「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

演劇「猫工船」

2010-09-16 21:05:05 | 小林多喜二「蟹工船」を読む
劇団 演劇サークル PLAYING 
劇場 大阪市立市民交流センターすみよし北 ほか 
公演日 2010年10月9日2010年10月31日 
公演スケジュール 2010年10月9日土曜日 18:30~
     10日日曜日 13:00~ / 18:30~

開場は開演の30分前になります。

大阪市立市民交流センターすみよし北(旧大阪市立住吉人権文化センター) 大ホール
南海高野線 住吉東駅 徒歩5分
〒558-0054 大阪市住吉区帝塚山東 5-3-21

主催 大阪市立市民交流センターすみよし北
後援 大阪市

2010年10月31日日曜日15:30~ 堺市民芸術祭

同時公演  朗読劇「こんにちは、母さん」ぐる~ぷ・わい 13:30~

堺市立栂文化会館 ホール
泉北高速鉄道「栂・美木多」駅下車すぐ
〒590-0141
堺市南区桃山台2-1-2

主催 堺市文化団体連絡協議会 劇部会
後援 堺市 堺市教育委員会 堺市文化振興財団
 
チケット価格 入場無料

協賛 お客様の素敵な旅物語の為に

パインツーリスト

南海高野線 三国ヶ丘駅 徒歩5分

〒590-8037
大阪府堺市北区百舌鳥赤畑町1-8-4
新野村工業三国ヶ丘ビル2階
TEL072-254-1020
FAX072-254-1305
 
プロフィール

 

プロレタリア文学の巨匠 小林多喜二没後75年を経て、今ここに現代の「蟹工船」が蘇る。

―――― それは、とても近い未来の日本。
少子化高齢化が加速度を増し、もはや日本の「労働力」は枯渇してしまっていた。
そんな中、とある有名大学の遺伝子工学研究チームはついに「猫」の獣人化に成功する。
それは「猫工員」と呼ばれ、新たな労働力として瞬く間に日本中に広まった。

物語の舞台はとある「工場」

「猫工員」達は、貪欲な人間達によって、過酷かつ劣悪な環境を強いられ、凶悪な重務に日々潰されていった。
それは、まるで使い捨ての「道具」のようだった・・・

そこに「命」はあるのか?
戦後最大の不況、超就職氷河期と言われるこの時代に贈る「働く」と言う意味。
 

上演時間 約1時間半 
作家 NOKKS 
演出家 山本知史 
出演者 しろわ、 長江ゆかり、 ひすい、 山本ちえ、 ちゃこ、 やまもとちふみ、 小橋加奈、 水島しづく 
客演  
スタッフ 音響 林明日香、 照明 赤穂秀一 

ローマで「蟹工船」

2010-07-11 22:35:58 | 小林多喜二「蟹工船」を読む

ローマでおしゃべり:インテリ編/1 若者の失業、社会と文化の違い

 ◇「蟹工船」ブームに驚き

 初夏、ローマの書店の新刊コーナーに「魂を求めて-途方に暮れるイタリアについての対話」という対談本があった。第7章に「Kamikosen(カミコーセン)」とあった。「蟹工船」の誤植である。日本での小林多喜二の小説のブームに触れ、「グローバリゼーションで世界は大きな蟹工船になった」「操縦室にいても船底にいても誰もが生産の奴隷と化している」と、経済成長にとらわれ幸福感をなくした現代人を嘆いている。

 このビンチェンツォ・パーリア司教(65)との対談本で「蟹工船」を持ち出したのは作家で、国営映画会社RAIチネマの社長を務めるフランコ・スカーリアさん(66)だ。

 理由を聞くと「やはり文化の違いへの驚きが大きい」と言う。「日本で1920年代の社会的な小説が現在の若者に読まれている現実に驚いた。イタリアでは80年代以降、若者の失業がひどくなり非正規雇用が当然になったが、こんな事はまだ起きていない」

蟹工船ブームを自著で取り上げたフランコさん
蟹工船ブームを自著で取り上げたフランコさん

 労働者の搾取や貧困をテーマにした小説はイタリアでも戦後から60年代まではよく読まれたという。「だが小説が社会を動かしたり、世代に影響を与える事はなかった。仮に今、誰かが『蟹工船』のような作品を話題にしても、まず売れないだろう」とみる。

 「イタリアでは南部で失業が慢性的な上、職のない子を家族が支える風潮が強い。自殺率も低いままだし、絶望した若者による大量殺人などもまず聞かない。それでも若者の不満がくすぶっているのは確かだ。どんな形かはわからないが、爆発する時はかなりひどいものになる。若者の失業が日本ではこんな形で表れているという事例として、イタリアにブームを紹介したかった」【ローマ藤原章生】

     ◇

 学者、作家など「インテリ」と呼ばれるローマ人のおしゃべりからイタリア社会を考えた。=つづく

毎日新聞 2010年6月15日 東京朝刊


Kamikosen(カミコーセン)

2010-06-15 20:28:21 | 小林多喜二「蟹工船」を読む

ローマでおしゃべり:インテリ編/1 若者の失業、社会と文化の違い

 ◇「蟹工船」ブームに驚き

 初夏、ローマの書店の新刊コーナーに「魂を求めて-途方に暮れるイタリアについての対話」という対談本があった。第7章に「Kamikosen(カミコーセン)」とあった。「蟹工船」の誤植である。日本での小林多喜二の小説のブームに触れ、「グローバリゼーションで世界は大きな蟹工船になった」「操縦室にいても船底にいても誰もが生産の奴隷と化している」と、経済成長にとらわれ幸福感をなくした現代人を嘆いている。

 このビンチェンツォ・パーリア司教(65)との対談本で「蟹工船」を持ち出したのは作家で、国営映画会社RAIチネマの社長を務めるフランコ・スカーリアさん(66)だ。

 理由を聞くと「やはり文化の違いへの驚きが大きい」と言う。「日本で1920年代の社会的な小説が現在の若者に読まれている現実に驚いた。イタリアでは80年代以降、若者の失業がひどくなり非正規雇用が当然になったが、こんな事はまだ起きていない」

