最近、友達のお母さんと一緒に食事をすることが多いのですが、
今日は友達のおばあちゃんの日記を文章で打ち込む仕事をお願いされました。
おばあちゃんの日記を文章ファイルとして残したいという事で別の人に頼んでいたのですが
あまり捗っている様子がなく、小説を読むのが好きだと言った僕に白羽の矢がたったのです。
友達も以前に頼まれた事があるらしく、達筆すぎて読めずに断念したと聞いていて、
実際にものを見せてもらうと、もう少し読みやすいですがこんな感じでした。
確かにすらすらは読めないですが、読める部分や言葉を予想して読んでみるとそれだけでも面白い。
若くに夫を亡くしそれから女手ひとつで子供三人を養ってきたことが綴ってあって、
言葉も乍らや泪など昔の語句が出てきます。
それを読んでいて思うのは、やっぱり日本語は美しいということ。
今は時間や手間の短縮から略称や簡単な言葉が氾濫していますが、
本来日本語とはいろんな語句を使ってつぶさに連想させるその豊満さにあると思う。
今の作家にも面白い人は多々いますが、文を読んでいて一種の落ち着きを覚えるのは昔の作家の作品だけです。
ということで、文章ファイルにおこす作業に俄然ヤル気を出したわけですが、
すでに絵を描くこととファイアーエムブレムとこれでどんどんやることが増えていて細々したやることが後送りになっていることが少し気がかりです。
今日は友達のおばあちゃんの日記を文章で打ち込む仕事をお願いされました。
おばあちゃんの日記を文章ファイルとして残したいという事で別の人に頼んでいたのですが
あまり捗っている様子がなく、小説を読むのが好きだと言った僕に白羽の矢がたったのです。
友達も以前に頼まれた事があるらしく、達筆すぎて読めずに断念したと聞いていて、
実際にものを見せてもらうと、もう少し読みやすいですがこんな感じでした。
確かにすらすらは読めないですが、読める部分や言葉を予想して読んでみるとそれだけでも面白い。
若くに夫を亡くしそれから女手ひとつで子供三人を養ってきたことが綴ってあって、
言葉も乍らや泪など昔の語句が出てきます。
それを読んでいて思うのは、やっぱり日本語は美しいということ。
今は時間や手間の短縮から略称や簡単な言葉が氾濫していますが、
本来日本語とはいろんな語句を使ってつぶさに連想させるその豊満さにあると思う。
今の作家にも面白い人は多々いますが、文を読んでいて一種の落ち着きを覚えるのは昔の作家の作品だけです。
ということで、文章ファイルにおこす作業に俄然ヤル気を出したわけですが、
すでに絵を描くこととファイアーエムブレムとこれでどんどんやることが増えていて細々したやることが後送りになっていることが少し気がかりです。
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