快気分析

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仕組みとアプローチ -  海水温度の大気に対する相対的上昇とパンデミック スペイン風邪と新型コロナウィルス感染拡大を考える

2020-05-08 08:33:27 | 新型コロナウィルスやパンデミック
 最近の記事で、地球温暖化、海水温度上昇で暖冬や湿気の上昇で通常のインフルエンザ感染や症状悪化が少なくなり、それで代わって新型コロナウィルスが感染拡大した可能性について書きましたが、それでは過去のパンデミックで有名なスペイン風邪(1918年~1920年)とその前にどのような状況だったかについて調べてみmした。

引用開始 6件(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/地震の年表

1910年代
1910年4月12日 台湾基隆沖で地震 - M8.3。
1915年5月1日 千島列島沖地震 - M8.0。
1916年11月15日 台湾、台中・南投地震 - M6.8、死者16人。
1917年
1月5日 台湾、台中・南投地震の余震 - M6.2、死者54人。
7月30日 雲南省で地震 - M7.4、死者1,800人。
1918年
9月7日 千島列島沖地震 - M8.2、死者24名。
11月8日 千島列島沖地震 - M7.9。


https://ja.wikipedia.org/wiki/地震の年表#20世紀_2

1917年
1月21日 インドネシア、バリ島で地震 - 死者1万5,001人。
5月1日 ニュージーランドで地震 - M8.0。
6月26日 サモアで地震 - Mw8.2(Ms8.5)、大津波発生。


https://ja.wikipedia.org/wiki/地震の年表#20世紀_4

1910年代
1915年1月13日 イタリア中部アヴェッツァーノで地震 - M6.9、死者3万3,000人。


https://ja.wikipedia.org/wiki/地震の年表_(日本)#20世紀前半

1910年代
1911年(明治44年)6月15日 喜界島地震 - M8.0 (Mb8.1)、死者12人。
1913年(大正2年)2月20日 日高沖で地震 - M6.9 (Ms7.0)
1914年(大正3年)
1月12日 桜島地震 - M7.1、死者29人。
3月15日 仙北地震 - M7.1、死者94人。秋田県強首村(現大仙市)で最大震度7相当と推定[126]。
1915年(大正4年)
1月6日 石垣島北西沖で地震 - M7.4。
3月18日 北海道十勝沖で地震 - M7.0、死者2人。
11月1日 宮城県沖で地震 - M7.5、岩手県や宮城県の沿岸に小津波。
1916年(大正5年)11月26日 明石付近で地震 - M6.1、死者1人。
1917年(大正6年)5月18日 静岡付近で地震 - M6.0、死者2人。
1918年(大正7年)9月8日 択捉島沖地震 - M8 (Ms8.2, Mw8.3[118], Mt8.5)、死者24人。


https://ja.wikipedia.org/wiki/火山噴火の歴史#1901年_-_1950年まで

7.
1911年 浅間山
明治44年5月8日、噴石により死者1名、負傷者2名。同年8月15日にも噴石があり、死者2名・重軽傷者数十名[資料 5]。
8.
タール山 火砕流および津波により死者1,335名[30]。
9.
同年 浅間山 明治45年5月29日、噴石により登山者1名死亡、負傷者1名[資料 5]。
10.
1914年 桜島 大正3年1月12日、大正大噴火[資料 5]。噴出量2km3[31]。溶岩流は海まで達し、地震・噴火被害は死者58名、負傷者112名、全焼家屋約2,140戸、全半壊315棟。
噴出した火山灰・軽石・溶岩の総量は2立方キロメートルと見積もられており、雲仙普賢岳噴火(1991年)の約10倍、富士山の貞観噴火(864年)と宝永噴火(1707年)を合わせた量に匹敵。
噴火の音響と火山灰は四国の愛媛県長浜町(現大洲市)まで到達した[49]。VEIは4[27]。
鹿児島測候所(現鹿児島地方気象台)の誤った噴火予測を信じた知識階級が逃げ遅れたことが科学不信の碑の碑文に記されている[資料 5][25][資料 4][42]。
詳細は「桜島爆発記念碑」を参照
11.
1915年 焼岳 大正4年6月6日、7月6、16日に水蒸気爆発[資料 12]。VEI2[資料 12]。大正池が生成される[資料 12]。
12.
1919年 ケルート山 土石流・洪水により死者5,110名[30][23]。『ラハール(インドネシア語)』の語源となった事例[50]。


https://ja.wikipedia.org/wiki/台風

1910年代
東京湾台風(1917年10月1日):フィリピン東方から北東に進んで10月1日未明に東京北方を通過した台風で、東京湾に高潮発生、死傷者およそ3,000人[35]、全半壊流失家屋6万戸。東京で記録した952.4ヘクトパスカルの最低気圧記録は2019年10月現在も破られていない。

引用終了

 プレート境界型の大きな地震はやはり発生していて、そして国内も国外も火山噴火で目立つものが有りました。
 これはつまりプレート境界部の固着が外れ、それまでよりプレートがスムーズの沈み込んだり相互運動する事により発熱が増し、それで海水温度が上昇。
 気温に関しては現在よりはかなり低い事と、噴火による火山灰でどの程度気温上昇が抑えられたかはわかりません。
 しかし少なくとも言える事は、「気温に対して相対的には海水温度がそれまでより上昇し、それが上昇気流の強大化につながり、台風も猛烈なものが発生。なので1917年の台風のように、東京で記録した952.4ヘクトパスカルの最低気圧記録は2019年10月現在も破られていない、と言う状況になった」と言う事ではないでしょうか。
 そしてこれらが何を意味するのか? と言えば、それは「大気の相対湿度が上昇し、特に冬季の相対湿度が高いだけ、通常のインフルエンザ感染や発症が例年よりも少なくなり、それにとって代わるようにスペイン風邪のウィルスが蔓延した」と言うメカニズムが考えられるのです。
 やはり人間が有るウィルスで発症していると他のウィルス感染による発症は抑えられる事が多い、と言う傾向(法則?)は有るように見えます。
 それからもう一つ、当時の状況が最近と似ている点が有ります。
 それはグローバル化と密集化。
 当時は1914年~1918年に第一次大戦が有り、国際間の人の往来が以前より増えていた事が有ったようです。
 特に軍隊等の集団行動は感染拡大の要因になったのは間違い無いでしょう。