隣の小径を2~3カ月に1回は草刈りしないと見通しが利かなくなる。ときには、「車が傷つくから草刈りして」とお叱りを受けたこともあった。だけど、いつもこの道の草刈りをしているのはオイラ一人なのだ、と憤りを抑えてまた草刈りをする。
今回はなかなか手が回らなくて土砂も多かった。雑草と土砂を掻い出してイノシシが荒らした穴にそれらを埋めていく。肥料にはなりそうだが雑草の種もそうとう混じってはいるが。はみ出した枝や背の高く太い雑草はスチールの草刈機で、背の低い雑草は泥もろともナイロンコードの草刈機で2~3回に分けて刈り込んでいく。
けっきょく、断続的だが4日くらいかかってしまった。そんなとき、相田みつをの「道」の言葉に惹かれる。
「長い人生にはなあ / どんなに避けようとしても
どうしても通らなければ / ならぬ道-
てものがあるんだな / そんなときはその道を
黙って歩くことだな / 愚痴や弱音を吐かないでな
黙って歩くんだよ / ただ黙って-
涙なんか見せちゃダメだぜ!! / そしてなあ その時なんだよ
人間としての / いのちの根が
ふかくなるのは・・・・・」
わが家を通り過ぎると、ホレこの通り、ここから先は空き家・耕作放棄地なので先に進むのには勇気がいる。ここにはなかなか手が出ないのが現実だ。秋だからススキが見事だが、それを鑑賞するほど心の余裕がないのが過疎地の現実だ。ススキを入手したい人はたっぷり収穫できるんだがね。わが家の畑にはこのススキを有機肥料としているが、イノシシがそれを掘り起こしてしまう。つまり、そこではミミズが増えていくのが彼はわかるんだ。
GO TOなんとかで、豪華な温泉旅館に泊まるのもいいけども、荒地のススキを刈りながらそれをアートにしていく心を高めるほうがもっといいと思わないものだろうか。観光地が観光の全てではないってことをそろそろ覚醒しなければ、コロナ問題を卒業できないぜ。そんなことをブツブツ漏らしながら、黙って静寂な小径を掃いていくのだった。