工船」をみる八戸の会が二十一日、青森県八戸市の三八教育会館で開催した上映会には、四百人を超える参加者がありました。 主催者は、最近「蟹工船」がベストセラーになったことや若い人たちに読まれていることから、参加者が多いことを予想。ところが、前日の二月二十日が小林多喜二の命日で、民放で多喜二や「蟹工船」のことが取り上げられたこともあって、予想を上回る参加者となりました。
会場には、昔、蟹工船に乗ったことがある人も来ていて、実行委員長に「戦後だったので、暴力的な支配はなかったものの、仕事のきつさは、映画と変わらない」と当時のことを語っていました。
「タイムリーな企画に感謝します」という感想も寄せられました。若い人たちも訪れ、モノクロ画面でやや聞き取りにくい音声でしたが、食い入るように見ていました。見終わって、漫画の「蟹工船」を購入した人もいました。
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首都圏青年ユニオン委員長が講演/福島・いわき
福島県いわき市の産業創造館ホールで二十一日、映画「蟹工船」(山村聡監督)の上映会が行われました。市内の労働組合と民主団体などでつくる実行委員会「見る会」が主催し、約二百六十人が観賞しました。
主催者あいさつで、実行委員会代表の高橋美保さんが「二月二十日は映画『蟹工船』の原作者、小林多喜二が権力によって命を奪われた日です。映画会は、多喜二をしのんで計画されました」と述べました。
首都圏青年ユニオンの武田敦委員長が「今に生きる蟹工船」と題して講演。団体交渉など青年ユニオンの活動を通して、青年が「蟹工船」の労働者のように、結びつきとつながりを広げていることを紹介し、「三月にも派遣切りが心配されます。参加者の皆さんのネットワークで支援を進めてほしい」と訴えました。
参加した三十代の女性からは「映画に感動し、講演から労働者たちの新しい動きを知ることができ、うれしく思いました」との感想が寄せられました。別の男性は「実際に派遣切りされている人たちにも見てほしい映画だった」との感想を寄せました。 (2009年02月26日,「赤旗」)
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人々励ます多喜二文学/秋田、大館市で記念の催し
秋田県大館市出身の作家・小林多喜二(一九〇三―三三年)を記念する行事が二十一日秋田市で、二十二日大館市でそれぞれ行われました。 秋田市での第四十四回県多喜二祭には、韓国と県内外から二百八人が参加しました。
二〇〇九年県多喜二祭賞の発表があり、元十文字町長の西成辰雄さんと慶州ナザレ園協力会の松島啓昇さんの二人が受賞しました。
大館市での第三十回小林多喜二記念の集いには、「小林多喜二をふるさとで読む会」メンバーや弘前市、能代市などから七十四人が参加しました。 両会場とも新日本歌人協会全国幹事の碓田のぼるさんが「いまに生きる小林多喜二―私が学んできたこと」と題して講演しました。
碓田さんは、「多喜二は殺されてからも文学として生き続けてきた。地下水のように深いところを流れてきた。だからこそ資本主義の弱さが露呈しているいま地表に噴出し人びとを励ましているのだ」と話しました。
「講師が歌人なので参加した」という女性(54)は、小樽から上京する途中で秋田市に立ち寄った多喜二が佐々木妙二(歌人、小樽高等商業の後輩)に「『ダメなのは短歌でない、君の生きざまだ』と話したくだりを聞いてそのとおりだと思った。肝に銘じなければいけない」と話していました。
(2009年02月24日,「赤旗」)
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江別多喜二祭
「江別の多喜二祭」が3月1日(日)午後2時~4時、ドラマシアターどもⅣ(江別市2条2丁目、JR江別駅5分)で行われた。
参加1000円(ドリンク付)。直接会場へ。
▼朗読=小林多喜二作「防雪林」よりを安念智康さん、「書簡」よりを金子このみさん(劇団ドラマシアターども)
▼ギター演奏=佐藤洋一さん
▼スライドとお話し「多喜二の青春」=宮田汎(ひろし)さん(北海道高校センター教育研究所所長)
▼朗読=三浦綾子作「母」より「第6章・多喜二の死」を長谷川京子さん(飯田信之演劇事務所)――。
小林多喜二は、1903(明治36)年10月13日、秋田県下川沿(しもかわぞえ)村に生まれ、4歳から小樽(若竹町)に住み、小樽高等商業学校(現・国立小樽商科大学)を卒業後プロレタリア文学の若き旗手として活躍した。1933(昭和8)年2月20日、治安維持法違反の疑いで逮捕され、当時の特別高等警察の激しい拷問にあい、29歳と4ヵ月という短い生涯を終えた。命日にちなみ、各地で「多喜二祭」が営まれている。
今の若い世代にも、非正規雇用の増大やいわゆるワーキングプアの拡大などからか、多喜二の作品である「蟹工船」などがベストセラーになっている。
問合せ/ドラマシアターども【TEL】 384―4011。
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古河市で多喜二祭/新日本歌人協会支部 <o:p></o:p>
新日本歌人協会古河支部は二十日、茨城県古河市の古河文学館で「古河多喜二祭」を催し、四十四人が参加しました。
多喜二作品の朗読や多喜二を詠んだ短歌の朗詠のあと、日本民主主義文学会会員の奈良達雄氏が「小林多喜二と上野壮夫の作品の文学性と今日性」と題して講演。秋野宏氏が多喜二ゆかりの曲を演奏しました。
参加者から「プロレタリア文学になじめなかったが、いまなぜ『蟹工船』なのかがよくわかった」との感想が出されました。
(2009年02月28日,「赤旗」)
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現代を映す「蟹工船」/発表から80年/大阪で多喜二祭 <o:p></o:p>
労働者が搾取される実態を暴いた小説「蟹工船」の作者で、特高警察に虐殺された小林多喜二の「火を継ごう」と二十八日、大阪市中央区内で「09年大阪多喜二祭」が開かれました。今年は、「蟹工船」発表から八十周年。三百五十人が参加しました。
実行委員長の柳河瀬精・治安維持法国賠同盟府本部会長が冒頭にあいさつしました。講演した尾西康充・三重大学教授(日本近代文学)は、政府やマスコミ各紙が「〝自己責任〟という言葉で政府の責任を個人責任に転嫁している」と批判。「踏みにじられた人間に立ち上がる力を与える」、「蟹工船」が、現代の格差社会とつながることを示しました。
「地域労組おおさか」の青年らは相談数の激増を紹介し、「すべり台社会を実感した。『蟹工船』はまだ終わってない」などと訴えました。まんが「蟹工船」の解説者でもある島村輝・女子美術大学教授は、労働法制の改悪の経過を指摘し、一過性の問題ではないことを強調しました。
多喜二の書簡集などの資料展示も開催。「蟹工船」の朗読や歌も披露されました。
(2009年03月01日,「赤旗」)