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千葉県船橋市・奥田笙子(理容師・62歳)
 2月24日に佐渡島(新潟県佐渡市)は強い風と高波に襲われ、兄の船が沈没してしまいました。兄のいる水津漁港は防波堤が決壊し大波が押し寄せ、多くの船が被害を受け、数人が負傷しました。現在72歳になる兄は、中学校卒業と同時に船に乗り、一家を支えてくれた人であり、今は亡き父と五十余年を海で生きてきた人です。

 船が沈没した一報を聞いた時は、涙が止まりませんでした。昨年の夏、船の命であるエンジンが壊れ、兄は船を下りるか、もう一度造り直すかの大きな決断を迫られ、結局、大金をかけて新造船を造り、再び海に出て半年目の災難でした。どれほどつらく悲しいことか、皆がわかることでした。

 でも兄は悲しんでばかりはいませんでした。この災害で「漁師をやめて船を売りたい」と言う人が出てきて、再び兄はその話に飛びつき、今はもう、また元気に漁に出ております。

 海でしか生きられない兄は海が大好きなのです。今、最もこの世の中で尊敬する人、それがこの兄です。

 よかったね、兄さん。また海に出られて。

追申
 きっとこの人は幼いときからお兄さんが大好きだったんだろう。幼いときの兄との思い出がたくさんあるのだろう。それにしても新造船を失っていながら、再び海の仕事に戻れたお兄さんは本当に良かったですね。




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埼玉県東松山市・小池千鶴子(会社員・52歳)
 10年前引っ越してきた時、懸命にペダルをこぎながら、随分坂の多い街だと思いました。2年目の今ごろ、朝玄関を出て顔を上げたら、朝日に照らされたなだらかな里山が、淡い黄、赤、白、もえぎ色とでもいうのか言葉に表せないような色合いにふっくらと染まっています。葉を落とした冬の木が、ぬれるような青葉に変わるまでの一刻一刻を、山の木の一本一本が「私はここよ。よく見て」と自己主張しているように思えました。

 日ごとに色合いは変化し、山桜が薄桃色を添え、里山の春は進みます。この素晴らしい景色が見られるのも坂があるからと思うと、苦しかった坂道のその先に何が見えるか楽しみになりました。

 街には花がたくさんありました。街角に公園に。家々は思い思いの花を丹精込めて育て、道行く人を楽しませてくれます。枝垂(しだ)れるほどに咲くボタン、バラ。一面の芝桜、コスモス。今ごろは桜のトンネル。

 そして早朝、街角のゴミを拾いながらウオーキングしている人、鍵をなくした娘を自転車ごと車で送ってくれた人。楽しいことばかりではなかったけれど、「おはよう」の言葉に元気をもらい、季節をめぐる花たちに心が軽くなり、「大丈夫よ」と言われ力が出ました。人も温かい大好きな街です。

 里山が新緑におおわれ、藤が咲くころ、引っ越します。ありがとう。

毎日新聞 2008年4月11日 東京朝刊

追伸
 私の住んでいる地域も里山が近く、坂道が多い。最近は歩けなくなったので、モッパラ電動車いすで、外出している。色とりどりの山々は、美しく活動的な命に満ち溢れている。私もこの光景に接していると、心が、洗われる。


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 「引っ越して半年になるのに、新宿が恋しい」。そんな一文の便りが胸に染みる。私が四国から上京してきて、住み込みで働いていた下宿屋N館の若奥さんからだった。家族はみな他界して一人で頑張ってきたが、昨年の秋、N館をたたんで都心を離れていた。私にとってもふうっと遠いあの日が懐かしい。

 当時はビートルズやベンチャーズの時代で、街はエレキの音楽であふれていた。N館には40人ほどの男子学生がいた。炊事場の大きな釜、大きな鍋に驚いたものだ。「○○くーん、電話よー」。2階に向かって叫ぶ若奥さんの声。私も、若かった。朝食では各部屋のドアをハタキでたたいて起こし、夜食にラーメンを作り、門限破りの常習犯にも、電柱のそばの窓を開けておき、大奥さんにしかられる。