 労働者の搾取や貧困をテーマにした小説はイタリアでも戦後から60年代まではよく読まれたという。「だが小説が社会を動かしたり、世代に影響を与える事はなかった。仮に今、誰かが『蟹工船』のような作品を話題にしても、まず売れないだろう」とみる。

 「イタリアでは南部で失業が慢性的な上、職のない子を家族が支える風潮が強い。自殺率も低いままだし、絶望した若者による大量殺人などもまず聞かない。それでも若者の不満がくすぶっているのは確かだ。どんな形かはわからないが、爆発する時はかなりひどいものになる。若者の失業が日本ではこんな形で表れているという事例として、イタリアにブームを紹介したかった」【6/15 毎日新聞 朝刊/ローマ藤原章生】


ノルウェー語版「蟹工船」発売!!

2010-05-26 18:47:43 | 小林多喜二「蟹工船」を読む
世界各地で「蟹工船」の翻訳・紹介が続いているが、今度はノルウェーの若い翻訳家、マグネ・トリング翻訳のノルウェー語版だ。

「蟹工船」ノルウェー語翻訳の話が持ち上ったのは、2008年イギリス・オックスフォードで開催の「オックスフォード多喜二シンポジウム」でのこと。

同シンポに参加の安倍玲子さんがノルウェーの左翼政党の機関誌からインタビュー取材され、その記事を読んだ出版社から翻訳のオファーがあり、とんとん拍子で話が進んだという。

その翻訳者の栄誉を受けたのは、マグネ・トリングさん。

反響はいまひろがりつつある。

パリの新聞「OVNI(オヴニ―)」12/15が「蟹工船」書評

2009-12-23 18:49:13 | 小林多喜二「蟹工船」を読む

EN FINIR AVEC LES CADENCES INFERNALES

Cela fait plusieurs mois que les médias mettent en évidence le malaise de la jeunesse. La Grèce, l’Espagne, l’Italie, pour ne parler que des pays les plus proches, ont connu des manifestations parfois violentes de jeunes qui remettent en cause la société actuelle. La plupart d’entre eux ont pour référence les années 1960 aux cours desquelles leurs aînés ont réussi à imposer des transformations importantes. Au Japon, les jeunes ne se réfèrent guère à cette période. Ils sont peu nombreux à s’identifier au combat mené par les mouvements étudiants d’extrême gauche. D’ailleurs, ils ne les connaissent quasiment pas. Pour manifester leur colère vis-à-vis d’une société qui ne leur propose que la précarité et la pauvreté, ils se tournent vers la littérature prolétarienne, notamment le roman de Kobayashi Takiji La Bateau-usine (Kanikôsen) paru initialement en 1929. En l’espace de quelques mois, l’ouvrage s’est vendu à des centaines de milliers d’exemplaires. Aujourd’hui, grâce aux éditions Yago, le public français peut découvrir ce texte. Celui-ci décrit les conditions de travail déplorables de ceux qui devaient mettre en boîte le crabe pêché en mer d’Okhotsk et leurs tentatives pour y mettre fin. Dans le contexte de l’époque qui voyait le Japon tenter de tenir la dragée haute aux Occidentaux (incarnés ici par la Russie), il fallait que les hommes se sacrifient pour la patrie au point d’en oublier leur condition humaine. Aujourd’hui, les jeunes Japonais veulent qu’on les reconnaisse pour ce qu’ils sont. Ils ne veulent plus être une main-d’œuvre corvéable à merci. C’est ce qui explique pourquoi le roman de Kobayashi les a captivés. Nul doute que la jeunesse française s’y retrouvera aussi.     C. L.

Kobayashi Takiji
Le Bateau-usine, trad. par Evelyne Lesigne-Audoly, éd. Yago, 18€

 

http://www.ilyfunet.com/japon/lecture/667_usine.html

 


加藤周一氏が亡くなったーその遺志は「憲法9条」とともに輝きは失われない

2009-12-16 22:01:21 | 小林多喜二「蟹工船」を読む
9条の会の呼びかけ人の一人、加藤周一氏が亡くなったのは、昨2008年12月6日だった。



]田母神発言などにみられるとおり、憲法の民主条項、平和条項を踏みにじろう人々の姑息な動きもあきらかになっているなかで、大きな存在として力をはたしてきただけに残念。

一周忌を記念するイベントが新宿の紀伊國屋サザンシアターで開かれた。
題して「加藤周一とともにいま、『日本文学史序説』を語る」。
大江健三郎さんの講演をうけて、小森陽一の司会で成田龍一さんを交えての鼎談。参加された島村輝教授のレポートが以下のプログで紹介されている。


http://blog.livedoor.jp/insectshima/archives/52051973.html

小林多喜二の「蟹工船」について周一氏は、日本文学史のなかのプロレタリア文学は、その技法ではなく、題材において他とは一線を画する新しいものであった。つまり、働く者の生活を社会とのかかわりのなかでとらえる文学は、プロレタリア文学以前にはありえなかった。階級と階級間の闘争、虐げられる者と虐げる者、その矛盾と闘争を小林は見事に描ききった。

と述べ評価していた。
『マンガ蟹工船』の解説者の島村輝教授のプログ

http://blog.livedoor.jp/insectshima/


には以下の情報が紹介されているので紹介し、ご冥福を祈りたい。

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2005年04月21日

3月末の訪中について 昨日の『朝日』の夕刊、加藤周一さんの「夕陽妄語」に、3月末の訪中のことについて書いてあった。いまになってみれば、加藤さん、小森陽一さん、そしてぼくがこの時期に中国に行ったのは、まさにベストのタイミングだったといえるかもしれない。

中国メディアでは、このことがどのように報道されているか、リンクをはっておく。

日本著名学者批判日本没有正确客観地対待歴史
日本学者:日未很好反省是中日"政冷経凉"主因
(「中国新聞社」)

日本良心的抗争
(「中国青年報」)

