
今年で3年目、地元に帰って3回連続で選出していただいた中国ロードの島根選手。
今年の調子では選ばれないだろうなと思っていたけど、選ばれたことから急きょ大学生と練習してロードバイクに慣れ、病院に2つ行って体調を改善し、美容院に行って前が見えるようにして準備。
新しいサプリメントの効果は・・・実感できなかったけど。
上記のように病院に行って、2週間続いた喉の炎症もギリギリ治まってきて、レース前日は朝からkatuoさんに自宅まで迎えに来てもらっての楽々会場入り。
いつもの個人参戦のレースなら、エントリー、宿泊手配、経路確認、移動運転、現地受付、補給等の出走準備、片づけ、運転帰宅・・・とあるけど、今日はそのほとんどをチームが代行してくれる。
自分でするのは自宅での機材準備、帰宅後の洗濯程度、だからこそレース中の責任は大きい。
会場に近づくにつれて雨が本降りになり、川も増水している状況、島根県選手は13時集合で試走の予定だったけど、試走は無しで選手顔合わせ、ライセンス提出の受付後は16時30分からの開会式まで管理棟ロビーで缶詰状態。
15時過ぎに雨が弱くなって若者が1人試走しているという情報が入ってきたけど、大学生以上は僕を含めてもう走る雰囲気無し。
16時半になり開会式、『気をつけ・礼』って年に何回もしないから、やってて違和感ありあり。
何回かやっていてやっぱりおかしいと思ったら気をつけで足が揃っていなかった。
開会式を終えて、17時過ぎ、青い空、乾きかけたアスファルトということで試走することになった。
初めてのコース、ところどころ濡れたままのアスファルトで僕は9人の島根県選手の最後尾を恐る恐るついて行く。
序盤は下り、ジェットコースターのように下って曲がって中盤はアップダウン、そして3段坂と呼ばれる厳しい上りの連続で、その後に長い上りを経てホームストレートに戻る上り。
3段坂で試走中にコース脇で停止している高校女子選手がいて、チェーンをリアのロー側に落として困っているようだったので、島根選手団が助けてあげた。
O選手の鮮やかな手つきとYプロの『先生に言って調整してもらうんだよ!』という爽やかな言葉が印象的だった。
ホテルに移動して晩御飯を食べて、大学生の1人が乾杯のビールを我慢して買い出しを担当してくれた。
コンビニの袋いっぱいのおにぎりやジャムパン・・・そこで
『モンスターってこれしかなかったんですけど良かったですか?』
???晩御飯中の僕の適当な発言(朝、モンスター飲まないと走れない・・・)をちゃんと記憶して買ってきてくれた。
これが体育会系というやつだろうか・・・健気な大学生に『水色じゃなくて緑だよ』なんて言えない。
当日は5時半起き、おにぎり・ジャムパンとともにモンスターをありがたく頂く。
今日はちゃんと走らねば・・・。
会場入りしてBIKEや補給の準備して出走サインシートに署名してBIKE重量の計測。
規定の6.8kgを下回る人も数名いるようだけど、僕には無縁の話(ロードバイクもそろそろ軽くする方向に取り組んでみたいとは思うけど)。
コース周辺を走行してアップする。
スタートまであと20分、坂道ダッシュで最後のアップ・・・の途中で道路脇でBIKEを覗き込む姿を発見。
『どうしました~』
って声をかけたら昨日の女子高生だったので、
『昨日、直さなかったの?』
って聞いたら、
『直したんですけどネジが逆だったみたいで・・・昨日の方ですか?』
ネジが逆の意味がよくわからなかったけど時間も無いし、あと5分以内に直せなかったら僕はこの子を見捨ててスタートラインに向かわなきゃいけない。
なんとかして5分でどうにかするぞと決意してチェーンを引っ張ったら、昨日のO選手ほどじゃないけど見事に出てきた。
見捨てて行かなくても良くなったのだけど、レース前で工具を持っていなかったでとりあえず、
『Lのネジをしっかり締めるんだよ、締める方向ってわかる?こっちだよ!』
と言い残して僕はスタートラインへ向かった。
スタートラインでは各県(特に山陽側3県の著名なライダーが前列に並んで行く。
むしろ前列の隙間を埋めてゆく・・・。
僕はほどほどの位置でそれらの選手のスタート前の雑談を聞きながら気持ちをレースへと向けていく。
実力差はわかっているので、作戦など無く、とにかくしっかり前の選手から遅れないことだけ。
スタートの合図で一斉に出ていく、聞いていたいような下りコーナーから上り返しあたりでの落車は無く、ジェットコースターを楽しむようにハイスピードでレースはスタートした。
僕もレースが始まってしまえば、試走のような恐怖感はどこかへ消えて、徐々に実力通りの位置へと順位を落としながらもレースの一員として走行していた。
とはいっても、ここではまだレースは始まっていなかったようで、有名な3段坂に入った途端の上りのペースアップに僕を含む多くのライダーがふるいにかけられてしまった。
レースとしてはこれで終わり。
もうどうなるわけでもないけど、周囲の選手が集まって小集団を作る。
もちろんここからも落ちる選手も出てくるわけで、この時点で島根選手は僕を含めて大学生以下5名(ということは実力者2名と40代2名だけが生き残り)、僕としてはこの5名で協力して1周でも多く走行したいところ。
しかし、間もなく2名は切れてしまい、残った大学生2人と僕、そして他県のライダーで1周終了。
周回ピット前では応援の目もあるので先頭に出て自県選手を引っ張っている“ふり”をする。
そして見えなくなったらすぐ最後尾。
2周目の上りで前に生き残っていた島根の40代2名が相次いで落ちてきた。
1人合流でちょっとした島根軍団ができている。
僕は緩い上りが得意なので、きつい上りでは後退して緩いところで前に出て、平地と下りは積極的に引くようにする。
上りの速い大学生2名には平地で僕の後ろについてもらい、上りでは彼らに精神的に引っ張ってもらう。
そして周回ではまた先頭を。。。
3周目で大学生が1人切れてしまった。
上りが得意な反面、苦手な平地と下りで脚を消耗してしまったと思う。
広島(?)の平地の得意なライダーが下りから平地、そして上り返しで速度を上げたためにクライマーには少しきつかったようだ。
僕はその選手の真後ろを離れないことを意識して消耗を防ぐ作戦。
心拍は200を超えているけど苦しさよりも脚が回る感の方が強い。
4周目、それでも僕の脚は消耗してきて、周囲の選手の大したエアロポジションを取らなくても脚を止めて巡航できるエアロホイールが羨ましくなってきた。
5周目、脚がつり始め、上りで遅れ気味になる。
3段坂でついに6人集団から遅れてしまった・・・が下りと平地を目いっぱい飛ばして形の上では集団に混じって周回通過。
この時点で先頭通過から8分くらい(だったような記憶)、多分次は先頭から10分遅れて関門、これが最終周回と思った。
6周目、下りで息を吹き返して上り返しも先頭交替に加わっていたけど、それはロウソクが燃え尽きる前の最後の輝きだったかのように・・・大学生に一言別れを告げて完全に終わり。
1人、これまで半分くらいの速度に落として路面や景色を眺めながら、動かない脚が完全に痙攣してしまわないように気を付けながら走行する。
止まるような速度で上ってサイクリングペースで平地を終えて下りは姿勢だけ低くして行く。
周回前の坂を上っていると、
『高校生の先頭が来るぞ~』
って言われて、ややこしくなるのを防ぐためにスプリントして終了。
そして3年連続の関門で、まだレースに残っている選手たちの写真撮影、これも3年連続。。。

