🌸「サムライ北の大地へ 榎本武揚」
☆渋沢栄一と同様、旧幕府の人間として生きた榎本武揚
☆最強の軍艦を操り、蝦夷地の独立という野望を抱いた
*その裏には、新政府への反発と苦悩があった
☆函館で降伏し「二君に使えず」と明治政府への登用を拒んだ榎本
*批判を覚悟で閣僚となる
☆「君恩」と「国為」の文字、サムライの生きざまに迫る
☆日本の武士(幕臣)、化学者、外交官、政治家、最終階級は海軍中将
⛳江戸幕府幕臣としての榎本 武揚プロファイル
☆伊能忠敬の元弟子幕臣・榎本武規の次男として生まれる
☆昌平坂学問所、長崎海軍伝習所で学ぶ
☆幕府の開陽丸発注に伴いオランダへ留学し幕府海軍の指揮官となる
☆戊辰戦争では旧幕府軍を率い「蝦夷共和国」の総裁となった
☆箱館戦争で敗北し降伏、東京の牢獄に2年半投獄された
⛳明治政府の官僚としての榎本 武揚プロファイル
☆敵将・黒田清隆の尽力で、助命され釈放後明治政府に仕えた
*開拓使で北海道の資源調査を行う
*駐露特命全権公使、外務大輔、海軍卿、駐清特命全権公使を務めた
☆内閣制度開始後
*逓信大臣・文部大臣・外務大臣・農商務大臣を歴任、子爵となる
*殖民協会を創立し、メキシコに殖民団を送った
☆東京農業大学、東京地学協会、電気学会などの団体を創設した
(敬称略)
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⛳出典、NHK「ザ・プロファイラー」、WIKIPEDIA
「サムライ北の大地へ 榎本武揚」
(テレビ画面、WIKIPEDIAより画像引用)
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