山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

「諸君 ! 脱帽したまえ ! 天才だ !」 

2022-12-09 17:17:05 | 読書

 青春時代はフォークとロックが伴走してくれた。クラシック音楽は退屈なメロディだった。今もそうだ。しかし、部分的に好きなフレーズはなくはない。たまたま清塚信也氏の軽快な語りとピアノ演奏を聴いて、ショパンのテクニックと生き方のすごさを感服する。いつものようにさっそく、CDと書籍を入手する。

 まずは、入門書らしき遠山一行の『ショパン』(新潮文庫、1988.7)を読む。

            

 当時の写真がふんだんに盛り込められた200ページほどのコンパクトな本だった。同時代の燦然たるロマン派音楽の巨匠のなかでも、ひときわ異彩を放っていたのがショパンだった。

 1830年、ショパンはワルシャワでデビューリサイタルに大成功していたにもかかわらず、同年急いで出国してしまう。ポーランド独立運動に加わった戦士と交際していたことで、ショパンはブラックリストに載っていたのではないか、かれらがショパンの出国を支えたのではないか、と著者の遠山氏は推理する。暴動勃発は出国直後だった。

                

 18世紀にはじまるポーランド分割は三度にわたって侵攻され、世紀末にはポーランドは世界地図から完全に消滅する。このときも、ロシアは独立運動を徹底的に弾圧・殺戮しているのは現在と変わらない。独立が復活したのは第1次世界大戦後の1918年、123年後だった。ショパンはそんな背景を背負って祖国には二度と戻ることはなかった。彼の胸中によどむ苦悩はそんな葛藤を持ちながらの作曲でもあった。それが彼の答え・光だった。

          

            リスト           ベルリオーズ              

               

               シューマン               メンデルスゾーン  

 安定した暮らしになるまでの苦労、恋の破綻、病苦などにさいなまれる苦境にありながら、ショパンは演奏会に作曲に没頭していく。それは、同時代で活躍する巨匠、リスト・ベルリオーズ・メンデルスゾーン・シューマンなどとの共演や友好も力になった。

 リストは力強い演奏でアイドル的人気を占めた。ベルリオーズはベート-ベンの交響楽的崇高さを受け継ぐ。メンデルスゾーンはドイツの音楽家の流れ(バッハ・ベート-ベン・ウエーバー・シューベルト)を発展させる。シューマンは作曲家・指揮者のみならず音楽批評家の役割を確立する。ショパンを「諸君!脱帽したまえ!天才だ!」と紹介する。

       

  著者は、ショパンの音楽をその肉体・魂・感性を切り刻みながら絞りだした孤高の音楽家だと絶賛する。三善晃・若桑みどり・中村紘子さんら各界からのエッセイも味がある。ページ数こそ少ないが 欲張りな編集だった。ちなみに新品のような古本の購入額はなんと1円だった。 (音楽家の画像は「クラッシック作曲家 .com」webから) 

 

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