【高校生1】

【高校生2】

【成年】

【惜しくも…】

【孤軍奮闘】
8周回のレースの6周回で関門、今年も完走できなかったけど、過去の2回よりも、そして先月の県大会よりも良い走りができたとは思う。
レースの直前とはいえ、体を治すことに重点を置いたことも自分の中での好結果につながった。
それでも、僕がいくら自己ベストな走りをしても完走できなければ、チームにとって何の足しにもならないのがこのレース。
来月の国体県予選までスケジュールの空いている休日は2日、そこで何がどうなるわけでもないけど、浅い浅いロードレース経験を少しでも深くするためには走らなければいけない。
競走の少ない島根県、レースを選んでいる場合でもない、『レース』って書いてあれば出るべきで、サイクリングイベントで遊んでも(自分の実力を知り、レース感を養い、必要なポイントで力を出し切るための経験値を稼ぐ意思があるならだけど)意味がない。
僕にとってはロードレースは県大会3戦+この中国ロードのみ、それが終わればターゲットはMTBとシクロクロスに戻る。
1年後のロードレースでどんな走りがしたいか、それを実現するためにどんな練習をするのか、それがMTBとシクロクロスにどう活きてくるのか、それが重要。
やることは上ること、上りで集団から切れないこと、レース終盤でも上りで遅れないこと、要は上る、嫌いでも上る、十数年前の自分に負けないタイムで、島大生に負けないタイムで、過去の記録保持者に近づく気持ちで。。。
そうそう、レース前に2度もチェーン落としてた彼女は、レースでは落ちなかったらしくちゃんと完走して表彰されていて一安心。
本日の走行距離:72km(2時間12分)
12.3km×8周回のレース、6周回で関門。
33位?/出走46人/完走20人