 そんな私に、帰省すれば古里のお土産を、文化祭や提灯(ちょうちん)行列、喫茶店に誘ってくれるやさしくて人なつっこい学生さんたちばかりだった。何十年もの間学生さんの世話に明け暮れ、今その大役を終えて、また巡ってきた春の日差しの中で若奥さんの胸に去来するものは……。

 便利な家電に囲まれたマンション暮らしよりも、「行ってらっしゃい、お帰りなさい」の声のあるN館での下宿生活は、きっと彼らの楽しい青春の一ページとして心の中に残っていると思う。私も、ほのぼのとちょっぴり切ない若い日。若奥さん、長い間お疲れさまでした。

毎日新聞 2008年3月31日 東京朝刊

 なんかほのぼのとした文章で、この時代に戻りたい気持ちになった。きっと若奥さんが、そのままの姿で現れるだろう。



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小さな幸せ 埼玉県・佐野多喜恵(会社員・31歳)
 先日、生まれて初めて手術を体験した。病名は「けいれん性発声障害」。話す声が震えたり詰まったりする、珍しい声の病気。術後3カ月は声が出せないため、今はもっぱら筆談生活を送っている。「声を出す」「話す」。そんな当たり前のことができなくなった。

 今まで健康だけが取りえで病気とは全く縁のなかった私。一時は「なんで私が……」と落ち込んだが、手術を終えた今、それは私にたくさんのことを気づかせてくれたと思う。

 声を出せないからこそ、今まで以上に「見る」「聞く」に集中するようになった。会話ができないからこそ、いろんなことを「感じる」ようになった。風に乗ってかすかに漂う花の香りに春を感じたり、母校の校庭で昔の私と同じように部活動に励む学生に懐かしさを覚えたり、地平線に沈む真っ赤な太陽に感動したり、青空に浮かぶ花嫁のベールのような雲を見たり……。

 病気になる前は仕事漬けの毎日で、いつも時間に追われる日々。季節の移り変わりに目を向けることなんて全然なかった。小さなことだけど、心がほほ笑むような幸せを感じさせてくれた。

 声が出るようになるまであと3カ月。今だからこそ見えることが、きっとまだまだたくさんあるはず。焦らずゆっくり治していこう。そしていつまでも、そんな小さな幸せを素直に感じられる自分でいたいと思う。

 私は神経難病で、運動器官が正常にはたらかず、声も正常にでない。しかも進行性の難病なので、後数年もすれば声は全く出なくなるだろう。でも私は、今自分に出来る事をやろうと思って頑張っている。このブログも始めてから四年になるだろうか。目が正常に見えるまで、手が正常に動くまで、書き続けたいと思う。

新鮮で安い
一度お試し下さい。

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 栄養ドリンク 神奈川県茅ケ崎市・佐藤雪(無職・38歳)
 私が長男を妊娠中に、父にがんが見つかった。既に手遅れで、余命1年だった。病院は東京、私が住むのは神奈川で、頑張れば何度でも会いに行けたのに、私は数回しか会いにいかなかった。弱った父を見たくないとか、育児が大変とか、言い訳はいろいろあるけれど、一番の理由は意地だった。

 幼いころから貧しくて、両親はけんかばかりしていた。寂しかった子供時代の、恨みを晴らすような気持ちがどこかにあったのだ。長男が4カ月の時に父は亡くなった。意地を張ることに疲れていた私は、正直ほっとした。

 葬儀の時に実家に行くと、部屋の隅でたくさんの栄養ドリンクを見つけた。古ぼけた家に似合わない高価な品だった。私はその時初めて父の苦しみを知った気がした。肉体労働者で体力には自信のあった父が、弱っていく自分を奮い立たせるように、祈るような気持ちで飲んだのだろう。父が好きだった私の手料理を運んであげていれば、栄養ドリンクなんて必要なかったかもしれない。何本も残っているのは、父がもっと生きたかったという証しだ。

 ごめん! ごめんね! 初孫にあたる長男と、入れ替わるように逝った父。お父さん、「かわいい、かわいい」と言って抱いてくれた長男は、もうすぐ6歳になるよ。お父さんと同じで本が大好きな男の子に育っています。

 私は上記の文を読んで、女性の優しさを感じた。私だったらドリンク剤のビンが転がっていても、何も感じなかったのではないかと思う。

新鮮で安い一度お試し下さい。

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