「中国新聞社」の記事には、たしかにぼくたちが言明したことが書いてある。しかしそれは「すべて」ではない。その意味ではこの報道言説に政治的バイアスはかかっていることは事実である。だがそんなことは中国では、いや中国に限らず、どこでも当然「想定の範囲内」のことだ。問題は、そうしたことを承知の上で、なお中国に行く意味はなんだったのかということだ。

その点で特に注目してほしいのは「中国青年報」の記事である。この記事を書いた包記者は、中国政府に対する批判的スタンスを明らかにしてきた書き手であり、制限のある中で、よくぞここまで書いたというような記事を作っている。もちろんここにも政治的に「書けなかった」ことは多々あろうが、注意深くこの記事を読めば、ぼくたちが何故この時期に中国に行ったかの真意を理解してもらうことはできるだろう。

対面状況の中で直接語らなければ、伝わらない言葉もあるのだ。

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2005年05月08日

集会参加

昨日、教育基本法改悪に反対する集会に参加した。

会場の代々木公園は土曜日の午後とあってかなりの人手。「もののけサミット」の景気のいい音楽が流れていた。現代的チンドン屋という感じ。

開会前に舞台裏に行き、小森さんの姿を見つけて楽屋に案内してもらう。大内さん、高橋さん、三宅さんに『「心のノート」の言葉とトリック』をお渡しする。小森さんが迎えに行ったのと入れ違いに加藤周一先生来場。携帯で小森さんを呼び戻す。その間に加藤さんにも拙著を贈呈。中国訪問とそれ以降の話をしている間に開会となり、加藤さん真っ先にお話になる。

楽屋に戻ってこられた加藤さんをタクシーまでお送りしたが、その途中短い時間ながら有益なお話をうかがった。またまた元気をいただいた気がする。

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フランス語訳『蟹工船』刊行!!

2009-10-16 05:32:10 | 小林多喜二「蟹工船」を読む

日本滞在中で今年5月17日小林多喜二「蟹工船」をテーマに、4カ国の 文学研究者を招いたトークイベント『世界は「蟹工船」をどう読んでいるか』のシンポジウムでパネラーを務めたエブリン・オドリ氏(フランス国立東洋言語・文化研究院大学(INALCO)日本文化 研究博士課程)フランス語訳の「蟹工船」が、yago出版から刊行された。

 

フランス語圏での初の翻訳である。

主人公、主語のないことや、労働者を意識した荒々しい文体、擬音語、過剰な比喩など、日本語とフランス語の言語表現の壁を乗り越えての仕事だけに喜びにたえない。

詳細については、ブックマークにある島村輝先生のブログにありますのでご覧下さい。


「蟹工船」国文学論文リスト 2007年まで

2009-04-23 10:50:48 | 小林多喜二「蟹工船」を読む
No. 論文題名 //論文執筆者名 //掲載誌名
1 小樽への旅 //和田博文 //東洋 
2 近代 大正 //池内輝雄 //国語と国文学 
3 小林多喜二における話し言葉の表現の特色―話し言葉から「蟹工船」を読む //太陽舜 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
4 文学をたたかいの武器に―「蟹工船」「不在地主」「工場細胞」を中心に //三浦光則 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
5 松田解子から見る小林多喜二 //高橋秀晴 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
6 反戦平和と国際主義に殉じた作家小林多喜二 //松沢信祐 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
7 〈インタビュー〉 鹿地亘「死の日の記録」と、藩念之について //呂元明 //いま中国によみがえる小林多喜二の文学 
8 交錯する「蟹工船」と「上海」をめぐる序説 //十重田裕一 //「文学」としての小林多喜二 
9 特集・近代文学に見る日本海 『蟹工船』 //倉田稔 //解釈と鑑賞 
10 発禁本とその周辺をめぐる問題系 小林多喜二『蟹工船』と地下活動化する社会主義運動 //島村輝 //国文学 
11 「蟹工船」の「言葉」―その「団結」と闘争をめぐって //副田賢二 //昭和文学研究 
12 特集 読書のリバイバル 小林多喜二―文学の「偉大さ」について //田口犬男 //文学界 
13 文学者の見た近代日本の経済と社会(9) 小林多喜二『蟹工船』 //猪木武徳 //書斎の窓 
14 特集・交通(コミュニカシオン) 「蟹工船」における言葉の交通と非交通 //石川巧 //叙説(叙説舎) 
15 志賀直哉宛署名本(一)―小林多喜二の『蟹工船』 //紅野敏郎 //日本古書通信 
16 小林多喜二「蟹工船」 //黄奉模 //千里山文学論集 
17 小林多喜二「蟹工船」の同時代評(2) //黄奉模 //千里山文学論集 
18 小林多喜二「蟹工船」の同時代評(1) //黄奉模 //千里山文学論集 
19 『蟹工船』制作の背景考 //布野栄一 //語文(日本大学) 
20 昭和前期の特質 //日高昭二 //時代別日本文学史事典現代編 
21 日高昭二著『文学テクストの領分』 //篠原昌彦 //日本近代文学 
22 大正デモクラシーと北海道文学―石川啄木、有島武郎、小林多喜二 //篠原昌彦 //駒沢大学苫小牧短期大学紀要 
23 「ら」ぬけことば―みれる、おきれる //鈴木英夫 //解釈と鑑賞 
24 小林多喜二『蟹工船』 //高橋博史 //解釈と鑑賞 
25 小林多喜二―『蟹工船』について //野口貴久子 //大阪青山短大国文 
26 『蟹工船』の黙示録 //日高昭二 //日本の文学 
27 〈小特集〉近代文学と「東京」『蟹工船』の空間―テクスト論のための二、三の注釈 //日高昭二 //日本近代文学 
28 「蟹工船」の詩的表現について //三浦健治 //民主文学 
29 「理想」の絵解き−小林多喜二『蟹工船』 //竹田青嗣 //新潮 
30 「海に生くる人々」と「蟹工船」 //浦西和彦 //日本文学講座 
31 葉山嘉樹論−小林多喜二『蟹工船』との比較を通して //植木かおる //日本文学誌要 
32 《蟹工船》的感染力従何而来−談談小林多喜二小説的美的価値 //林治広 //日本文学(吉林人民出版社) 
33 「『蟹工船』の女たちは卑猥である」か―中山和子氏の「葉山嘉樹」論をめぐって― //松沢信祐 //稿 
34 小林多喜二 蟹工船 //小田切進 //国文学 
35 <寄託資料紹介>葉山嘉樹の書簡と小林多喜二「蟹工船」の原稿 //手塚英孝 //日本近代文学館 
36 「蟹工船」のテーマ・描写 //金子一郎 //国語国文学研究論文集 
37 小林多喜二をめぐって―「一九二八・三・一五」と「蟹工船」 //吉田紀子 //ふじ 
38 読者の問題―「蟹工船」「党生活者」はどう読まれているか― //安永武人 //日本文学/日本文学協会 


