慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

濱口梧陵「生ける神(A Living God)」

2016年09月17日 | 歴史上の人物
濱口梧陵(実業家・社会事業家・政治家)

醤油醸造業を営む濱口儀兵衛家(現・ヤマサ醤油)当主
津波から村人を救った物語『稲むらの火』のモデルとして有名です
濱口梧陵は、私財を投じて、安政南海地震で破損した橋を修理・復旧
知識・意欲の向上目指し、番組を参考・引用し自分のノートとしてブログに記載
 ☆番組の画面引用しています
NHKBS番組『英雄たちの選択』参照&引用(司会磯田道史先生他「私の好みの司会者です」)












濱口梧陵(番組画面の映像引用)

濱口梧陵履歴
紀州湯浅醤油商人である濱口分家の長男として生まれる
12歳で本家(濱口儀兵衛家)の養子となって銚子に移る
海外留学を志願するが、幕府の受けいられず帰郷して事業を行った
七代目濱口儀兵衛を相続する

濱口梧陵と稲むらの火
安政南海地震の津波が広村に襲来した後に、梧陵は自身の田にあった藁の山に火をつける
安全な高台にある神社への避難路を示す明かりとし、速やかに村人を誘導する
村人の9割以上を救った
物語が『稲むらの火』として知られている

濱口梧陵は、安政南海地震で破損した橋、堤防を修理・復旧
当時では最大級の堤防・広村堤防を約4年かけて修造した
 ☆大土木工事は、荒廃した被災地からの住民離散を防ぐ意味を持つ
 ☆将来の津波に備えての防災事業へ莫大な費用を、濱口梧陵私財を投じた
 ☆途中、私財も減少し継続が窮地に陥ったが、苦悩の選択から支援を選択
小泉八雲は「生ける神(A Living God)」と賞賛している

堤防完成から約90年後の昭和南海地震の津波
濱口梧陵が作った堤防のおかげで、被害を減らすことができた
濱口梧陵の活躍をたたえ、広村堤防には感恩碑が建てられている

近代医学と濱口梧陵
コレラの予防の為、医師を育成し銚子でのコレラ防疫に業績をあげた

政治家と濱口梧陵
藩政改革の中心に立って紀州藩・和歌山県経済の近代化に尽力した
郵政大臣に就任するが、次官との確執もあり辞職する
夢だった世界旅行に行き、アメリカ・ニューヨークで病没した


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 共産主義(社会主義) | トップ | 宗教の歴史3(さまざまな神) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史上の人物」カテゴリの最新記事