鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

踏切跡を通って、山へ向かう道

2020年09月20日 | Weblog

魚を釣った沼が埋め立てられて田んぼになったが、今は畑地に変わってしまった。

このあたりの水田で農繁休暇に、田植えのアルバイトをしたことがある。

当時の6時間位の労働で300円〜700円の賃金だった。物価の違いを考慮すると、今の時代だと1800円〜4200円くらいかと思うが、小中学生には嬉しい収入だった。

この市道をまっすぐ行って、左に曲がると苗圃があった。森を育てるための木の苗を育てる場所である。苗圃はなくなり、その場所には樹々が森のように生い茂っている。

苗圃方向へは行けなくなっていたが、正面の坂道をまっすぐ登っていくと意外に広い畑地があった。昔は坂の上の方の畑地を造成中で、一時的にできていた溜池で泳いだことがある。

 冬にはスキー遊びをしたおにぎり山はこのあたりのはずだが、雪が積もった状態でなければ、山がこんもりと盛り上がっている状態がわからないこともあり場所がはっきりしなかった。(そもそもおにぎり山とかイノシシ山とか、当時の子供達の間では使われていた山の名称が、一般的に使われていたのか、よくわからない。)

踏切跡から山の方向を写した写真。中央右のほんのわずかに盛り上がった所がおにぎり山と思われる。

写真はGoogle Map。右上に向かう道の奥に結構な畑地が広がっているのが確認できる。

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