今日は利用者さんの男性陣と多めに話をしました。
男性陣と昔の話をしていると自ずと戦争の話になります。
それで一人は北海道本島に配属されて、敗戦後は襲ってくるソ連軍に取れられないために、
大量の食料を毎日食べて寧ろ太ったという話でした。
しかしその後内地に戻ると食糧難でそのギャップが大変だったらしいです。
空をとぶグラマンを何度も見たという話もしていました。
もう一人は、満州に2月に配属され半年で終戦、その後はウランバートルの収容所に入れられ、
二年間、建築用の石や木材の採掘、伐採をしていたらしいです、
収容所は衰弱したらそれまでというイメージだったのですが、そうではなく
医者も収容されていて設備もあるので、具合が悪いと言ってサボることも出来たみたいです。
ただ、大地は凍っていて掘りづらく、それでも殆どの人が死んでいったという事でした。
一人は技術者として優秀だったので戦地にはいかず、三重の軍事工場で開発をしていたらしいです。
それぞれがそれぞれの戦争を生き抜いて今一緒に暮らしているというのは凄い話だなぁと思います。
男性陣と昔の話をしていると自ずと戦争の話になります。
それで一人は北海道本島に配属されて、敗戦後は襲ってくるソ連軍に取れられないために、
大量の食料を毎日食べて寧ろ太ったという話でした。
しかしその後内地に戻ると食糧難でそのギャップが大変だったらしいです。
空をとぶグラマンを何度も見たという話もしていました。
もう一人は、満州に2月に配属され半年で終戦、その後はウランバートルの収容所に入れられ、
二年間、建築用の石や木材の採掘、伐採をしていたらしいです、
収容所は衰弱したらそれまでというイメージだったのですが、そうではなく
医者も収容されていて設備もあるので、具合が悪いと言ってサボることも出来たみたいです。
ただ、大地は凍っていて掘りづらく、それでも殆どの人が死んでいったという事でした。
一人は技術者として優秀だったので戦地にはいかず、三重の軍事工場で開発をしていたらしいです。
それぞれがそれぞれの戦争を生き抜いて今一緒に暮らしているというのは凄い話だなぁと思います。
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