伊豆利彦氏新「蟹工船」論((『経済』2009年4月号))

2009-04-12 19:14:20 | 小林多喜二「蟹工船」を読む
「新自由主義の破綻と批判」を特集する『経済』(2009年4月号 No.163 定価980円[税込み] (送料84円)が、伊豆利彦氏の=「蟹工船」と若い世代=を掲載していて、読み応えがある。

同誌巻頭は林直道さんの論文「強奪の資本主義と世界恐慌」。長年の恐慌論研究に立って、分かりやすい資料と語り口で、危機の元凶を解き明かす。特集は「新自由主義の破綻と批判」。小泉「構造改革」による政策がいかに行き詰まっているか。「貧困は自己責任」論、「官から民へ」論をはじめ、税制、教育の分野から、そのイデオロギー的破綻をつく。合わせて、中谷巌氏の近著を素材に「新自由主義の経済学的帰結」を論じた二宮厚美氏の論考を掲載。

 座談会「オバマ新政権でアメリカは変わるか」では、アメリカの経済危機や、イラク戦争を中心とした対外政策の行方を考えます。出席は山崎伸治、増田正人、小西一雄の三氏。ほかに、過去10年間のトヨタ、キヤノンなど大企業のデータを分析した「大企業内部留保の拡大と労働分配率」(谷江武士)などがある。

同誌の普及を切に希望する。

伊豆利彦氏の新「蟹工船」論を以下に紹介する。

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 『蟹工船』と若い世代
 
激動の二〇〇八年はいつまでも人々の記憶に残る年となるだろう。北京オリンピックもアメリカの大統領選挙も遠い過去のことに思われる。それほど激しい時代の動きだ。アメリカ発の経済危機が全世界を揺り動かし、初の黒人大統領オバマが生まれた。日本でもトヨタや日産、ホンダなどの自動車、その他、ソニーやキャノンなどの大企業が大量クビキリを強行し、仕事と同時に住まいも失った労働者が大量に生み出された。この勢いはさらに加速され、〇九年はもっと大量の失業者が路頭に迷うおそれがあるという。

 この年、一九二九年、世界大恐慌の年に発表された『蟹工船』がにわかに売れ始め、三〇万、四〇万と爆発的に売り上げを伸ばして人々を驚かした。新潮文庫の『蟹工船』は今年だけで60万部を売り上げたという。特設売り場が設けられ、大々的に売り出される様子が新聞、テレビなどでさまざまに報道され、『蟹工船』ブームともいうべき現象が生まれた。


 2006年に白樺文学館多喜二ライブラリーが東銀座出版社から刊行した漫画版『蟹工船』も話題を呼んだが、さらにイーストプレス版、宝島版、講談社版が相次いで刊行され、新潮社からもコミック『蟹工船』が刊行されて、若者たちの間にさまざまな形で浸透していった。正社員の長時間労働や日雇い派遣の劣悪な労働など、苛酷な現場の実態をさして「蟹工船」とか「カニコー」とかという言葉が使われるるようになり、「蟹工船」は2008年の新語・流行語大賞のトップテンにえらばれた。
『蟹工船』は北洋漁業船団が出港する時期にはしばしばテレビでも話題になり、記念切手になるなど、その名は比較的知られていたが、作品を読んだ人は少なかった。特に若者たちはその名も知らぬものが多く、小林多喜二はすでに現代と無縁な過去の作家だった。
 
多喜二には熱烈な支持者がいて、いまも全国各地で多様な記念集会が開かれている。こんな作家は珍しいが、参会者はほとんどみな、青春の一時期に多喜二と出会い、生涯忘れることのできない大きな影響を受けたと思われる人々で、年々高齢化は避けられない。〇三年に広い九段会館大ホールを満員にして、没後七〇年生誕一〇〇年を記念する集会が開かれた時、その盛況に驚くと同時に、多分、これが最後の大集会になるのではないかと思った。しかし、豊島公会堂で開かれた民主文学会主催の没後七五年「多喜二の文学を語る集い」は前売り券があっても入場できないほどの盛況だった。この五年の間に新しい事態が始まっていたのだ。

 この集会では、若い作家の浅尾大輔(三八才)が司会し、小樽商大と白樺文学館の「蟹工船エッセーコンテスト」に入賞した山口さなえ(二五才)と狗又ユミカ(三四才)が報告する青年トークが人気を集めた。山口が演壇から「私はもし今、多喜二が生きていたら惚れていると思います」と言ったのにはおどろいた。山口が強調したのは多喜二の「優しさ」だった。狗又も多喜二を「アニキ」というか、いつまでも、「いいお兄ちゃん」という感じの存在だと、コンテスト受賞作品に記している。

 山口も狗又も派遣社員として、理不尽な解雇を繰り返され、職を転々する不安定な日々を過ごした。会社も同僚も労働組合も労働基準監督署も信じられなかった。非正規社員を理由に,あらゆる不当な扱いが正当化された。いつ解雇されるかわからない不安、社会に対する不信と絶望で神経障害に悩み、自殺を企てたりもしたが、団塊世代の大人たちはしっかりしろとはげますばかりだった。

