鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

危険と隣り合わせだった時代を振り返って

2016年12月27日 | Weblog

レールがはずされ道路のようになっている線路跡を歩いて昔を思い出してみた。

線路に入ることなどありえない今とは違っていた。駅から学校へ行くにも、鉄道線路の路肩部分を通ると近道になっていたが、そこを歩かないようにとの指導があってやっと歩かなくなった。

 

鷹泊には鉄道の踏切が二カ所あった。苗圃への道と三号沢水源へつながる道である。

写真上は、鉄道跡と交差している苗圃への道。写真下は三号沢水源へつながる道。

三号沢水源方向への踏切は、遠回りするようにU字型の道がついていた。つい近道を通りたいとの誘惑に駆られ、冬にはスキーをはいて近道横断をしていた。

写真は、踏切がよくわかる航空写真(深川開基100年記念誌の写真から編集)。右下に見えるのが、三号沢水源方向への道。

秋にはヤマブドウを採りに周辺の山、特に二号沢付近にはよくいった。線路の路肩を歩きながら赤く色づいたブドウの葉を目印に探した。線路からは、ブドウのあり場所がよく発見できた。二号沢の鉄橋は怖くて渡れなかった。50メートル位の長さの鉄橋を渡っている時、汽車が来たらと思うとぞっとする。今振り返ると、雨竜川での水泳も危険であり、事故に遭遇しなかったのはラッキーであった。

そういう危険と隣り合わせではあったが、開放的に過ごせた鷹泊での昭和30年代はすばらしい時代だったと思っている。


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