鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

ペンケへ向かう途中の二号沢

2008年02月22日 | Weblog
鷹泊神社を見たらペンケ神社も見たくなり、ペンケに向かった。鷹泊小学校での5月の遠足は、この頃に満開になる桜を観にペンケ神社へいくことも多かった。境内に咲き誇っていた桜の下でお弁当を食べたことががなつかしい。また鷹泊神社と同じく、賞金目当てで祭りの相撲大会参加のために、毎年のように自転車をこいで出かけたところでもある。
ペンケへ続く国道の途中に、小さな上り坂があって、そこを過ぎると二号沢の橋‥…のはずであった。しかし国道は見違えるように整備されていて、昔の小さな坂はなく、真っ平ら状態で、ほどなく二号沢の橋に到着した。橋を少し幌加内寄りに行ったあたりに下○さんの家が昔あったが、ここが鷹泊の集落の北端だったと思う。学校のマラソン大会でこのあたりまで走って折り返したことがあった。橋の名前は知呂布橋と書いてあった。
写真は二号沢にかかる知呂布橋
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