 ふたりとも漫画がきっかけではじめて『蟹工船』を読んだが、会社の利益ばかりを追求して、労働者の肉体と生命を破壊し、「糞紙」のように使い捨てにする現実は、形はちがっていても現代と同じだった。このままの生活をつづけていては、年をとるにつれて雇ってくれるところもなくなり、路頭に迷って死ぬのではないかと不安だった狗又は、「俺あ、キット殺されるべよ!」「馬鹿! 今、殺されているんでねえか!小刻みによ」という作中の会話に自分の現状をはっきりと自覚させられた。

 いまは暴力的な浅川のような存在はなく、敵が誰なのか見えないが、目に見えない誰かによって一人一人撃ち殺されているのが現代だと、山口も強調する。派遣や請負という不安定な雇用条件のため、『蟹工船』のように団結することもできず、バラバラに孤立させられ、格好の標的になっている。しかし、こんな絶望的な自分たちを、多喜二は決して頑張れと励ましたりはしないで、朝までも話を聞いて、やはり最後に『蟹工船』の結末と同じように「彼らは立ち上がったーーもう一度!」と書き付けるのではないか。その優しさに「惚れた」のだと山口はいう。

 この青年トークでは司会の浅尾をはじめ山口も狗又も、多喜二を「多喜二さん」と呼んでいた。かつて多喜二は仰ぎ見る不屈の革命戦士であったが、いまは「惚れた」とか「兄貴」とか言われ、「多喜二さん」と親しみを込めて呼ばれる。そして、その優しさにひかれて、作中の労働者の悲惨な現実に共感し、自分だけが苦しいのではないと思い、連帯を求めて、一人でも参加できる新しい形の労働組合に参加したというのだ。

 驚きは、繁栄と近代化をほこる世界第二の経済大国、いまの日本の若者たちが、肉体を破壊され、死に追い込まれる『蟹工船』の労働者に、自分たちの現実を見ていることだ。1975年生まれの雨宮は、『毎日新聞』〇八年一月九日の高橋源一郎との対談で「『蟹工船』を読んで、今のフリーターと状況が似ていると思いました。」述べて、『蟹工船』ブームのきっかけをつくったとされるが、新しい単行本『蟹工船』に解説を書き、派遣会社の手で全国から集められた最も近代的なトヨタやキャノンの派遣工たちが、全国から周旋人の手で集められた『蟹工船』の労働者たちと、いかに同様な苛酷な働かされ方をしているかを一つ一つ事実を挙げて解明している。


 いまの若者たちは『蟹工船』の悲惨な現実に共感するが、労働者が団結して勝利を獲得するとは信じていない。ただ、死に追い詰められる虚無と絶望のどん底からの脱出、人間的な優しさと結びつきを求めて、新しい形の組合に参加しはじめたのだ。一方で、社会に対する絶望はひたすら破壊を求める思想となり、関東自動車の派遣工社員が無差別に通りがかりの人々を殺傷した秋葉原事件などを生み、戦争を美化する右翼思想への傾斜をも生んだ。

 1975年生まれの雨宮処凜は、大学受験に失敗して、リストカットと家出を繰り返し、二一歳で右翼団体に入会、愛国パンクバンドでボーカルとして活動した。その後、右翼を離れ、同世代を代表する作家、評論家、運動家として、現代が生んだ貧困層、生活も職も心も極度に不安定なプレカリアートの問題に取組んでいる。『ロスジェネ』創刊号(2008年6月)の「バブル崩壊後の焼け野原〃にて」に右翼との関係について書き、右翼にしか居場所を見つけられなかった当時を回想し、右傾化する人々の言葉にもある現代の生きづらさに耳を傾けてほしいと述べている。

 超左翼マガジン『ロスジェネ』は、一九七〇年代に生まれ、バブルが崩壊した一九九〇年代に就職期を迎えたロストジェネレーション、就職超氷河期世代の自己主張として創刊された。創刊号の巻頭には「ロスジェネ宣言」を掲げ、「『丸山真男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」(『論座』2007年1月号)で評判になり、『若者を見殺しにする国-私を戦争に向かわせるものは何か』(双風社)を出版した赤木智弘を招いて、共産党員で編集長の浅尾大輔と対談させている。右翼か左翼かというイデオロギー対立を超えて、「反貧困」という旗の下にあらゆる勢力を結集しようとしているのだと思われる。

 この世代は一方的にアメリカを美化し、社会主義を悪とする思想が支配する時代に育った。小林多喜二を知らないだけでなく、戦争の時代に平和を求め、労働者の解放を求めた運動について一切知らず、共産党は悪としか思わなかった。彼らはいかなる理論や党派の支えもなく、ただ、死に追い詰める現実に対して「生きさせろ!」と叫んで反撃を開始したのである。(雨宮『生きさせろ!難民化する若者たち』太田出版)「生きさせろ!」は『蟹工船』の「殺されたくないものは来れ」と同様に、ぎりぎりに追い詰められた労働運動のゼロ地点、原点である。繁栄を誇る経済大国日本がそのような場所に若者たちを追い込んでいるとは信じがたいが、昨年末以来の大量解雇の現実はこの残酷な事実をまざまざと見せつけている。


「バブル崩壊後の焼け野原〃にて」を書いたとき、雨宮は戦後の焼け野原を意識していたのだろうか。私たちも戦時中は軍国主義の教育を受け、戦後になるまで多喜二を知らなかった。東京の町は廃墟と化して、どこまでも赤茶けた焼け跡が続いていた。肉親も、住居も失った戦災孤児や、大陸からの引揚者、国のために死ぬつもりだった元特攻隊員など、住居とともに心の拠り所もうしなった人々が、飢餓に苦しみながら焼け野原をさまよっていた。これが戦争だった。この戦争に反対し、働く人々のために命をかけて戦った人々がいたと知ったのは驚きだった。獄中の政治犯は1945年の10月10日に解放され、小林多喜二の作品が粗末な紙に印刷されて次々に発売された。