【走行データ】
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今年の調子では選ばれないだろうなと思っていたけど、選ばれたことから急きょ大学生と練習してロードバイクに慣れ、病院に2つ行って体調を改善し、美容院に行って前が見えるようにして準備。
新しいサプリメントの効果は・・・実感できなかったけど。
上記のように病院に行って、2週間続いた喉の炎症もギリギリ治まってきて、レース前日は朝からkatuoさんに自宅まで迎えに来てもらっての楽々会場入り。
いつもの個人参戦のレースなら、エントリー、宿泊手配、経路確認、移動運転、現地受付、補給等の出走準備、片づけ、運転帰宅・・・とあるけど、今日はそのほとんどをチームが代行してくれる。
自分でするのは自宅での機材準備、帰宅後の洗濯程度、だからこそレース中の責任は大きい。
会場に近づくにつれて雨が本降りになり、川も増水している状況、島根県選手は13時集合で試走の予定だったけど、試走は無しで選手顔合わせ、ライセンス提出の受付後は16時30分からの開会式まで管理棟ロビーで缶詰状態。
15時過ぎに雨が弱くなって若者が1人試走しているという情報が入ってきたけど、大学生以上は僕を含めてもう走る雰囲気無し。
16時半になり開会式、『気をつけ・礼』って年に何回もしないから、やってて違和感ありあり。
何回かやっていてやっぱりおかしいと思ったら気をつけで足が揃っていなかった。
開会式を終えて、17時過ぎ、青い空、乾きかけたアスファルトということで試走することになった。
初めてのコース、ところどころ濡れたままのアスファルトで僕は9人の島根県選手の最後尾を恐る恐るついて行く。
序盤は下り、ジェットコースターのように下って曲がって中盤はアップダウン、そして3段坂と呼ばれる厳しい上りの連続で、その後に長い上りを経てホームストレートに戻る上り。
3段坂で試走中にコース脇で停止している高校女子選手がいて、チェーンをリアのロー側に落として困っているようだったので、島根選手団が助けてあげた。
O選手の鮮やかな手つきとYプロの『先生に言って調整してもらうんだよ!』という爽やかな言葉が印象的だった。
ホテルに移動して晩御飯を食べて、大学生の1人が乾杯のビールを我慢して買い出しを担当してくれた。
コンビニの袋いっぱいのおにぎりやジャムパン・・・そこで
『モンスターってこれしかなかったんですけど良かったですか?』
???晩御飯中の僕の適当な発言(朝、モンスター飲まないと走れない・・・)をちゃんと記憶して買ってきてくれた。
これが体育会系というやつだろうか・・・健気な大学生に『水色じゃなくて緑だよ』なんて言えない。
当日は5時半起き、おにぎり・ジャムパンとともにモンスターをありがたく頂く。
今日はちゃんと走らねば・・・。
会場入りしてBIKEや補給の準備して出走サインシートに署名してBIKE重量の計測。
規定の6.8kgを下回る人も数名いるようだけど、僕には無縁の話(ロードバイクもそろそろ軽くする方向に取り組んでみたいとは思うけど)。
コース周辺を走行してアップする。
スタートまであと20分、坂道ダッシュで最後のアップ・・・の途中で道路脇でBIKEを覗き込む姿を発見。
『どうしました~』
って声をかけたら昨日の女子高生だったので、
『昨日、直さなかったの?』
って聞いたら、
『直したんですけどネジが逆だったみたいで・・・昨日の方ですか?』
ネジが逆の意味がよくわからなかったけど時間も無いし、あと5分以内に直せなかったら僕はこの子を見捨ててスタートラインに向かわなきゃいけない。
なんとかして5分でどうにかするぞと決意してチェーンを引っ張ったら、昨日のO選手ほどじゃないけど見事に出てきた。
見捨てて行かなくても良くなったのだけど、レース前で工具を持っていなかったでとりあえず、
『Lのネジをしっかり締めるんだよ、締める方向ってわかる?こっちだよ!』
と言い残して僕はスタートラインへ向かった。
スタートラインでは各県(特に山陽側3県の著名なライダーが前列に並んで行く。
むしろ前列の隙間を埋めてゆく・・・。
僕はほどほどの位置でそれらの選手のスタート前の雑談を聞きながら気持ちをレースへと向けていく。
実力差はわかっているので、作戦など無く、とにかくしっかり前の選手から遅れないことだけ。
スタートの合図で一斉に出ていく、聞いていたいような下りコーナーから上り返しあたりでの落車は無く、ジェットコースターを楽しむようにハイスピードでレースはスタートした。
僕もレースが始まってしまえば、試走のような恐怖感はどこかへ消えて、徐々に実力通りの位置へと順位を落としながらもレースの一員として走行していた。
とはいっても、ここではまだレースは始まっていなかったようで、有名な3段坂に入った途端の上りのペースアップに僕を含む多くのライダーがふるいにかけられてしまった。
レースとしてはこれで終わり。
もうどうなるわけでもないけど、周囲の選手が集まって小集団を作る。
もちろんここからも落ちる選手も出てくるわけで、この時点で島根選手は僕を含めて大学生以下5名(ということは実力者2名と40代2名だけが生き残り)、僕としてはこの5名で協力して1周でも多く走行したいところ。
しかし、間もなく2名は切れてしまい、残った大学生2人と僕、そして他県のライダーで1周終了。
周回ピット前では応援の目もあるので先頭に出て自県選手を引っ張っている“ふり”をする。
そして見えなくなったらすぐ最後尾。
2周目の上りで前に生き残っていた島根の40代2名が相次いで落ちてきた。
1人合流でちょっとした島根軍団ができている。
僕は緩い上りが得意なので、きつい上りでは後退して緩いところで前に出て、平地と下りは積極的に引くようにする。
上りの速い大学生2名には平地で僕の後ろについてもらい、上りでは彼らに精神的に引っ張ってもらう。
そして周回ではまた先頭を。。。
3周目で大学生が1人切れてしまった。
上りが得意な反面、苦手な平地と下りで脚を消耗してしまったと思う。
広島(?)の平地の得意なライダーが下りから平地、そして上り返しで速度を上げたためにクライマーには少しきつかったようだ。
僕はその選手の真後ろを離れないことを意識して消耗を防ぐ作戦。
心拍は200を超えているけど苦しさよりも脚が回る感の方が強い。
4周目、それでも僕の脚は消耗してきて、周囲の選手の大したエアロポジションを取らなくても脚を止めて巡航できるエアロホイールが羨ましくなってきた。
5周目、脚がつり始め、上りで遅れ気味になる。
3段坂でついに6人集団から遅れてしまった・・・が下りと平地を目いっぱい飛ばして形の上では集団に混じって周回通過。
この時点で先頭通過から8分くらい(だったような記憶)、多分次は先頭から10分遅れて関門、これが最終周回と思った。
6周目、下りで息を吹き返して上り返しも先頭交替に加わっていたけど、それはロウソクが燃え尽きる前の最後の輝きだったかのように・・・大学生に一言別れを告げて完全に終わり。
1人、これまで半分くらいの速度に落として路面や景色を眺めながら、動かない脚が完全に痙攣してしまわないように気を付けながら走行する。
止まるような速度で上ってサイクリングペースで平地を終えて下りは姿勢だけ低くして行く。
周回前の坂を上っていると、
『高校生の先頭が来るぞ~』
って言われて、ややこしくなるのを防ぐためにスプリントして終了。
そして3年連続の関門で、まだレースに残っている選手たちの写真撮影、これも3年連続。。。

