山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

円朝の人情噺を圓楽が…

2024-01-19 22:38:42 | アート・文化

 五代目圓楽の真骨頂ともいうべき「江戸桜心灯火/助六伝」に感銘して、引き続き、今度は落語界や歌舞伎でも多くの芸人が演じている「文七元結(モットイ)」をCDで聴く。三遊亭圓朝が、幕末から明治にかけて薩長の侍が跋扈している姿に抗して江戸っ子気質を見せるために創作したと言われる人情噺の名作。それを生家の寺院の石碑や過去帳を踏まえて圓楽が新たに発展させていく。

 賭博のため困窮していた左官・長兵衛が、大金を失くした責任をとって身投げしようとしていた文七を助ける。そのうえ、身売りして親の借金を工面しようとした長兵衛の娘の資金によって文七の過失を解決していく。

     

 文七が身投げしようとしたのは隅田川の「吾妻橋」。投身の場所としてしばしば落語でも登場する「名所」らしい。文七は店の主人から預かっていた50両を失くしたが、長兵衛は命には代えられないとせっかく入手した50両を文七に与えてしまう。

  「五代目圓生」は「この噺を演ると目が疲れていけない。ぐったりする。」と言っていたという。身投げする文七を助けようとするときの長兵衛の断腸の葛藤を表現する際、すべてを目に凝縮したからなんだと、弟子だった圓楽はその名演技を述懐する。

      

 ゼニのために生きてきた文七の主人・べっ甲問屋の宇兵衛がその長兵衛のきっぷのよさにハッとしたところに圓楽の着眼がある。その宇兵衛が文七と長兵衛の娘・お久とを夫婦にしていくというハッピーエンドで締めくくる。

 歌舞伎では五代目尾上菊五郎が長兵衛を明治35年(1902年)初演して以来、戦後の17代目中村勘三郎(1909-1988)の十八番ともなっていくなど名演者の話題には事欠かない。(画像は,山田洋次演出脚本、中村獅童・寺島忍ら主演のシネマ歌舞伎。AmebaNewsから)

    

 噺の途中でその婚礼にかかわる言葉でわからなかったのは、「切手」だった。要するに、それはお酒の商品券というのが分かった。また、「角樽(ツノダル)」もなかなか目にしない祝宴用の酒樽だ。さらには、「猫の小腸(シャクシロ)みたいな帯」という表現も、よれよれのくたびれた帯という意味であることも調べてやっとわかった。古典落語ではそうした現代ではなかなか耳にしない言葉がひょいと出てくるのが曲者だ。(画像は、落語散歩web及び酒問屋升本総本店blogから)

  

「元結」とは、髪を束ねる際に使うこよりの紐。文七夫婦はその後小間物屋を店で開いてめでたく活躍したという。(画像はTenki.jpから)

 落語家でこの「文七元結」を演じているのは、志ん生・志ん朝・林家正蔵・桂三木助・立川談志・柳家小三治・金原亭馬生ら錚々たる師匠が連なる。圓楽は、「闇の夜も吉原ばかり月夜かな」という芭蕉の一番弟子・宝井其角の俳句を引用して博学さをみせるものの、ところどろに下ネタもいれて「涙でしめっぽく終わらないよう」心がけたという。

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