 戦後の私たちは生きるためにはたたかわなければならなかった。激しいインフレの時代だった。物価は日に日に高騰し、たちまち何倍、何十倍になった。米よこせ、住居よこせ、仕事よこせの運動があり、賃上げの闘争があった。「生きさせろ!」「殺されたくないものは来れ」というのは戦後の運動、私たちの青春の原点でもあった。これらのたたかいの先頭には解放された共産主義者がいて、人民民主主義革命の旗を揚げていた。多喜二は不屈の革命戦士であり、仰ぎ見るべき偉大な英雄だった。しかし、米ソの対立が激化し、レッドパージがあり、朝鮮戦争があって、日本の左翼は後退した。ソ連の社会主義は崩壊し、アメリカの属国になった日本は高度経済成長をつづけて世界第二の経済大国になった。青年たちはひたすらアメリカの後を追い、独立の精神を失った。そして、バブルが崩壊し、就職超氷河期がやってきたのだ。
 
おどろくべき低賃金で世界最大の輸出産業を支えてきたトヨタやキャノンの派遣工、期間工などが、今度は大量に、失業保険その他の保障もなしに職を奪われ、宿舎も追われて、年の暮れの路上に放り出された。まさに「生きる」ためにはたたかわなければならない。次第に全国的な連携を強め、活動を強めてきたロスジェネ世代は、反貧困ネットワークなどが中心になって「年越し派遣村」の運動を始めた。この世代は導く理論や政党、経験ある指導者を持たずに、手探りで「生きる」ための活動を実践している。理論もなく、経験も乏しいこの運動がどれほどの成果をあげられるだろうか。しかし、この若者たちの周囲に自民・公明を含む各政党、対立していた労働諸団体など、広範な勢力があつまって、新しい運動をつくり出している。対立ではなくて、連帯と協力が新しい時代を開く。『蟹工船』はこの新しい運動の原点を示す作品として、ひろく国民の間に共感を呼んでいるのだ。
  (『経済』2009年4月号)

松田龍平登壇!『蟹工船』お披露目会見付き試写会に1組2名様をご招待とか?!!

2009-04-04 22:50:47 | 小林多喜二「蟹工船」を読む

http://www.eigaseikatu.com/topics/1760

<開催概要>

『蟹工船』お披露目会見付き完成披露試写会ご招待!

■招待数:1組2名様

■開催日:4月10日(金)

■時  間:完成披露試写会 13:00開場 13:30開映、お披露目会見 12:30~13:00

■会  場:TOKYO FM HALL  ※お披露目会見には、SABU監督、松田龍平、西島秀俊、高良健吾、新井博文、柄本時生、木下隆行(TKO)、木本武宏(TKO)が登壇を予定しています。

※申込の方は、トップのURLhttp://www.eigaseikatu.com/topics/1760 をクリックしてください。

 

当選者の方にはメールと電話でお知らせがあります!!

 

                                                                         


映画「蟹工船」(SABU監督)明日4/1 試写会?

2009-03-31 08:54:19 | 小林多喜二「蟹工船」を読む
映画「蟹工船」撮影現場を見た アナログと近未来の融合
『産経』2009.3.31 08:14



映画「蟹工船」の工員たちの寝床のセットの前で打ち合わせするSABU監督(中央右)と主演の松田龍平(同左)=栃木県足利市 小林多喜二の小説「蟹工船」が映画化される。メガホンを執るのは「弾丸ランナー」「ポストマン・ブルース」「疾走」などで知られるSABU監督。新作の舞台は船。登場人物が“走る場面”こそないが「“自分で考え行動しなけば何も始まらない”というテーマは実はこれまでと変わらない。見たことのない映画になるはず」と自信を見せる。栃木県足利市の撮影現場を取材した。(戸津井康之)

 プロレタリア文学の代表的作家、小林多喜二が近年、再び脚光を浴びている。没後75年の昨年は文庫の大増刷やコミック化もされ話題を集めた。映画化についてSABU監督は「不況の今の時代は当時と似ている。混迷の現代に生きる若者にこの作品を贈りたい。一人一人の背中を押す作品になれば」と語る。

 遠洋業業の漁船で過酷な作業を強いられる労働者のリーダー的存在、新庄を松田龍平が演じ、新庄ら労働者を絞り上げる水産会社の鬼監督、浅川を西島秀俊が演じる。

 足利市の倉庫内に船底のセットが組まれ、昨年末から撮影が始まった。カニを缶詰にするライン工場、船員の寝床は、80年前の旧式の設備をイメージして再現された。


時代遅れの古ぼけた“におい”がする一方で、手動の操作で大掛かりなマシンを動かすメカニカルな作りはSFの宇宙船内部のようでもある。

 「あえて時代考証できないセットにしたんです。アナログでありながら、一方で近未来の世界のように」とSABU監督は説明する。

 船員たちのベッドは土管が積み重ねられた巨大なハチの巣のような不思議なつくりで「現代の“ひきこもり”のカプセルホテルのようにも見えるでしょう」とニヤリと笑った。

 衣装も斬新で、船員たちの黒い作業服は、SFに出てくる宇宙人のマントのよう。海外の映画祭でも評価の高いSABU監督は時代や国境を超えた普遍性を多喜二の世界観の中に融合させようとしている。

 美術セット、衣装すべてが奇抜。「これまで見たことのないカットの連続が撮れていますよ」とSABU監督は手応えを実感しているようだ。

 今年夏に公開予定。

4/5「蟹工船」上映―エトロフ丸事件再調査すすむ?