【高校生1】

【高校生2】

【成年】

【惜しくも…】

【孤軍奮闘】
8周回のレースの6周回で関門、今年も完走できなかったけど、過去の2回よりも、そして先月の県大会よりも良い走りができたとは思う。
レースの直前とはいえ、体を治すことに重点を置いたことも自分の中での好結果につながった。
それでも、僕がいくら自己ベストな走りをしても完走できなければ、チームにとって何の足しにもならないのがこのレース。
来月の国体県予選までスケジュールの空いている休日は2日、そこで何がどうなるわけでもないけど、浅い浅いロードレース経験を少しでも深くするためには走らなければいけない。
競走の少ない島根県、レースを選んでいる場合でもない、『レース』って書いてあれば出るべきで、サイクリングイベントで遊んでも(自分の実力を知り、レース感を養い、必要なポイントで力を出し切るための経験値を稼ぐ意思があるならだけど)意味がない。
僕にとってはロードレースは県大会3戦+この中国ロードのみ、それが終わればターゲットはMTBとシクロクロスに戻る。
1年後のロードレースでどんな走りがしたいか、それを実現するためにどんな練習をするのか、それがMTBとシクロクロスにどう活きてくるのか、それが重要。
やることは上ること、上りで集団から切れないこと、レース終盤でも上りで遅れないこと、要は上る、嫌いでも上る、十数年前の自分に負けないタイムで、島大生に負けないタイムで、過去の記録保持者に近づく気持ちで。。。
そうそう、レース前に2度もチェーン落としてた彼女は、レースでは落ちなかったらしくちゃんと完走して表彰されていて一安心。
本日の走行距離:72km(2時間12分)
12.3km×8周回のレース、6周回で関門。
33位?/出走46人/完走20人

【走行データ】

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