鷹泊橋から下流方向を見る。川の流れが左に曲がった先には第三水泳場があった。第三水泳場の向こう岸には樹木に囲まれた金比羅神社。そのあたりの雨竜川は流れが緩やかになり、水深も深そうで、魚が沢山いそうに見えたが、ほとんど釣れなかった。雨竜川での釣りは、狙い目はウグイであったが、釣れるのはカジカが多く、釣り針を外すのに苦労した。鷹泊橋から雨竜川を眺めて昔を懐古してみた。
写真は鷹泊橋から雨竜川下流を眺めて。 写真は鷹泊橋
鷹泊橋から下流方向を見る。川の流れが左に曲がった先には第三水泳場があった。第三水泳場の向こう岸には樹木に囲まれた金比羅神社。そのあたりの雨竜川は流れが緩やかになり、水深も深そうで、魚が沢山いそうに見えたが、ほとんど釣れなかった。雨竜川での釣りは、狙い目はウグイであったが、釣れるのはカジカが多く、釣り針を外すのに苦労した。鷹泊橋から雨竜川を眺めて昔を懐古してみた。
写真は鷹泊橋から雨竜川下流を眺めて。 写真は鷹泊橋
今、雨竜川に架かってる鷹泊橋は橋桁が低く、あっさりしすぎて、昔の木造の橋だった鷹沼橋とは橋の趣が違う。
この橋から悠々と静かに流れる雨竜川を眺めてみると、その昔が思い出される。その頃どこから雨竜川を見たことが多いか、考えてみた。
この鷹泊橋の前身の鷹沼橋からは何回も雨竜川を見た。でも夏休みに、川遊びで訪れた水泳場(第一水泳場から第四まで学校で遊泳可能場所として指定されていた。)がおそらく一番多い。
写真は鷹泊橋から雨竜川上流を望んで。
この写真で第二水泳場は右のこんもりした樹木の奥にあった。学校からは、腰より深い所には行かないようにとの指示があったが、対岸まで無理して泳いだことがあった。背の立たないところはわずかで、泳いだのはわずか数メートルだったとは思うが、今思うと事故に繋がる危険な行為だったと当時を思い出す。
本日、第49回鷹泊ふる里会が札幌市全日空ホテルで開催されました。例年より少ない参加人数でしたが、いつもながら会は盛り上がっていました。挨拶で、馬場泰年会長は、参加者の高齢化の問題もあるので、来年度が50回の節目にあたり、最後の鷹泊ふる里会になるかもしれないので沢山の方に参加してほしい旨お話されていました。
このブログを見てくださる方は、来年のこの時期に開催されるはず(日程は未定)なので参加検討をお願いします。
この49回の会の席上で、鷹泊から参加していただいた方のお話で、鷹泊の隣の幌成の川向かいにある不知火での朝の新聞配達の途中、大きなクマに遭遇し、石をぶつけても逃げて行こうとしなかった事。またエゾシカにも沢山遭遇する旨お話があった。やはり鷹泊にはクマが増えているのだとあらためて感じた。
写真はヌップ永井山付近のソバ畑
ヌップ墓地に寄ってみたら、親戚3軒の墓があるのを発見した。お盆間際でもあり、昔の故人を思い浮かべながら手を合わせた。そのほか、周囲のお墓の墓標に刻まれた人の名前を見ると、思い出す方も少なからずいた。名字を見ると、その方の家が鷹泊のどのあたりにあったのか、思い出せることが多い。
このヌップ墓地は、昔はもう少し広かったと思う。過疎化に伴い、お墓の引っ越し(改葬)をされた方が多いのでないかと思われた。その当時には墓地に生えていた木々も見あたらず、風通しの良いこぢんまりした墓地に変わっていたというのが印象だった。
写真はヌップ墓地