2009-03-31 00:26:59 | 小林多喜二「蟹工船」を読む
’09記者リポート:「蟹工船」富山でも 再ブーム、来月5日上映 /富山
 ◇「エトロフ丸」で多数の死傷者--高岡の藤本さん調査


 格差の拡大や経済、雇用情勢の悪化から、小林多喜二の小説「蟹工船」の再ブームが起きている。このプロレタリア文学代表作を原作とする山村聡監督・脚本の映画「蟹工船」(1953年制作)が4月5日、富山県高岡市中川園町の県高岡文化ホールで自主上映される。蟹工船を巡っては、富山県でも30年の「エトロフ丸」事件で15人以上の死者が出ている。同事件や映画上映の背景などを取材した。【青山郁子】



 ■事件を追って

 地元でもほとんど知る人がいない「エトロフ丸事件」。全ぼうを知ろうと、約15年間、こつこつと資料を集める人がいる。元電電公社(現・NTT)職員の藤本一夫さん(80)=高岡市伏木東一宮=だ。

 きっかけは、郷土史家がまとめた地元・高岡市伏木の歴史記録で見つけた1本の記事。エトロフ丸が、「家族が不安を抱えて見守る中、伏木港沖合を広島のドックに出発した」と報じていた。

 藤本さん自身はもちろん、地元紙記者をしていた父や祖父からもそのような話を聞いたことがなかった。興味を持った藤本さんは、図書館や公文書館に通い、当時の新聞記事などの収集を始めた。

 ■事件の概要

 富山日報(現・北日本新聞)の記事によると、事件が起きたのは小説「蟹工船」発表の翌年、1930年。富山工船(当時)所有の蟹工船「エトロフ丸」は、県当局の指導に従い、主に県内で漁、雑夫約300人を集め、練習生15人とともに同年4月27日、北海道・函館港を出港した。

 飲料水タンクや野菜貯蔵庫、居住施設の不備から、船内ではかっけなどの病人が続出。乗組員は、不十分な飲食料と、わずか3~4時間の睡眠時間で課せられる重労働の改善を求め、同年6月にストライキを決行した。

 しかし、会社側は要求は拒絶。さらに、幹部乗務員による暴力行為もあり、9月末の富山帰港までに17人の死者、100人以上の傷病者を出したという。

 「函館市史」「富山県北洋漁業のあゆみ」(89年、富山県北洋漁業史編纂委員会発行)には、死傷者数や暴力行為の有無についての記述にばらつきはあるが、船内で15人前後の死者が出た、との点は共通している。警察の捜査では暴行の事実を確認できず、会社や幹部乗務員らへの処分などは行われなかった。

 ■時代背景

 藤本さんは、当時の時代背景に注目した。世界恐慌により、県内には失業者があふれていた。当時の新聞は、工場の閉鎖▽1000人を超える規模の解雇▽大規模なストライキの続発▽資金難による公立学校の閉鎖--などの記事であふれていた。「社会的背景が現在とそっくりだ」

 このため、当時の県当局は、失業対策の一環として、蟹工船の乗組員として富山県民を採用するよう企業を指導した、と藤本さんはみている。同時に、県当局がかかわっているにもかかわらず、公文書館などには事件の記録が一切ないことにも驚かされたという。

 ■現代的意味

 今、派遣切りなどが続発し、正社員の雇用も危うい。藤本さんは「労働者の無権利状態が続いている。戦後、積み上げてきた労働運動が崩れ去ろうとしている」と、現状に警鐘を鳴らす。

 また、上映実行委員会の税理士、瀬野誠さん=高岡市横田町=は「今こそ、この映画を通じて富山で蟹工船事件が起きたことを多くの人に知ってもらい、人間としての誇りや、生きる力を奮い立たせてほしい」と話す。

 上映は午後1時、同3時20分の2回。午前11時から雇用、生活相談会がある。一般700円、学生500円。売り上げの一部は「派遣村」に関係するNPOなどに寄付。詳細は瀬野さん方(0766・24・6171)。

王成 中国・ 首都師範大学教授の「蟹工船」論

2009-03-23 22:19:17 | 小林多喜二「蟹工船」を読む

王成(中国・首都師範大学)教授は、4月刊行の『世界文学』第3期に、「経済危機と「蟹工船」ブーム」と題した原稿を寄稿した。

以下は、王成教授のプログ http://blog.sina.com.cn/wangcheng3103

からの転載です。

 

经济危机与“《蟹工船》现象”(1)

 (2009-03-07 08:30:38)

2008年岁末,美国的金融危机像海啸一样席卷全球。

这场由于华尔街金融市场混乱引起的危机让世界经济遭遇严冬。熟悉历史的人很快就联想到1929年的那场经济危机给世界带来的灾难,再一次反思资本主义、自由主义市场经济给人类带来的福与祸。在这样的背景下,日本社会出现的“《蟹工船》现象”也更加值得关注。 回顾2008年的日本文学界,最引人注目的话题就是“《蟹工船》现象”。

小林多喜二的小说《蟹工船》持续热销,报纸、杂志、广播、电视、因特网等几乎所有的大众媒体都参与了“《蟹工船》现象”的报道和讨论。《蟹工船》成为社会广泛关注的文学作品,“《蟹工船》现象”也成为经济危机中具有象征意义的事件。

每年年末,日本都要举行年度“流行语大奖”评选活动,选出一年中最流行的十个词和这些词的发明者。有趣的是入选2008年流行语前十名的“《蟹工船》”的获奖者不是小说的原作者小林多喜二,而是位于东京上野的一家书店(BOOK EXPRESS)的年轻女店员长谷川仁美。获奖的理由是她敏感地意识到《蟹工船》所描写的劳动者群像与当今挣扎在社会底层的“贫困劳动者”(“working poor”)非常相似,她的行动成为《蟹工船》畅销的契机。

也就是说,《蟹工船》这部小说的畅销所引发的社会现象成为获奖的理由。 首先,让我们回顾一下“《蟹工船》现象”的发端。 2008年1月9日,新年伊始,《每日新闻》刊登了著名作家高桥源一郎和偶像作家雨宫处凛的新年对谈“差距社会:追寻08年的希望”,展望日本社会以及文学界的走向。对谈中,雨宫提到:“昨天偶然读到了《蟹工船》,我觉得与现在的自由打工者的状况非常相似”,“现在年轻人的劳动条件非常差,让人感到《蟹工船》是真实的”。

