鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

はるか昔の深名線列車の思い出2

2018年09月24日 | Weblog

深名線は日本有数の赤字線だったが、代替道路未整備のため廃止が遅れた。しかし、深名線沿いを走る国道275号線が整備されたことで、ついに平成7年9月4日に鉄道深名線は廃止。しかしながら、ほぼ同じ時期に閉校になった鷹泊小学校の跡地利用でできたリフレッシュプラザ鷹泊内に旧深名線資料室が設置され、ありし日の深名線を思い出させてくれている。

鉄道本によると、蒸気機関車に替わってレールバスも何種類か導入されたが、その中でも耐寒耐雪機能がすぐれたキハ03形が使われるようになり、そのうち小型のレールバスでは間に合わなくなったのか、ディーゼルカーに置き換わり、本格的耐寒機能を持ったキハ22形ディーゼルカーが昭和41年から昭和61年まで使用され、以後廃線まではキハ53形気動車が使用されたとのことである。耐寒仕様車とはデッキを設置した車両で、デッキは客室への寒気流入を防ぐ構造である。

SLとして今持てはやされている蒸気機関車(9600形式SL)に関しては、走っている姿は迫力満点で、豪雪地での多少の降雪をものともしない力強さは頼もしかった。

蒸気機関車の思い出は、なんといっても列車がトンネルに入った時の煙である。夏場に深川近くの円山トンネルに列車が入ると、開けていた窓から(当然エアコンはない。)黒い煙が車内に入り込んでくるので乗客が一斉に窓を閉めていた。もちろん、煙による汚れを気にするほどのいい服を着ていたわけではなかった。

また冬期には客車の真ん中にダルマストーブが設置され、車掌が時々石炭をくべに来てデレッキでストーブの中を突っついたりしていたのは、今振り返るとなつかしい風物詩である。

写真は「深名線を走った列車」のパネル写真その2 2007年撮影

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