慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

『学問のすすめ』(福沢諭吉)

2020年10月25日 | 学び
🌸『学問のすすめ』著者、福沢諭吉

⛳『学問のすすめ』の書き上げた時の時代背景
 ☆「自分を確立し、政治と向き合え」との内容
 ☆福沢諭吉の有名な言葉
 *天の上に人を造らず人の下に人を造らず
 ☆『学問のすすめ』の時代背景
 *明治政府が廃刀令を出す
 (武士階級の人間たちが刀を差すことを禁止した)
 *かっての武士階級の不満が爆発
 *西郷隆盛が兵を挙げた西南戦争が起きる
 ☆身分制度未だ残っている時代
 *「天の上に人を造らず人の下に人を造らず」との名言残す
 *国民は、皆平等であると説いている
 *当時の日本人にとっては聞いたことが無い考え方
 *士農工商の身分差別が根強く残っていた
 ☆福沢諭吉は『学問のすすめ』を出版した
 *その時代に、出版した勇気はとてもすごい
 *初編は20万部を超える大ベストセラーになった

福沢諭吉は「学問をすればなんでも出来る」と述べる
 ☆「学問万能主義」的な考え方
 *後の「学歴万能主義」に変わる
 ☆諭吉の言う学問とは、「実学」を学問としている
 *学者が言う専門的な知識とは異なる
 ☆それまでの学問
 *難し字、難しい古文を読み、和歌、詩を作る
 *諭吉はそういうものは、専門家たちがいうほどには意味無い
 ☆諭吉は、実学を学ばなければ意味はないとしている

実学とは何かというと
 ☆商人がマスターするような知識や知恵
 *「お金を稼ぐこと」を実学としている
 ☆諭吉は『学問のすすめ』で、実学を学ぶ必要性を説く
 *あとは自分で学んでいきなさい
 *ノウハウが書かれている本ではない
 ☆諭吉の本が、日本に近代文明を発展させた一因になった

⛳福沢諭吉
 ☆大分県中津市で生まれ、生活は非常に苦しいものだった
 ☆諭吉は、貧乏生活が嫌で大分を出る
 *19歳のときに長崎に行く
 *長崎は、西洋の文化を学ぶにはもってこいの場所だった
 ☆オランダ語を学んだ後は、大阪で緒方洪庵の弟子となる
 ☆江戸、アメリカ、ヨーロッパに行き、新知識を得て帰国
 *『学問のすすめ』を執筆する
 ☆現在の慶応義塾大学の創立者としても有名な人物
 *諭吉が創立した当初は、蘭学塾がベースの私塾
 *諭吉は「これからは英語だ」と考えを切り替えた
 *慶應義塾も英語に切り替わっる

⛳江戸時代まで、鎖国をしていた日本
 ☆開国した当時、西洋にかなりの遅れをとっていた
 ☆日本人は、外国に侵略され、崩壊する危機感を持っていた
 *その危機感が、明治維新の精神で、明治時代を切り開いた
 ☆それまで、身分の差はあるが日本に守られていた
 *戦争も日本人対日本人の内戦
 *誰が勝っても、日本を統治するのは日本人
 ☆江戸時代の終わり、日本に西洋の文化を取り入れ追いつこうとした
 *国民がついてこなければ、有力者だけでは何の意味もない
 ☆そのような時代の流れを背景に、諭吉は『学問のすすめ』を書き上げた
 ☆「学問のすすめ」は、幅広い人たちに受け入れられてきた
 *日本人の「学ぶ」という意識の元になった
                (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
⛳出典、『ホンシェルジュ』『WIKEPEDIA』





 
『学問のすすめ』(福沢諭吉)
(ネットより画像引用)

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