同样是自由打工者的长谷川仁美从《每日新闻》上看到这篇文章时,对雨宫的一番话产生了共鸣。她深受到启发,很快就做出《蟹工船》的销售计划,并在书店里竖起“‘working poor(贫困劳动者)’必读!”的广告牌,从这里开始,《蟹工船》很快就风靡全日本。 小说《蟹工船》的畅销是“《蟹工船》现象”的一个亮点。

仅新潮社的“新潮文库”一种,一年内销售六十万册。 其他出版社的文库本《蟹工船》同样受到读者的青睐。据纪伊国屋书店的年度图书销售排行榜(2007年11月—2008年10月)调查,《蟹工船》排在文库本类图书的第八位。而网络图书馆“青空文库”的《蟹工船》点击量超过四十万次。除去文学文本以外,日本这个漫画大国的读者自然也喜欢漫画版的《蟹工船》。

2006年,由白桦文学馆多喜二文库策划编辑、藤生刚作画的《漫画蟹工船》由东银座出版社出版后,到2008年5月重印了四次,2008年9月,讲谈社的“+α文库”又出版了同一个版本的漫画。其他出版社也纷纷跟进,现在已经出版的漫画版《蟹工船》还有东方出版社、新潮社和宝岛社的《蟹工船》。出版社之间的竞争使《蟹工船》以及相关图书成为2008年日本出版界炙手可热的图书。

《蟹工船》是无产阶级文学作家小林多喜二于1929 年发表的作品。中国读书界对《蟹工船》并不陌生。《蟹工船》在日本出版后不久,由潘念之翻译的文本就在中国出版。五十年代以后,很长一段时间,《蟹工船》成为中国的外国文学教科书中的经典作品。小说描写了一群失业工人、破产农民、贫苦学生,受到劳工经纪人的哄骗,成为蟹工船“博光丸”号上的临时工,从事捕捞螃蟹和加工罐头的工作。

“蟹工船”是一个集捕捞加工为一体的海上移动渔业加工厂。工人们随船漂流在堪察加半岛附近的海上,在的环境中,从事繁重的捕捞和加工螃蟹的劳动。

资本家派来的监工对工人残酷压迫,最终,工人们忍无可忍,组织起来举行罢工,反抗资本家的压迫和剥削。罢工受到了日本帝国海军的镇压,但是,工人们意识到只有团结起来与资本家斗争,才能获得自由和解放。

在日本文学史上,《蟹工船》被公认为日本无产阶级文学的代表作品,也是倾向左翼思想的读者喜爱的经典。但是,随着日本经济的高速成长,尤其是1989年的东欧剧变,社会主义阵营的崩溃,日本的工会组织也基本瓦解,日本社会思想整体转向右倾,以小林多喜二为代表的无产阶级文学不再受到重视。

尽管《蟹工船》作为无产阶级文学经典出现在文学史上,但是,生活在“单向度”社会中的年轻一代真正阅读过这部作品的人可谓凤毛麟角。

因此,2008年《蟹工船》流行令人感到惊讶。被称为“失去的一代”的青年读者以全新的视角来关注《蟹工船》也是“《蟹工船》现象”的一个特点。 “《蟹工船》现象”可以说是一个媒体事件。2008年的“《蟹工船》现象”成为大众媒体讨论的话题。

大众媒体热衷报道的不是《蟹工船》的文学性而是《蟹工船》的象征性。有人形容大众媒体对于“《蟹工船》现象”的关注程度不亚于当年小林多喜二遇难时的报道。2008年5月,日本有影响的《读卖新闻》、《朝日新闻》、《每日新闻》、《产经新闻》、《日本经济新闻》几乎同一时间接连报道了“《蟹工船》现象”,地方报纸也加入了相关话题的报道。

一个偏僻地区的书店热销《蟹工船》的报道也赫然出现在报纸上。虽然各家报纸的报道基调不同,但是,几乎所有报纸都在提问八十年前出版的《蟹工船》为什么在今天又一次受到年轻读者的关注? 

多数媒体认为青年人面对就业环境的恶化、贫富差别的扩大、生活贫困的现实,能够从小说中找到共鸣。例如《朝日新闻》(5月13日)的报道标题为“现在,《蟹工船》受到青年人的欢迎,不向贫困屈服的坚强是小说的魅力吗?”其中引用了一个26岁的青年读者的感想,他说:“我很慕小说中的工人们团结一致面对敌人的做法”。

纵览日本报纸媒体的报道,可以看出,追求时效的报纸媒体基本把焦点对准了现代社会与《蟹工船》所描写的二十世纪二、三十年代的相似性上。

但是,并没有明确指出:青年的贫困问题是资本主义固有的问题,青年人应该沿着小林多喜二探索的道路,寻找改造社会、摆脱贫困的方向。

随着报道的深入,面向大众读者的杂志也纷纷围绕《蟹工船》推出专辑,例如,2008年7月发行的杂志中,可以看到《周刊宝石》专辑的题目是“有用的经济学——印猛超过30万册,《蟹工船》为什么受到读者欢迎?”;《女性seven》的题目是“顺应潮流的《蟹工船》——3分钟即懂!”;而《周刊朝日》的专题是“后《蟹工船》是一部《女工悲惨史》!”从这些专题可以看出《蟹工船》的大众化阅读倾向。 更具影响力的是电视媒体的报道,包括NHK(日本广播协会)等日本各大电视网都报道了《蟹工船》的畅销以及所引发的对社会现实的讨论,富士电视台甚至在娱乐节目当中讨论 “《蟹工船》现象”。

NHK不仅在国内新闻中进行报道,还在国际频道中用英语播送了专题节目,向世界介绍了“《蟹工船》现象”,节目的关注点基本也是追踪小说流行背后的社会原因。

日本社会贫困阶层的年轻化,临时工的残酷现状,以及如何找到打破这种现状的途径。针对这些社会问题,通过采访对象的语言指出:《蟹工船》中所描写的工人们团结起来与资本家斗争的情节让年轻人找到了方向。